89 / 241

約束。

 イブリンからの優しい言葉は今のセシルにとって心の毒だ。  こんな醜い化け物にそんなに優しくしないでほしい。  心優しい彼女の好意が苦しい。  セシルは顔を俯け、小さく首を振った。  引き締めた唇が震える。 「セシル?」  様子がおかしいと思ったのだろう。  背後から心配する声が聞こえる。  けれどもセシルは返事をすることができない。  首を振るばかりだ。 「ああ。セシル、お願い。泣かないで……」  イブリンは静かに歩み寄ると、セシルの頭を撫でた。 「貴方とはこれからずっと一緒なのよ? いつでも何だってできるわ。だからひとつくらいの約束なんてどうってことないのよ?」  彼女の仕草があまりにも優しくて、あたたかで――セシルの胸を熱くさせる。  セシルを泣き止ませようという彼女の行為は逆効果だ。  彼女の優しさが胸に響いて、余計に泣いてしまう。 「……ふ」  涙が止まらない。  ひとつ、ふたつと頬を滑り落ちる。  涙するセシルの腰にまわった力強い腕がよりいっそう強く抱きしめた。  彼の頬がセシルの頭に触れる。  カールトン卿のあたたかな体温がセシルの身体を通して伝わってくる。 「……っつ」   ――ずっとここに居てもいい。  暗にそう告げてくれる二人の優しさに胸が震える。  そうなると、セシルの胸がじんと熱くなる。  さっきとは違った涙が溢れてくる。  目頭が熱くなり、涙で視界が潤んだ。 「でも、編み物も……」  セシルは込み上げてくるあたたかな涙で喉を詰まらせながら、それでも言葉を吐き出し、自分がいかに無能であるかを話す。  しかし、それも彼女にとっては大したことではなさそうだった。 「あら、編み物なら今からでも。貴方と一緒にと思って持ってきたのよ。それともお腹が空いたかしら?」  イブリンはにっこりと微笑み、手提げかごを持ち上げてみせた。自分よりもずっと年齢は上なのに、その仕草がとても可愛らしい。流れる涙もそのままに、思わずくすりと笑ってしまう。 「いえ、僕はまだ……」  今はまだ起き抜けでお腹は空いていないとセシルが首を振れば、彼女は大きく頷いた。 「じゃあ、決まりね。いいでしょう? ヴィンセント」 「はい、ぼくの方は一向に構いませんよ」  彼女が同意を求める先は、セシルの腰に腕をまわしている張本人だ。  そこでセシルはほんの一瞬、彼の存在が頭からすっ飛んでいたことを後悔した。  セシルが後悔したのは、彼のこの腕が自分を包むのは当たり前だと思ってきているからだ。  ……そんなことは有り得ない。彼は今でこそ自分の両親と交わした契約のことを気にしているようだが、いずれは間違いに気付くはずだ。別れは必ず来る。  そう思うと、胸がじくじくと痛む。 「セシル?」  低いベルベットの声がセシルを呼ぶ。  彼に呼ばれて顔を上げれば、すぐ目の前に薄い唇が見える。  そうなると、ふいに力強い彼に包まれていることが恥ずかしくなってくる。  現状を思い出したセシルは再び、そわそわしはじめた。

ともだちにシェアしよう!