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「……」 バタン、と背後で扉の閉まる音を聞く。 たったそれだけの事だったけれど、誰が現れたかを自然と理解してしまった。 「……颯太は」 静寂に包まれたリビング、身動き一つせずソファに腰掛けたまま、ずっと気になって仕方が無かった事をつい、言葉にしてしまう。 この目で誰かを確認したわけではなかったけれど、そこに居るだろう人物の正体を何処かで察していた。 アイツ以外に、有り得ない。 「もう寝たよ」 「そうか……」 暫しの時を経て耳にした声は、案の定思い浮かべていた人物そのもので、聞き慣れた低音に鼓膜をそっと揺さぶられた。 心地良い低音は徐々に近付いて、やがて隣へと静かに腰を下ろしてくる。 「咲も、もう寝たら? 色々あったし、疲れただろ」 すぐ側で感じる存在、穏やかな口調に気遣われ、かけられる優しい言葉に反しどんどん追い詰められていく心。 なんで、そんな事が言える……? 俺がいつまでもココに居座ってるから、アイツは余計な事に巻き込まれたんじゃねえか。 「……」 俺さえ、いなければ。 「なんか、悪い事考えてる。だろ?」 「……!」 独りを好んでいたはずだ。 仕方無く居てやっていただけだ。 お前らの事なんかどうだっていい。 俺は誰も信用しねえし、されたくもねえ。 ずっと、今でもまだずっと、あの頃のまま何も変わっていないと俺は…… 思い込んで、自分を欺き続けていたとでも言うのか。 「颯太は大丈夫。強い子だし、それに怪我一つ無かっただろ?」 「別に……、俺は……」 「咲は何も、心配しなくていいから」 その温かみから逃げられない。 嫌っていたはずのその場所から、動くことが出来ない、動こうとしない、動けない、動きたくない。 その言葉一つに、気を許すと縋り付いてしまいそうになる。 「……なんで、そう簡単に許せんだよっ……」 「許す? 咲の一体なにが許せないって言うんだ?」 衝動的な想いを無理に内側へと縛り付け、優しく言葉を紡ぐ秀一とは対照的に、心は荒れていくばかりだった。 だってそうだろう? 俺は単なる赤の他人であって、ココの奴らとはなんの繋がりもねえ……! 都合良く居着いて、その結果があのザマだ!! 許せねえだろ!? 俺のせいでいらねえ事に巻き込まれたんだ! 迷惑に決まってんじゃねえか……! なのにッ…… 「颯太があんな目に遭ったのは俺のせいじゃねえか! 俺みてえなのを置いとくからあんなことになんだよ!! ハッ、……ざまあねえなッ……、分かっただろ……!!」 「……」 感情的に、浮かんでは次へと放たれていく言葉たち。 本心は一体、何処へ身を潜ませているのか。 「これからはもっとマシなのを選ぶんだなッ……。テメエみてえなお人好しには付き合ってらんねーんだよ!」 一刻も早くこの場から去ろうと立ち上がるが、思考はとうに混乱しており、何がなんだか分からない中での行動だった。 「……お人好し? ……冗談だろ」 秀一と共に居続けてしまう事によって、これまで孤独を支えていた壁を崩されてしまいそうで、気ばかりが焦っていく。 もし全てを打ち壊された時、それからをどう生きていけばいいのかと、絶えず募る不安。 「な……! 離せっ!!」 逃げなければ、一分一秒でも早く此処から逃げなければ。 何故かどうしようもなく、焦っていく気持ち。 「俺がお人好しだって? そんなイイ奴にお前、本当に見えるか?」 「離せっつってんだろがッ……!!」 切実なる願いは容易く捕らわれ、力強く掴まれた腕を振り解く事も出来ずに、苛立ちばかりが渦を巻いていく。 「咲……」 「!! だからッ……! いい加減にしやがれ!! 離れろっつってんだろが!! 触んな!! どけッ……!!!」 築かれていた城壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ち始める。 立ち上がる事を阻止され、振り払うことに躍起になっている内に抱き寄せられてしまい、事態はますます悪化の道を辿っていく。 格好も何もなく、子供のように暴れながら身を離そうとしたけれど、通用せず体力を奪われるだけだった。 「お前の声が無かったら、俺は確実に自分を止められなかったよ」 「……!?」 抱き締める力が、徐々に増していく。 とにかくその腕から逃れたい、今すぐにでも抜け出さなければ手遅れになってしまう。 それなのに、抵抗しようとする意思が次第に奪われていく。 それではいけない、ここで捕らわれる事に身を任せてしまってはいけない。 許せば最後、これから先を独りで生きていけなくなってしまう。 一度この温もりを覚えてしまえばもう、手放すことを拒んでしまうだろう。 「……離せよっ」 後戻り、出来なくなってしまう。 「誰よりも颯太を心配していたのはお前だし、今も気になって仕方がないんだろ?」 「……そんなんじゃねえっ……」 穏やかに鼓膜を刺激していく言葉は、まるで何か術でもかけるかの様に、固く閉ざした本音を探り当てていく。 「なんだかんだ言って、ずっと一緒に居てくれてるし」 「別に……いたくているわけじゃっ……」 乱れる鼓動を、悟られてしまいそうだ。 先程と比べればだいぶ落ち着いてきたが、打って変わりボソボソと、出ていく言葉は消え入りそうに小さく儚い。 「そして今、俺たちの事を思ってココから出て行こうとしてる」 「……!!」 しんと静まり返る室内に、秀一の声が響いていく。 そしてトドメとばかりに紡がれた言葉に、ハッとする。 「……都合良く考えてんじゃねえよっ」 自分ですら気付けずにいた想い、それをいとも簡単に見破られてしまい、目に見えて動揺していく鼓動。 そんなつもりでは決してなかったはずなのに。 自分の為に一刻も早くこの家を後にしなければと思っていただけで、彼等の事など何一つとして考えていないはずだった。 「自分で気付いていないだけで、咲は凄く……考えてくれてるよ。俺たちのこと」 「違う……! そんなはずっ……」 秀一の腕の中で、自分に言い聞かせるかの様に否定を繰り返すも、全てがやんわりと押し戻されてしまう。 ワケが分からない、とっくにワケなんて分からない。 自分の本心にすら気付けない位なのだから、こうなって当然なのかもしれないけれど。 「家族。そう言ってもらえて俺、凄く嬉しかったよ」 「!! な、んでっ……」 と、そんな時に。 不意を突くかの様に掛けられた言葉を聞いて、思いきり心臓が跳ね上がる。 自分でもとうに忘れていて、掘り返されたらまず一番たまらないだろう出来事を持ち出され、消えてしまいたい位の恥ずかしさに満ちていく。 「随分、優しくなった」 「っ……」 なにを言ったところで、良い方向へは転がってくれないらしい。 それでも何かしらは発しておきたいものの、まともな思考はぐるぐると絡まってしまい、視線を泳がせながらただ戸惑っていることしか出来ないでいた。

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