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1.ZERO℃ギミック【3】
「……天気いいな」
時は徐々に、夕刻へと向かう。
雲一つ無い青空を視界に入れて、そっと呟かれた言葉は穏やかなものだった。
「……買い忘れねえよな」
いつもより早めに家を出て買い物をし終えた今、手からは食料の入った袋がぶら下がっている。
必要なものは全て揃えたはずだけれど、何か引っ掛かるこの感じが気になる。
「やべえな、何か忘れてんな……」
基本的にメモには頼らない、と言うか後々になって誰かに見つかった時のことを考えるとどうにも避けたい作業だ。
食料とか日用品とかなあ、んなもんメモってんのバレてたまっかコラ。
めちゃくちゃかっこわりいじゃねえか。
「……」
まあこうして習慣的に買い物出てる時点で、すでに十分かっこわりいけどな。
「……ん?」
しかし本当に何か忘れているのかと、記憶を探りつつ歩いていた時のこと。
なんとはなしに向けていた視線の先、役目を終えた廃ビルから出てきた1人の男を捉えていた。
「……!」
すぐにもまた瞳を逸らし、何事もなく終わると思っていたこの瞬間。
しかしどうしてか、吸い込まれるようにただ1人へ集中し、周りの景色が一気に霞んでいく。
「……ラ、イ……?」
目を丸く見開いて、絞り出す様に呟かれた言葉だった。
なんでこんな所に、いやこんな所に居るわけがねえ。
でも、今そこに見える野郎の姿を、俺が見間違えるはずがねえ。
「なんで……」
──芦谷 來 。
俺の、弟だ。
「……」
どうして無縁だろうと思う廃ビルなんかから出て来たのか、問いただしたい事は山ほどあった。
けれど思う、たるそうに前を行くアイツは本当に、俺の弟だと言い切れるのかと。
風貌がまるで違う、自分の中で眠る記憶と全く異なる。
だってアイツはまだ……
「……?」
耳に届いた声が一つ、我に返り俺の手に掴まれていたものはなんなのか、理解することに暫しの時を必要とした。
合わす顔がないという俺自身がいる一方で、知らず知らずの内に駆け出していた足が、一直線に來の元へと向かっていたらしい。
突然腕を掴まれたことに驚き、振り向いてきた來とその時、視線が交わった。
「來……」
「……!」
確かめるようにそっと、思考の彼方へと追いやっていた名前を久しぶりに口にする。
そして目の前に立つ男の反応を見て、突き当たる思いは確信。
「來……お前、なんでこんなとこに……」
「……」
鮮やかなる金に染め上げられた髪、端正に整う男らしい顔立ちには、一時だけ戸惑いの色が浮かんだように見えた。
「……それは、こっちのセリフじゃねえの?」
けれどその印象はすぐに消え失せ、表情からは何一つとして感情を窺い知ることが出来ない。
実の弟を前にしているはずなのに、全くの他人と接しているような、不可解な心地にさせていく。
「アンタこそ、なにしてんの?」
「……」
驚く程に冷めた声が、真っ直ぐに胸を貫いていく。
思い出の中で笑っているお前と違う、あの日の姿と違う、違う、違う、何もかもが違う。
だってお前は、お前はまだ、俺の記憶にあるお前はまだ。
「んだよ。なに見てんだよ」
「來……」
「気安く呼ぶな」
突然の事に、何から言葉を掛けていけばいいのかも分からず、唇はまたその名を繰り返す。
しかし受け入れてもらえるわけもなく、鋭く言い放たれた言葉が俺を拒絶していく。
「いつまで掴んでんの?」
いつかこうして、向き合わなければならない日が来るだろう事を、予想していなかったわけではない。
「……悪い」
まだずっと先の事だと決めてかかっていたのが、そもそもの間違いだったのかもしれないけれど。
「……家、帰ってんのか?」
「アンタには関係ねえな」
「どこでなにやってんだお前」
「るせえな。いきなり出て来て兄貴ヅラかよ。バカじゃねえの」
立ち去りたそうにしている來を引き止めて、浮かぶ疑問を口にしていく。
まともな答えなど期待してはいなかったけれど、やはり思っていた通りの反応だった。
全面に押し出される拒絶、無理もないことだ。
「……」
アッサリと離れ歩いて行く來の後ろ姿を見て、本当に拒絶していたのは一体誰か。
「來……!」
耳へと届いたかは分からないけれど、次第に遠のいていく來へと向けて、紡いでしまった言葉。
「お前……」
俺の記憶にあるお前はまだ──。
「……幾つになった……?」
「……」
歩んでいた足を止め、暫しの時が流れていくと共に風が通り過ぎていく。
ゆっくりと静かに、來は振り返る。
「弟の歳も、……分かんねえの?」
それは今にも泣き出しそうな、笑顔に見えた。
「……!」
そして再び前を向き歩き出した來、もう呼び止めることも叶わなかった。
大体、その資格が俺には無い。
それなのに、今更になって接することを望んでいる自分が居る。
おかしい程に、都合の良い話だ。
「……最低だな」
こうなるまで、気付けなかった。
今の今まで拒絶していたのは、俺のほうだ。
こんなにも時は過ぎているのに、記憶にある來は未だに、あの頃から歳を重ねていない。
心地良い思い出に縋り付いて、現実を直視する事をずっと拒んでいた。
元を辿れば、悪いのは全て俺なのに。
アイツは最後の最後まで、俺と接することを望んでくれていた。
荒れていた俺に何度拒絶されようと、ずっと。
「……じゅうく、……19か……」
アイツもう、19になってんだ。
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