35 / 132

2

「……」 考えても考えても、望む答えへは辿り着けない。 どんな展開を欲しているのかも分からない、先の見えない迷宮に足を踏み入れて、一生彷徨い続けていそうな気分だ。 「つ……!」 ぼんやりとしていれば手元も狂う、ピリッとした痛みに漏れた微かな声。 「……切っちまった」 普段からは考えられないような、有り得ないミス。 ピッと走る一線からは徐々に血が滲み出ていき、じわりと広がっていく。 「……いてえな」 ボソりと呟かれた言葉、暫くは指から伝い落ちていく血を、ただぼんやりと眺めていた。 痛み、もう随分と長い間、忘れていた感覚のように思う。 暴力に紛れて、常に俺は1人考え込む時を拒んでいた。 自分を完全に、騙す程に。 「咲ちゃん!?」 音の無い映像の中で、來との再会が繰り返される。 「……颯太?」 アイツは今どこで何をしているのかとか、家はどうなってんだとか、湧き出る想いと言えば絶えることがない。 物思いに耽りながら台所で身を固まらせていた時、ふいに掛けられた焦る声に、少なからず動揺してしまった。 「血! 血が! 咲ちゃんに血が流れてる……!!」 「落ち着け」 視線を向ければすぐ側に、傷口である人差し指を見つめながら、青い顔をしている颯太がいつの間にか居た。 ちょっと切った位じゃねえか、そこまでお前が騒ぐ事か。 「大丈夫!? も、もうダメだよ包丁なんか持っちゃ!! 休んで! 休んで咲ちゃん!!」 「ぁん? 休めってお前、まだ途中だぜ?」 「いいから!! 寝るの!!」 「……大袈裟だなオイ。つうか切り傷関係ねえな」 颯太の勢いはとどまる事を知らず、果ては台所から追い出される始末。 指詰めになった日にはこれ、一体どうなんだろうな。 いや詰めねえよ、詰めねえけどな。 「後のことは任せてよ!! ね!!」 「……、頼む」 「うん!!」 中途半端な状態にしていく事への不満はあったけれど、ついまた颯太の押しに負けてしまう。 力強く頷き笑うその姿を目の前にして、いつかの思い出が一瞬重なりそうになった。 「どうかした?」 「……なんでもねえよ」 隙を見せれば捕らわれそうになる、いつまでも過去に縛り付けられてはいけないと分かっているはずなのに。 この目できちんと受け入れたはずの、今を生きる來の姿。 交わした一連の出来事を葬りたくて、また思考が勝手な行動をとっていく。 「……絆創膏は」 「そこの引き出しの、上から二段目!」 それらを振り払うように言葉を紡いで、颯太が指差した方向へと視線を向けた。 「……サンキュ」 いつまで俺は、中途半端に生きるつもりだ。 微かな痛みに眉を寄せながらも、指を伝い始めていた血を全て洗い流す。 パックリと割れた傷口へ、予め用意していた絆創膏を重ねては、そっと巻いていく。 「……何やってんだ」 呟かれた言葉が、胸をキツく締め付ける。 結局のところ俺は、以前と何も変わりない。 逃げて隠して思い込んで、受け入れたくない現実から未だに目を逸らし続けている。 その結果が、あのザマだ。 「……どうするか」 いつしか全く家へ寄りつかなくなった俺と、顔を合わすことは奇跡レベルに近いほど稀なことだった。 けれどだからといって、記憶までねつ造するこの思考は一体どうなってるんだ。 「……」 全てに向き合い、受け入れなければいけない時に、差し掛かっているのかもしれない。 そうしなければ俺はいつまでも、このまま心地良さに浸かっていてしまう。 「……今更、帰れとでも言うのか?」 自分から立ち去ったあの場所へ、何事もなかったかのように今更帰れと。 拒否られんのがオチじゃねえの。 つっても、原因を作ったのは俺か。 「……はあ」 クソ……! 苛々する、なんにも出来ねえ自分に。 「來、か」 寝室の扉を開けて、数歩進んだ先にあるベッドへと、倒れ込むように横たわった。 物事を考える余裕が少なからず出来た今、久し振りに顔を合わせた弟のことで頭が一杯だった。 アイツの姿をまともに見たなんて、一体何年ぶりだろう。 兄弟なのにな、馬鹿げてるぜ。 「……なんでアイツ、あんなとこから……」 額に手を添え、天井へと視線を向けたまま頭の中で、何度も何度も繰り返される再会の時。 そして湧き上がる疑問、あのビルと來に一体どんな関係があるのか。 何故あんな場所から出てくるのか、アイツは何を考え生きているのか、なにをしているのか。 「……ハッ」 知らない、何も。 だからといって、今更どうなる。 俺はまたアイツを傷付けて、來だけではなく多くの存在を痛めつけてきた。 そんな俺が今更、今更アイツのことが気になって仕方ないだと? 都合が良過ぎる、そんなの言われなくたって知ってんだよ、でも、でも仕方ねえじゃんかよ。 血の繋がりはそう簡単に、断ち切れるもんじゃねえんだから。

ともだちにシェアしよう!