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「……ん」 気が遠くなりそうな程に、遥か昔の事に思える記憶が、今でも奥深く根付いている。 そっと見ているだけなら良いけれど、触れようと少しでも手を伸ばせば壊れてしまうような、そんな脆くも儚いあの日の記憶。 來はまだ中学生で、俺は高校に行っていた。 「……き」 傍目から見てどうだったかは知らないが、仲はそう悪くはなかったように思う。 つっても、こんな曖昧な頭じゃ頼りになんねえけどな。 「……い、……き」 いつの事だったろう、全てがくだらなくブチ壊したくなったのは。 理由なんか、特にねえよ。 ただどうしようもなく苛々する気持ちを、自分の中から追いやりたかっただけ。 やり方も、抜け出すタイミングすらも見事に外して、完全に修復不可能状態にまでなってしまったけれど。 「おい、咲?」 「ん……」 夢なのか現実なのか、ぼんやりと聞こえていた声が急にハッキリと耳へ届いた気がした。 「悪いな、起こして」 「……」 ゆっくりと瞳を開いていけば、月の光でうっすら明るい室内と、側で見守る秀一の姿があった。 いつの間にか眠りへ落ちてしまっていたらしい、気付けばもうどっぷりと夜の闇に包まれる時間だった。 「切ったんだってな。大丈夫か?」 「……怪我の内に入んねえよ」 一度向けた視線を逸らし、手に触れてきた秀一に構うことなく無愛想な言葉を返す。 心配してくれる気持ちは有り難いけれど、素直に喜びを表現するのは相変わらず苦手だった。 それ以前に、俺がそういう態度をとるのはまず気持ち悪いだろう。 「珍しいな、咲がこんなことになるなんて」 「……悪かったな」 絆創膏が貼られた指へ触れながら、穏やかな口調で紡がれる言葉に対し、明後日の方向を見つめながらボソりと返す。 自分でも珍しい事態だと感じるけれど、手元が狂うのも無理はない程に、心中は乱れきっていた。 「悪いもんか。ただ、心配になってな?」 「……」 「なにか、あったか?」 それでも決して前面へ押し出しはしないのに、何故か秀一はそうやって勘付いてしまう。 普段なら有り得ないといっても、少しばかり指を切ってしまっただけなのに。 深層部に根付く想いにことごとく気が付いて、上手くそれらを引き上げていってしまう。 「……」 「ん?」 言っていいものか悩む自分と、言おうとする俺が存在している。 「……弟に会った」 「……弟?」 躊躇いはあれど、最終的に勝るのは伝えたい気持ち。 それと同時に、秀一ならば何か良い助言をくれるかもしれないと、無意識的に頼ってしまっている部分もあった。 「……そうか、咲の弟が……」 予想外の言葉を聞いて少なからず驚きが含まれる声となったが、すぐに落ち着きを取り戻しては言葉を選んでいく。 これまで、自分やまして弟に関することなんて話した記憶がないし、語って聞かせるようなものでもないと思っていた。 自分のことはいいけれど、弟についてはそう思い込んで閉じ込めていたかっただけなのかもしれない。 「話は、出来たのか?」 「……」 「……そうか」 問い掛けに答える事はなかったけれど、理解するにはそれだけで十分だったらしい。 「咲には咲の家族がいる。当然のこと、だよな」 「……」 此処での生活がすっかり定着していたけれど、どうあっても切り離せない存在が見え隠れしている。 上手く自分を騙してきたのに、突きつけられた今は防ぐ事すら出来ず、どうしたらいいのかと正直酷く混乱していた。 「……戻りたいか?」 「……ん、っにして……」 晴れない思考にもどかしさを感じながら、秀一の言葉に再び視線を向けた。 ゆっくりと覆い被さってくる姿が見えているのに、逃げられず力一杯拒絶したい気持ちなどありはしなかった。 「今、幾つ?」 「じゅ、……くっ」 「家には?」 「あんま帰ってね、みてえ……、ん」 キシ、という音と共にベッドへ身を置いてくる秀一、首に這う舌を感じて言葉が途切れていく。 「……心配だな」 「……ぁ、っからテメ……な、にやって……」 「一度、戻ってみたらどうだ?」 徐々にエスカレートしていく行動に反抗するものの、まるで聞いていない秀一は1人話を進めていく。 「はっ、……んなこと、できるわけ……ぁ」 「気持ちは分かるが、どうも気になるんだ。危ないことに首突っ込んでなきゃいいが……」 「ん! ぁ……、き、こえちま……っ」 「大丈夫。今、いないから」 確かに、來の事に関して疑問が湧き上がっていたところだし、都合が良いと言われようが心配でならない気持ちには嘘をつけない。 けれど今更あの家へどんな顔をして行けと、來について知れることは沢山あるだろうけれど、なかなか意思を固められないでいた。 そうした意識と、こんな場合ではないと思いはしても素直に感じてしまう身体、剥がされていく理性の中で見え隠れする本心。

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