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「過去のことを咎める気はない。お前とは、金だけで結ばれていた関係だったのだからな」 金を取り立て、敵対する組を潰し、許枝を成り上げるべく盾となりながら、有り余るほどの報酬を得る。 それだけの間柄であり、決して組には属すことなく、やがては全てを投げて消え失せた。 それから許枝がどう生きてきたかは知らないが、過去のことをとやかく言う気は無いらしく、どうやらお咎めもないらしい。 しかし、それだけで話が終えられることは無く、次いで紡がれた言葉を聞いて、思わず身を固まらせてしまう。 「だからこそ今度は、俺と兄弟の盃を交わせ。お前が居れば、何も恐れることなどない」 行方を眩ませた罰は無い、けれども要求はそれ以上に重く、一層置かれた立場を辛いものにさせていく。 兄弟の……、盃だと……? それはつまり、許枝と五分の盃を交わすことであり、文字通り家族になれということ。 そうなれば最早、裏社会からも、組からも、許枝からも生涯逃れることなど出来ず、殺伐とした世界でただ無感動に、血を浴びるだけの生活が待っている。 そんなこと……、受け入れられるはずがない。 「悪いが……、俺はとうに足を洗っている。力が欲しければ他を当たれ」 感情を表さず、真顔で許枝と視線を合わせながら、諦めさせるべく言葉を掛ける。 しかし許枝は、諦めるどころか唇を歪ませ、可笑しくて仕方がないとばかりに笑い声を上げ始める。 「足を洗っている……? クククッ、何処がだ?」 「なに……?」 含みを伴う台詞、訝しげに眉を寄せて聞き返せば、許枝が薄笑みを刷きながら発する。 「お前が今更、まっとうな人間になれるはずがないだろう。その証拠に、そいつらとやり合っている時のお前は、実に楽しそうな表情をしていた」 「……!」 「この世界に片足だけでも浸せば、ヒトに戻ることなど最早不可能だ」 悔い改め、苦労しながらも健全にこれまでを生き、手に入れたかけがえのない生活を、こともなげに捨てろと言う。 ヤクザになることは容易いけれど、一度手を染めればヒトに戻ることなど不可能。 それでも俺は……、いつかはヒトになれると信じて、家族と共に歩んでいきたい。 けれどもそれすら、ただ静かに生きていくことすらも、俺には許されない罪なのか。 「堅気にどれだけ憧れても、お前が此方側の人間であることに変わりはない」 「勝手なことを言うな……!」 「お前だってよく分かっているはずだ。ヒトになれるのは、夢の中だけであると……」 たまらず声を荒げれば、許枝は更に笑みを深めながら扉を開け、ここで始めて車外へと姿を現す。 すると助手席に居た者も降り、静かに許枝の側にて佇むと、何も言わず辺りへと視線を向ける。 それこそが許枝の盾であり、あらゆる危険から組長を守るべく配置された、言わば護衛である。 かつては其処に、俺の姿があった。 「お前の素性も、じきに全て明らかになる」 一言で凍り付き、同時に脳裏へとかけがえのない家族が思い浮かび、静かに許枝を睨みつける。 素性を明かす、その言葉ははったりではない。 遅かれ早かれ住まいを割り出され、颯太、瑛介、桐也、そして咲の存在を許枝に掴まれることになるだろう。 アイツ等を危険に晒す……、それだけは絶対にさせない。 しかしどうしたらいい、俺はもう二度と極道の世界には戻らないと決めた。 「五日やろう。その間に、身辺を整理してこい」 拒否権などまるで無いかのように、有無を言わさず話をまとめると、此方の反応を窺うようにじっと見つめてくる。 身辺を整理……、正真正銘の極道となるべく、表社会に別れを告げて来いと言っている。 余りに身勝手な言葉に怒りを覚えるも、自分から手を退かせる糸口が見つからない。 何故、このようなことになってしまったんだろう。 過去を恥じ、罪を背負い、少しでも償えるよう生きてきても、結局罪人であることからは逃れられず、幸せになどなれるはずもない。 なっては、いけないのだ。 温かな家で、愛する家族と笑い合いながら生きていくなど、決して許されない罪なのだ。 だからこそ、つかの間の夢を見せてくれた十年余りに、寧ろ感謝をするべきなのだろうか。 「場所は……、そうだな。お前にも馴染みの深い、あの場所で落ち合うことにしよう」 それだけで、指定された場所をすぐにも思い浮かべてしまい、あの頃から脱しきれていない自分を恨めしく思う。 「その時を楽しみに待っているよ、秀一」 葛藤を繰り返す此方には構わず、にこりと微笑んだ許枝は踵を返し、助手席の男に開けられた後部座席へ乗り込むと、一瞥もくれずに窓を上げる。 次いで助手席にも乗り込んだ姿を、すでに車内へと戻っていた前後の群れが確認すると、前から順に道路へと流れていき、すぐにも夜の街に溶け込んでいく。 「何故……、こんなことに……」 去り行く車を、呆然とした思いで立ち尽くしながら、視界から消えても見つめ続ける。 何故……、どうして……、アイツが俺の前に……。 今更もう、穏やかで心地好い日々を生きていくことなど、決して許されないのか。 分かっている、俺が幸せを望める立場でないことくらい。 そして浅はかだったのだ、偽の身分で雇われていたとしても、血で血を洗う最前線に居たことに変わりはない。 けれども温もりを知ってしまった身体は、手離したくないと胸の内で必死に訴えている。 ――この世界に片足だけでも浸せば、ヒトに戻ることなど不可能だ。 脳内を巡る、許枝の言葉がいつまでも回り続ける。 俺はヒトではない、血に飢えた獣であると。 「違うッ……、俺は、もうっ……」 止まない葛藤に苛まれ、今にも降り出しそうな空の下、やり場の無い想いを拳に込める。 強く握る、血の巡りが止まるほどに強く。 俺は……、どうしたら……、どうしたらいいっ……。

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