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「お! すげーいい匂い! 腹減ったー!」
「あ、テメ瑛介! 本持ってくな!」
夕飯の準備が整い、食欲をそそる香りと共に、料理からはもうもうと湯気が立ち上る。
それを見て、桐也から奪い取った本を片手に、瑛介が軽快な足取りで駆け込んでくる。
次いで桐也も後を追い、背後から瑛介を小突いてみせると、暫くはまたじゃれあいながら、二人仲良く席へと歩いていく。
「あ! なんかエー兄のハンバーグおっきい!」
「やっべえ! 咲ちんからの愛情をひしひしと感じるー!!」
「……あまりもんだ」
「あはは! エー兄あまりもの~!」
「えぇ! つかそれひどくねえ咲ちん!」
奥から颯太、咲、向かいは桐也、瑛介、そして俺と、当たり前のように席へと着き、皆でいただきますと言ってから食べ始める。
あまりにも自然で、何気ないこの日常が、明日も明後日もその次も、ずっと続いていくものだと思っていた。
なのに何故……!
どうして……、大切な家庭をこの手で、守るべき家族をこの手で、手離さなければならないんだ。
葛藤は尽きず、幾ら足掻こうともどうにもなりはしないのだけれど、思い悩まずにはいられなかった。
「つうか常々疑問だったんだけど、咲ちんてなんでこんな料理うめえの?」
「あ! 咲ちゃん! それ俺も気になる~!」
「……別に気にすることでもねえだろ」
家族すら拒絶し、自ら居場所を遠ざけていた咲が、今ではこんなにも心を開き、たまにはにかんでみせる。
なんだかんだと文句を言いながらも、実のところは面倒見が良く、穏やかで優しい性格をしている咲が、こうして今一緒に居てくれていることが幸せでたまらない。
そんなお前を、これから先もずっと微笑んでいて欲しいお前を、俺は傷付けることでしか守れない。
また、心を閉ざしてはしまわないだろうか。
また、危ない橋ばかり渡りはしないだろうか。
考えてしまえばキリがない、けれどもどれだけ想いを巡らせようとも、今後の人生ではもう、咲と関われることなどないのだ。
温もりを感じることも、たまに見せる笑顔を前にすることも、名を呼ばれることも、もう……、終わりにしよう。
お前がこの先も、幸せに生きていてくれるならばそれでいい。
その為ならば俺は、喜んで悪にもなろう。
「咲」
会話が一段落し、暫しの静寂が訪れたところへ、視線を落としながら声を掛ける。
平静を装い、何食わぬ顔で食事を進めていれば、やがて咲が此方を向き、見つめていることを気配で察する。
「食事を終えたら、この家から出ていけ」
努めて冷静に、有無を言わさぬほどの冷ややかさで、なんでもないことのように紡ぎ出す。
瞬間、先ほどまでの賑やかな食卓が嘘のように、誰しもが唇を閉ざし、凍り付いた空気が室内を支配し始める。
咲からの応答は無く、自分から発される物音だけが、静寂漂う場へとやけに大きく響いていく。
そんな此方へと集う視線、それを痛いほどに感じていながらも、顔色一つ変えずに食事を続けていた。
「父さん……? なに、言ってるの?」
たっぷりと数秒を経て、始めに口を開いたのは颯太であった。
なにと言われても、言葉通りとしか言いようがないのだけれど、聞き間違いであって欲しいという願いが、颯太の唇から問い掛けを生み出させる。
ここで笑って冗談だと言えば、再びまた温かな団欒へと戻っていくのだろう。
今ならまだ後戻り出来る、もっと他に良い方法を探せばどうだろうと、間が空くほどに決意を揺らめかせ、容易く意志をぐらつかせる。
それだけ大切で、ずっと手にしていたい居場所、なのだろうと思う。
だがそうした結果に待ち受けている未来は、果たしてどんな光景が広がっている……?
――闇だ、底知れぬ闇だけが、音も無く全てを覆っている。
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