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「なら俺はっ……、どうしたら良かった……」
最良の道と思い込んでも尚、穏やかな月明かりに照らされながら、狂おしいほどに胸を締め付けられる。
手離さなくて済むものなら、誰が好んで突き放すものか。
誰が泣かせるものか、追い出すものか、冷酷に徹するものか……!
悩んでも遅い、悔いても遅い、何故ならばもう、引き金をひいてしまっているから。
後戻りは出来ない、先へと進んでいくしか道はない。
そう何度も心で繰り返しながら、気を落ち着かせようと目を閉じる。
今は許枝とのことを、考えていかなければ……。
「親父……」
窓際にて佇み、気の乱れを無くそうと躍起になっていた時、ふいに掛けられた声を聞いて、思わずハッと目を開ける。
「瑛介……?」
振り向けば其処には、開けた扉から此方を見ている瑛介が居り、思わず名を呼んでしまう。
「……ちょっと、いい?」
躊躇いがちに、暫し間を空けて紡がれた言葉を受け、どうしようかと一瞬迷いはしたものの、話を聞くべく窓から離れて歩き出す。
「……なんだ?」
目の前に立ち、視線を逸らす瑛介を見つめ、何を言うのだろうかと思考を巡らせる。
きっと納得出来ないと、此処を出るつもりはないと、そのようなことを言い出す気がする。
それも無理もないし、すんなりと受け入れてもらえるとは思っていない。
けれどもそれでは……、
「さっきは……、ごめん」
「え……?」
紡がれる言葉を予想し、どう対応するかを巡らせていれば、全く思いもしない台詞が宙を舞い、つい間の抜けた返事をしてしまう。
ごめん……?
どうしてお前が……、謝るんだ……。
「ひでえこと、言った……。少しは頭、冷えたから……」
「瑛介……」
お前は何も悪くない、酷いことをしたのは俺のほうだ。
それなのに瑛介は、自分なりに状況を呑み込もうと懸命に、頭を冷やして大人になろうとしている。
「明日……、朝のうちに此処出るから」
「そうか……」
廊下で佇み、言葉を選びながら紡ぐ瑛介に、切ない感情をつい滲ませながら返事をしてしまう。
「でもさ……、その前に、理由説明してくんねえかな……」
「……」
「こんな、ワケ分かんねえまま出てかなきゃなんねえなんて……、やっぱ、納得できねえし……」
視線は合わさず、時おり顔を俯かせながら、切ない願いを差し出される。
普段の姿は無く、始終真面目な言動で対峙する瑛介は痛々しいまでに気丈であり、全てを明かしてしまおうかという気にさせる。
「やっぱ……、無理か」
「……すまない」
「今更謝んなよっ。最後まで演じとけよ、親父……」
「ッ……瑛介」
健気な姿に心が震えるも、此処で全てを打ち明けるわけにはいかない。
すまない……、俺が誤った道へと踏み込んだばかりに、お前たちをこんな目に……。
懺悔は尽きず、後悔はとめどなく現れ、それらを頭から追いやろうと拳を握り締めれば、思いがけない瑛介の言葉で我に返り、動揺を滲ませてしまう。
「ばーか親父……、振り回しやがって」
見つめれば、瑛介は拗ねたように唇を尖らせ、子供のようにそっぽを向く。
「……なあ、親父」
「なんだ……?」
「一つだけ答えてくれよ」
顔を背け、遠くへと視線を向けたまま、暫しの間を経てぽつりと、瑛介が唇を開いてくる。
続く言葉が思い浮かばず、何を言われるのだろうかと思っていれば、そっぽを向いた状態のまま、またぽつりと言葉を落としてくる。
「俺らのこと……、好きか?」
微かに声を震わせながら、勇気を持って紡ぎ出された言葉は、真正面から心臓を貫いてくる。
血の巡りが止まるほどキツく握られた拳から、ふっと力が抜けていく。
悪になると……、鬼と化すと……、決めたはずではないのか。
「ッ……当たり前だろう」
あれほど塞き止めたのに、絞り出された声が空気を震わせ、それはすぐにも瑛介の耳へと届く。
「お前のことも、颯太のことも、桐也のことも、……咲のことも、……愛してるに決まっている」
顔を上げ、パッと此方を向いた瑛介と目が合い、根負けした唇からは溢れるように、想いが解き放たれては散っていく。
たった一言で心をこじ開けられ、いつまでも変わることなき想いを述べてしまい、我ながら情けなさに頭痛がしてくる。
「親父……。ハハッ、もう素に戻ってやんの」
これではいけない、こんなことではダメだと悔やめば、瑛介が唇を開いてすぐに、笑顔を見せ始める。
「それだけ聞ければ、もういいや……。咲ちんにも伝えとかねえと」
「瑛介ッ……、それは……」
「何があったかは知んねえけど……、俺や、アイツらのことは心配いらねえから」
いつもの調子を僅かに取り戻し、目の前から立ち去ろうとする瑛介を呼び止めれば、背を向けてピタリと止まり、また真面目な口調で言葉を掛けてくる。
それは懸命で、自分を奮い立たせていようと必死で、あまりに健気な後ろ姿であった。
「その言葉さえあれば……、大丈夫だから。それ、信じて……、待ってるから……」
次第に声を震わせ、その姿を正面から見ずとも、涙を流しているのが分かる。
そんな姿を前に、すぐにも溢れ出そうになる涙をぐっと堪えながら、黙って背中を見つめ続ける。
「だから……、居なくなったりすんなよな……? 親父……」
そして振り返り、涙を流しながらも懸命に笑おうとし、足早に階段を下りて去っていく。
何があっても決して泣かず、いつも強くあり続けていた瑛介が、涙を見せながらこの身を求めてくれた。
それは本当に有り難く、そして申し訳ない気持ちで一杯にさせた。
「俺は……、なにをしている……」
こんなにも気を遣わせ、苦しめ、優しさに救われて、悪にもなれず、鬼にもなりきれず、情けなさばかりを積み上げていく。
「待ってる……、か」
それでも愚かなこの身は、我が子から紡がれた言葉を何度も頭で繰り返し、その想いに死ぬほどの幸せを感じてしまう。
複雑な表情を浮かべ、瑛介の言葉をそっと口に出し、胸の奥へとしまい込む。
求めてはいけないのに、また此処で笑い合える日々を夢見、願ってしまう。
「何処まで俺は……、愚かなんだ」
ぐっと握り締めた拳を見つめ、いつまでも身の振り方が定まらない自分を嫌悪する。
静寂に満ち溢れ、冷えた夜の空気が漂う中、瞳を閉じても落ち着けない心に苛立ち、悔やみ、出口の見えない袋小路に囚われる。
一体どうする気なのだろう……、選択肢すらないこの道は、何処へと繋がっているのだろう。
変わらず明確な答えは出せず、情けなく呟き出された言葉がふっと、誰にも聞かれることなく消えていった。
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