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「じゃ、行くから」 翌朝、小鳥のさえずりを耳にしながら、神妙な面持ちで玄関先に立ち、愛する我が子が去り行く時を見届ける。 週末である今日は、普段であれば家族の誰もが眠っている時間帯で、一番心地好いはずの我が家で休ませてやれないことを、とても不憫に思う。 けれども彼らは、特に瑛介の表情は明るく笑んでいて、これから何処か楽しいところに出掛けるような、そんな雰囲気を孕ませていた。 「アレ? 桐也くん、カードねえんだけど」 「お前になんか預けられるか。俺が持つ」 「えー、なんでー? 俺こんなにしっかりものなのに」 「何処がだ!! 寝言は寝て言え!!」 「ぐう」 「だァもう付き合ってられっか! んじゃ親父! 行ってくっから!」 あんなことがあったのに、辛く苦しい思いをさせてしまったはずなのに、それでも二人は普段通りの振る舞いを見せ、騒がしくも此処から出て行こうとする。 学校へ行くように、瑛介の手を取り引っ張っていきながら、暗い部分など僅かにすら見せず、相変わらずの調子で玄関を開ける。 「颯太?」 「颯ちゃーん? 行こうぜバカンス」 「アホかッ!!」 扉からふっと、清々しい朝の空気が入り込む中、先ほどから下を向いて動かない颯太へと、二人が順に声を掛ける。 応答は無く、じっと足下を見つめて立ち尽くしたまま、暫しの沈黙が流れていく。 無理もない……、二人だってあんな風に明るく振る舞ってはいるけれど、実のところはとても辛い想いを抱えている。 そして仕方が無かったとはいえ、昨夜颯太の目の前で、一番懐いていた咲のことを冷たく追い出してしまった。 大嫌いと言われ、泣かれ、それからは姿を見せ合うこともなく、こうして別れの時が訪れてしまい、とても償えないとは分かっていながらも、胸の内で何度も謝罪を繰り返さずにいられなかった。 完全に……、嫌われてしまったな……、無理もないが。 「颯太……、行こう」 切ない面持ちで颯太を見つめ、どうすることも出来ない無力さを呪っていれば、再び桐也が優しく声を掛け、細く健気な肩へとそっと触れる。 それにピクりと反応を示し、次いで瑛介が乱暴に颯太の頭を撫でまわすと、ようやく重い足を上げ、外に向かうべく振り返る。 「父さん……」 背を向けてから、空気を撫でるように小さな声で、微かに呼び掛けられる。 暖かな陽射しを受け、桐也から差しのべられた手を取り、一歩踏み出して去り際、 「本当は……、大好きだから」 そう、短く告げてこの場を去り、バタンと閉じられた玄関の音を聞く。 「颯太……」 辛くて仕方が無いだろうに、許せない気持ちで一杯だろうに、それでも颯太からは優しさが紡がれ、その想いに涙が出るほど幸せを感じてしまう。 自分なんぞには勿体無く、本当に優しくて愛しい子供たちには、心の底から幸せになってほしい。 そう、願ってやまない……。 「ん……?」 程なくして、居間へ戻ろうと踵を返せば、唐突にチャイムを鳴らされる。 「忘れものか……?」 立ち止まり、玄関の方を見つめながら呟いてみるも、その可能性は限りなくゼロに近いと思う。 外に待たせていたタクシーが、この家から離れていく音を聞いていた。 それでももしかしたら、大事なものを忘れて戻って来たのかもしれない。 いや、しかし……、それならばもう少し騒がしくてもいいはずで、こんな時間から一体誰だろうかと身を固まらせる。 其処に居るのはきっと、颯太でも瑛介でも、桐也でもない。 「まさか……、アイツが……」 瞬間余切る許枝の姿に、まさかとは思いながらも警戒を強め、そっと玄関へと忍び寄り、一呼吸置いて扉を開けてみる。 「……え?」 そして次第に視界が広がっていく中で、思わぬ人物を瞳が捉えてしまい、つい間の抜けた声を漏らしてしまう。 「っ……!」 しかしすぐにも急展開し、ガッと扉を勢い良く開かれたかと思えば、頬に重い衝撃と、火花が散るような感覚が走っていく。 「テメエッ……、どういうつもりだッ……?」 よろめいて後退し、痛みに眉を寄せながら相手を見れば、其処には見知った人物が青筋を浮かべ、怒りの表情で此方を睨みつけている。 そして握られた拳を見て、頬を力強く殴られたのだとようやく理解した。 「來、くんっ……」 陽射しを受け、燃え上がるように煌めく金髪を揺らしながら、射殺さんばかりの目を向けられる。 始めこそ何故此処にと思いもしたが、この流れは当然のことなのだ。 何故ならば彼は、昨晩まで共に此処で過ごしていた者と、深い関わりを持っているから。 誰一人として割り込めない、同じ血を引く者。 ――芦谷來。 咲の、弟であった。

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