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「どういうつもりだっつってんだよ、あァッ?」
胸ぐらを掴み、今にも喰らい付かんばかりの目で、真っ直ぐに此方を睨みつけてくる。
人の手を離れた扉は緩やかに閉まり、やがてガチャンと一つ音を上げ、暫しの静寂が訪れる。
痛いほどの視線を浴び、問い掛けには答えられず、苛立ちを増していく來の表情を見つめながら、ただ黙していることしか出来ない。
俺に言えることは何も……、なにも、無い……。
「昨日からなァ、兄貴が帰って来てんぞ?」
形の良い眉を釣り上げ、此方よりかは少々身長が低い為、男らしい顔立ちを憤怒に色付かせながら、容赦無く睨み上げている。
中性的な美貌を湛える咲とは違い、弟の來は言動の端々から荒っぽく、健康的な今どきの青年らしさが漂っていた。
「なあ……、アンタなんか知ってんだろ? つーか……、テメエが原因じゃねえの……?」
更なる力を込め、大抵の者ならば怖じ気付いてしまいそうな睨みと共に、喉から絞り出される声には怒りが混ざっている。
男らしいとは言え、咲同様に綺麗な顔立ちをしている為、表情からは有無を言わさぬ迫力で溢れ、簡単には退いてくれそうもないと思う。
「昨日……、帰って来た兄貴とハチ合わせたんだけどよ、なんも言わねーでソッコー部屋行っちまうし……、聞いたってなんも言やしねえ」
本意で無かったとは言え、食事の途中で咲を冷ややかに追い出してしまい、彼はその後、一人で家へと帰り着いていたようだ。
そして玄関先で來と鉢合わせ、きっと彼は明るく話し掛けていたのだろうけれど、咲からは一切の応答も無く、足早に部屋へと去られてしまっていた。
「昨日までテメエんちに居たんだろ? 何あったのか言えよ。聞いたってアイツ……、なんも言わねえんだよッ……」
眉を寄せ、心配そうな表情を浮かべて目を逸らすと、咲のことを思い出しながら言葉を紡ぐ。
その様子を見て、昨夜此処から立ち去って行った姿が、ふっと脳裏に蘇る。
怒るでもなく、反抗するでもなく、悲しむわけでもなく咲は、たった一言「世話になったな」とそう告げて、一切の未練も感じさせないまま去って行った。
それはお前が、本当は此処から去りたがっていたお前が、ようやく自由を手に出来た瞬間なのだと、あの夜から俺は、そう思っている。
これでお前は間違い無く、幸せになれるのだと。
「おいッ! 聞いてんのかテメエッ! なんとか言いやがれッ!!」
語気荒く詰め寄り、なんとか事情を吐かせようとする來に、何も告げられる言葉が無い。
無事に家へと戻り、これからは本当の家族と仲良く暮らしていけるのだから、それで良いではないか。
此処でのことを話さなくても、直に普段の調子を取り戻すだろうし、今こんなにも怒っていた意味など分からなくなる位、穏やかで幸せな日々が待っている。
それなのに何故、彼はこんなにも喰らい付いてくるのだろうか。
「んでなんも言わねんだよッ!! おいテメエッ!!」
終いには両手で胸ぐらを掴み上げ、家中に響き渡るような怒声を発しながら、少しでも口を割らせようと躍起になる。
けれども紡げる言葉は無く、真っ直ぐな目から視線を逸らすと、何も考えぬよう思考を閉ざしていく。
「ッ……クソ!」
結局は埒が明かず、掴んでいた手を乱暴に離すと、やり場の無い怒りを拳に込めながら、ふいと顔を俯かせる。
そしてどうにもならない状況に曝され、切なそうにぐっと顔を歪めると、次いで弱々しく空気を震わせ、すぐにも聞こえた言葉に耳を疑った。
「兄貴ッ……、泣いてたぞッ……」
「……え?」
泣い、てた……?
咲が……、何故……?
聞き間違いかと思うような言葉、けれども紡がれたのは事実で、真っ白になっていく頭の中で、いつまでもその台詞だけが回り続ける。
「だからッ……、なんも言わねえ兄貴をしつこく問い詰めたら、泣き出したっつったんだよ!!」
「咲が……?」
「ああ、そうだよ! ずっとそっぽ向かれてたし、結局なんも言っちゃくれなかったけど……、ずっと、声殺しながら泣いてたッ……」
そこに咲の、想いの全てがあるではないか。
頭を強く、鈍器で殴りつけられるようだった。
怒ることもせず、言い返そうともせず、言われるがまま静かに立ち去って行ったからといって、心が傷付いていないわけがない。
俺は……、分かっていたはずだろう……。
だからずっと、冷たく突き放すことで動揺し、揺れる瞳を一度も見ることが出来なかった。
辺り構わず怒鳴り散らしたり、何かにつけて言い返してくるような者では、決してない。
時には自分の気持ちすら押し殺し、一歩退いて相手を立て、なんでもないことのように去って行ける人物なのだ。
けれどもそれが、そんな上っ面だけの部分が全てであると、何故俺は思い込んでいた……?
「どうしたらいいのか分かんねえしッ……、せめて兄貴が落ち着くまで側に居てやること位しか、俺には出来なかった……」
來が何を聞いても答えず、この家を出てからずっと寂しさを抱え続け、それを表に出してはいけない、周りに悟らせてはいけないと、健気にも自分一人で抱え込もうとしていた。
アイツが平気なわけ……、ないだろう……。
暗い夜道を一人傷付きながら、どんな想いで彼は家へと帰って行ったのだろう。
傷付いていないと、自由を取り戻せて清々していると、そう自分が思い込もうとしていたのは、そのほうが……、気持ちが楽であったから。
だから俺は……、逃げたのだ。
咲の気持ちを分かっていながら、傷付けているのを分かっていながら、その痛みに耐えられなかった俺は、現実から目を背けて逃げていた。
俺は……、何処までッ……。
「んなことになってるとは思わなかったか……? なんとか言えコラァッ!!」
真正面から睨み上げられ、再び胸ぐらを掴まれても、この手では振り払うことも、強い視線から逃れることも出来ない。
咲は今……、何を想いながら過ごしていることだろう。
お前を傷付けて、振り回して、突き放して、本当に自分でも最低な男だと思う。
「すまないッ……」
「んなこと俺に言ってもしょうがねえだろ! 悪ィと思ってんなら今すぐ兄貴に頭でも下げやがれ!!」
「それは……、出来ない。咲にはもう……、会わないと決めた」
「なにィッ!? テンメェッ……! ざけんなッ!!」
謝罪を述べれば喰って掛かられ、來の逆鱗に触れたことでまたも拳が飛んでくるも、今度はそれをなんなく受け止める。
「望むならば、此処で今何度でも謝ろうッ……。だがもう……、咲とは会わない」
「な、に言ってんだテメエ……! 俺の話聞いてたか!? テメエのせいで兄貴が……!」
「すまない……、これ以外俺には、何も言えない……」
「ッ……!」
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