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懸命な問い掛けも実らず、謝罪ばかりを繰り返している此方に、とうとう來は唇を閉ざしてしまう。
掴んでいた手を拳に変え、力を無くしながらズルズルと、胸元から滑り落ちていく。
威勢の良さは掻き消え、鮮やかな金髪を揺らしながら俯くと、何を言ったところで無駄と悟ったのか、暫くは何も、紡ごうとはしなかった。
「アンタさ……、今まで兄貴を、なんだと思ってた……?」
徐々に気温を上げ、次第に此処も暖かくなっていく中、数分もの間唇を閉ざしていた來が、拗ねるように視線を逸らしながら呟いてくる。
咲のことを今まで、なんだと思っていた……?
どうせ答えは無いだろうと、半ば投げやりに掛けられた言葉を受け、瞬間脳裏を駆け巡っていく情景は、咲との出会いからこれまで全てのことだった。
孤独を求めていながら、実は誰よりも寂しさを抱えていて、常に差し伸べられる手を待っていた。
己を騙し、孤独こそ本当の居場所であると信じながら、気付かぬ内に自身を追い詰め、ズタズタに傷付けていた。
そんな姿があまりに哀れで、どうしようもない位にいとおしくて、冷めた美貌に心を奪われ、生涯この手から逃したくないと思っていた。
眉を寄せ、切ない表情を浮かべていた咲が、少しずつらしさを取り戻していくことが、見ていてとても嬉しかった。
弱さを見せ、時には縋り、たまに優しく微笑んでくれることが、何よりもいとおしかった。
なんだと思っていた……、そんなこと決まっているだろう。
ずっと側に居て欲しい、それほどまでに大切な存在であると、今でもそう、思っている……。
「兄貴はな……、アンタのこと、すげー気に入ってたと思う……」
返事が無くとも構わず、來は相変わらず視線を逸らしたまま、ボソボソと話を続けていく。
颯太や來、桐也や瑛介と、穏やかな表情を浮かべながら話している咲の姿が、大波のようにどっと押し寄せてくる。
いつまでも笑顔を、穏やかで優しく、実は繊細で傷付きやすいその心を、ずっと守っていきたいと思っていた。
それなのに俺は、たった一言で奈落の底へと、誰よりも愛しい人物を叩き落としてしまった。
視線すら合わせられず、傷付くお前の姿を見ていられなくて、一度も顔を上げることが出来なかった。
すまない咲……、すまないッ……。
お前を決して泣かせはしないと、悲しい想いはさせないと、心に誓っていたはずなのに……。
それでもあのまま、お前とこれからも笑い合っていくことなど、俺には到底許されないことだから……。
許せ……、來が居れば俺から受けた痛みなど、きっとすぐに癒してくれる……。
本当に、すまない……。
「俺が馬鹿なマネして、兄貴やアンタたちが助けてくれたこと……、今でもすげー感謝してる。けど、兄貴なんでずっと此処に居んだろって……、内心すげえ思ってた」
來を助ける為、苦悩しながらも自分と向き合い、咲は見事に弟を救い上げた。
弱き自分と決別し、何ものからも逃げずに立ち向かう姿は、本当に息を呑むほどに美しく、喜ばしいことであった。
それからは來や、家族とのわだかまりも解け、家を離れている理由などもう、何処にも存在してなどいなかった。
それでも当たり前のように此処へと居続け、芦谷家に戻ろうとしない兄のことを、來は内心疑問に思っていたらしい。
「いっぺん兄貴に直接聞いてみようかとも思ったけど……、なんとなく言えなくて……。でも、此処来てる内に分かったっつうか……」
言葉を濁らせ、頭の中を整理するように瞳を閉じ、暫しの間を空ける。
立ち去ろうと思えば、幾らでもチャンスはあった。
けれどもそうはせず、当たり前のように居続けてくれた咲を想い、どうしてこうすることしか出来なかったのだろうと、尽きない悔いが溢れては漂う。
もう何も……、言わないでくれッ……。
それ以上何を言われても、俺の手ではもう、どうすることも出来ない……。
「兄貴が笑ってんの見て、此処がどれだけ大事な場所か分かった。中でもアンタのことを一番、兄貴は好きだったんじゃねえかと思う」
「來くん……」
「兄貴を変えてくれたのはアンタだ。そんなアンタだからこそ、俺もすげえと思ってたし、感謝してた……」
饒舌に、目の前で語り続ける來を見て、彼のこんな姿は初めてだと思う。
度々会いはしていても、特に二人きりで会話をしていたことも無く、いつも家族皆で言葉を交わしていた。
そんな來が今、真面目な表情で心情を語り、胸の内を晒け出してくれている。
本来ならばそれに応え、自分の心も素直に相手へと伝えなければいけないのに、卑怯にも唇を閉ざしていることしか許されない。
「でも……、コレは一体なんなんだよッ……。なんの為にアンタッ……、兄貴と居たんだよッ……!」
「ッ……」
「まただんまりかッ……、いい加減見損なったぜ! もういい! テメエに話すことなんかなんもねえッ!!」
切実な想いを踏みにじり、気持ちを裏切ることしか出来ない身に、來がとうとう我慢の限界を迎える。
やはり何を言っても無駄と、此処へ来たことが間違いであったと、言動の端々からそれらの想いが滲み出ている。
見損なったと言われても、弁解の余地すら与えられない我が身には、しんと静まり返っているしか術がない。
これでもう、この子と会うこともなくなるな……。
見た目は正反対だけれど、やはり何処となく似ている部分があり、咲と並べば兄弟と言うよりかは、双子と間違えられそうな二人。
兄を想い、牙を剥けてくる兄弟の絆に、謝罪しか述べられない自分が憎い。
けれどもこうすることでしか、大切な者を守れない……。
今更引き金を戻すなど、そんなことが許される道理はないのだ。
死ぬほど後悔すればいい、眠れぬほどに懺悔すればいい、けれども決して、戻るような愚かな真似だけはするな。
鬼にすらなりきれないのなら、ヒトに憧れを抱く化け物のまま、地べたを這いずり回って生きていけ。
それ位愚かしい姿のほうが、汚れたこの身にはよく似合う。
後戻りなどもう、出来ないのだから……。
「じゃあな! 精々情けなく生きやがれッ!!」
見切りをつけ、入りと同様に荒々しく扉を開くと、捨て台詞を残して去っていく。
心地好い風が滑り込み、肌を優しく撫でていくけれど、気持ちは全く晴れる様子が無い。
酷く傷付け、哀れにも泣かせてしまった咲を想い、狂おしいほどの罪悪感と、懺悔の言葉が交錯する。
それは壁を殴り付けても続き、決して終わらず、この身を解放してくれそうにない。
「咲ッ……」
紡いでも返事は無く、寒々しい家には静けさだけが漂い、救いの手など差し伸べてくれるわけもない。
幸せという罪に、どっと罰が降りかかる。
それは凍てつくような雨よりももっと冷たく、息すら止めかねない凍えであった。
けれどもこれで、成さねばならない全ての事柄を終えることが出来たのだ。
後は自分の身の振り方を考え、許枝との再会に意識を傾けていけばいい。
そうしなければ今すぐにでも、我が身が押し潰されてしまいそうだった。
あらゆる感情と、浮かんでは残る、愛しい者たちの姿に――。
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