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日没を控え、徐々に沈んでいく太陽が、大地を赤々と照らしている。 カーテンから漏れる陽、室内を燃えるような茜色で染め上げ、ゆっくりと明度を下げていく。 「そろそろか……」 仕度を終え、喪に服するような漆黒のスーツを身に纏い、誰に宛てるでもなくそっと、一人小さく呟いてみる。 けれども当然とは言え、やはり言葉を掛けてくれるような者は居らず、自嘲気味に一度微笑みを浮かべると、様々な想いを振り払いながら寝室を後にする。 扉を閉めれば、やけに大きくパタンと響いていき、こんなにも静かな家であったのかと、普段では気付けなかったことの一つ一つに対し、とても感慨深く思えてしまう。 ――約束の日。 それは妙に自分を落ち着かせ、心を穏やかにさせていく。 どうにもならない現実から目を背け、これがさだめなのだと受け入れながら、諦めているだけなのかもしれない。 無様に抗ってみたところで、結果として転がる未来には、一体なにが残されるというのだろう。 出来ればもう一度、愛する者たちと心の底から笑い合いながら、なんてことはない日常を過ごしていきたかった。 けれどもそれは、持てる全てを躊躇いなく差し出したところで、叶うはずもない夢なのだ。 願ってはいけない、思い描いてもいけない、一縷の望みにかけるなどもってのほかだ。 「もう、よそう……」 自分の生などとうに、終わっているのだから。 死人が今更なにを望もうとも、決してこの手には掴み取れず、眩しい光景をただ見つめていることしか許されない。 だからもう、よそう。 「……」 階段を下り、玄関先に佇むと、未練がましいとは思いながらも、一度だけそっと振り返る。 築き上げてきた十年余りを、たった数日で更地に戻す。 なんてあっけないことだろう、そしてなんて、脆いことであろう。 壊す為に築いてきたわけじゃない、誰かを悲しませたかったわけじゃない。 ただ少しずつ芽生えていく幸せの数々を、この命尽き果てるまで、全力で守り通していきたかっただけだというのに。 「行くか……」 前へと向き直り、引き摺られそうな未練を断ち切るかのように、声を発しながら玄関を開ける。 陽は傾き、先ほどよりも薄暗さを増した外からは、ひんやりとした風が吹き込んでくる。 空を仰げば、最期の灯火と言わんばかりに燃え上がっており、それもやがて闇へと呑み込まれていく。 扉を閉め、鍵を上着の物入れへとしまい込めば、指先に何か小さなものが触れる。 「そうか……」 捧げる相手も居らず、家に置いていても仕方が無いので、せめて指輪だけでも我が身と共にと、物入れに忍ばせて出て来ていた。 ――もう、会うこともない。 この扉を開け、再び家へと帰り着くことも、もしかしたらもう無いのかもしれない。 結局迷惑ばかり掛け、苦労ばかりさせてしまったことを、今更ながら申し訳なく思う。 そして咲とは一番酷い別れ方をしてしまい、泣いていたという來の言葉が忘れられず、断ち切ろうとしても断ち切ろうとしても、声を押し殺して涙する姿が頭から離れない。 望むことすら罪でも、出来ることならもう一度だけその姿を、この目に焼き付けておきたかった。 そうすれば踏ん切りがつくだろうか、それとも未練ばかりが増していくだけだろうか。 考えたところでどうにもならず、いい加減無駄なことはやめようと思うのに、決めた先からどっと荒波が押し寄せてくる。 全く……、俺はこんなにも未練がましい男だったのか。 「いつまでそこに突っ立ってるつもりだ?」 いい加減もう行こうと、上着の物入れから手を離した時、何処からともなくしっとりとした低音が響いてきて、求めるあまりにとうとう幻聴が聞こえてしまったのかと思う。 ハッとし、そんなこと有り得るはずがないと思うも、掛けられた言葉がいつまでも鼓膜にこびりつき、それは確かに聞こえたのだと理解する。 けれどももし、其処に居なかったら……? その時はいよいよ、頭がおかしくなったのだと思うしかない。 「……咲ッ」 「……葬式にでも行く気か?」 けれども其処には、数えきれぬほどに求めた姿があり、あまりの出来事に一瞬、息することすら忘れてしまう。 門に背を預け、此方を見つめながら佇んでいる者は、紛れもなく咲、その者であった。 薄暗さを増し、この目ではっきりとは見えていなくても、他の誰かと間違えるはずがない。 いつも聞いていた声、淡々とした喋り方、ふわりとした栗色の髪に、あまり変化を見せない表情。 それらが全て、今目の前に存在している。 願っても叶わず、とうに諦めていたいとおしい存在が、記憶では無く実体として、すぐにも触れられそうな距離で佇んでいる。 会いたかった、一度だけでも目に焼き付けたいと思っていた。 けれども何故、今更になって望みを聞き入れられてしまうのだろう。 狂おしい程に嬉しく、今すぐその身を抱き締めてしまいたいけれど、この状況では素直に喜ぶことなど出来ず、最後に大きな関門が出来てしまったと思う。 何故現れた……! もう二度と、お前にあんな想いをさせたくはないのに……。 「何しに来た」 露ほども思っていないことを、口にしなければならない辛さ。 塞がれている門まで進んでいき、その前に立ちはだかる咲へと言葉を掛ける。 あの夜と同じ、冷たく突き放すような淡々とした喋りで、また咲の心を深く傷付けていく。 「此処にお前の居場所は無い。帰れ」 逸らされた瞳、見れば目元が少し赤くなっており、改めて泣かせてしまったという事実が、鋭く胸を貫いてくる。 頼むッ……、このまま何も言わず、お前の在るべきところへ帰ってくれ……。 もうこれ以上お前を……、傷付けたくはない……。 「……別に、好きで来たわけじゃねえ」 視線を合わさず、ボソボソと言葉を紡ぎ出し、自らの意思で来たわけではないと明かす。 「なら何の為に?」 「瑛介たちに……、頭下げられたから……。お前がなんか危ねえことに巻き込まれてるみてえだから、手ぇ貸してやってくれって……」 「……瑛介たちが?」 「じゃなきゃテメエの顔なんか……、見たくもねえっ……」 「……そうだろうな」 どうやら知らぬ間に、瑛介たちが咲へと会いに行っていたらしい。 そのお陰で咲と会え、目に焼き付けられたことを嬉しく思うも、半面は辛さで一杯になっていく。 嬉しい驚きであり、素直に感謝出来ればどれほどいいだろうと、闇に押し潰されそうな背を懸命に支えながら、こんな状況でさえなければと思う。 そしてやはり、咲はあの一件を未だに引き摺っているようで、そっぽを向いている表情の切なさに、胸がぎゅっと締め付けられていく。 「……これから何処に行くつもりだ?」 「お前には関係の無いことだ」 「誰かに会うのか……?」 「関係無いと言っている。分かったらとっとと其処をどけ」 今の俺に出来ることは、お前を傷付けることしかない。 問い掛けに答えず、紡がれた先から容赦無く潰していき、眉を寄せて悲しげに堕ちる表情を、一体後どれだけ見下ろしていればいいのだろう。

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