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「分かった……。全て話す」
身を離し、咲と面と向かい合いながら、健気な想いの全てを受け入れる。
そうして重い唇を開き、許枝との出会いから今に至るまでを、静かに聞き入る咲へと告げていく。
背中にのしかかっていた重圧が、消えはしないけれど少しずつ、棘を落として和らいでいく。
だからと言って決して喜べず、自らが堕ちるところまで彼を道連れにする、罪深い行為であることに変わりはない。
けれども咲の瞳は揺らがず、此方から紡がれる話を終始黙って聞きながら、夜の訪れを迎えていく。
「じゃあお前は……、これからソイツに会いに行くつもりなのか」
「……ああ」
「そうか……」
話を終え、普段の落ち着きを取り戻していた咲が、静かに唇を開いてくる。
期限を迎え、これから許枝の元に単身乗り込もうとしていたことを、咲に問い掛けられて返事をする。
そうして唇を閉ざし、何か考えるように足下を見つめながら、腕組みをして黙り込む。
「ッ……!」
かと思えば次の瞬間、先ほどまでの儚さから一変、強烈な拳が腹部へと叩き込まれていた。
「いっ……! てえぇっ……」
「テメエなアァッ……、何処まで一人で抱え込みゃ気が済むんだ、あァッ?」
一撃を喰らわされるとは思わず、気を緩めていたところに繰り出されたものであった為、それはもう相当の痛みが腹部を襲う。
見れば拳を鳴らし、先ほどまでの健気な姿は全て幻であったかと思う位に、絶対零度を纏う咲が立っている。
やばい……、殺される……。
それはある意味、許枝との対峙よりも遥かに過酷で、変わらず美しいけれど普段の倍、恐ろしい愛しき人の姿があった。
「さ、咲ッ……、ま、待った! 落ち着け! ほら、うるさくするとご近所に迷惑がッ……!」
「ゴチャゴチャうるせんだコルアァッ!!! テメもうここでくたばっちまえ!! そうすりゃ丸く収まんだろ!!」
「ええ!? さっき俺がいないと幸せになれないとか言ってたくせにっ……!」
「言うかボケッ!! 死ねッ!!」
「さ、さっきまでの可愛い咲は一体何処へ……!」
「あァッ!?」
「な、なんでもありませんッ……」
普段も恐ろし、いやとても優しいが、今日はまた素晴らしい愛情を注いでくれたお陰で、許枝との対峙を前に早くもくたばってしまいそうだ。
先ほどまでの可愛らしい言葉の数々は、光の速さで無きものにされ、容赦無く飛んでくる拳を避けるだけでまず精一杯であった。
気持ちとしては当てられて当然なのだが、女子供から繰り出される平手などとはワケが違い、一撃だけでもかなりの威力を持っている。
イコール痛い、を通り越して下手したら死んでしまうのだ。
「ボサッとしてねえでとっとと行くぞ」
「えっ、行くって……、咲ッ……」
「文句つける気か?」
「いえ、ぜんぜん……」
一騒動終え、程好く身体が温まってしまっていた中、咲に腕を取られたかと思えば、ぐいと引っ張って門を開ける。
そして共に行こうとする意思に戸惑うも、衰えを知らないメンチぎりに、言葉を濁すしかないのであった。
けれども心には余裕が出来、状況は全く変わらず不利であるのに、もしかしたら光が見えてくるのではないかと、愚かにも期待を抱いてしまう。
温もりを感じ、痛烈ながらも深い愛情を見せつけられ、もう浮かべられないと思っていた笑みが、自然と表情に添えられていく。
「來に殴られたんだってな」
「え? ああっ……、強烈だった」
静かなる住宅街を歩み、隣を進む咲からポツりと、思い出したかのように紡がれる。
浴びた渾身の一撃は強烈で、暫く痛みが引かなかった程度には力強く、想いの込められた拳であった。
その時のことを思い出し、苦笑混じりに咲へと答えれば、くくっと笑い声が漏らされる。
「えっ!? そこって笑うとこなのか!?」
「ハハッ、ざまあみやがれ。俺を捨てようとすっからだ」
「す、捨てるなんて誤解だ! そんなこと思ったことなんて一度も……!」
「あったらブッ殺す」
「……」
今まさに許枝と会うべく歩みを共にしているというのに、そうとは思えない位に心は安らぎ、これから何処かへと出掛けてしまえるような良い気持ちでいられた。
事態は深刻で、そんな穏やかで安らいだ気持ちなどすぐに、あの男と顔を合わせれば掻き消えてしまうだろう。
だからこそ今この瞬間、咲と心の底から笑い合えていることが尊く、たまらなく幸せで仕方がなかった。
身の振り方はもう、決めている。
言うべきことももう、用意してある。
不利なことに変わりはないが、それでもなんとか足掻いてみたいと、隣で肩を並べる彼に勇気づけられる。
あまりにも幸せで、あまりにも不安な一時が、次第に闇へと溶け込んでいく。
そうして望まぬ再会の時は、刻一刻と迫っていた。
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