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「此処が……?」 完全なる闇と、薄気味悪い静けさだけが、辺りを覆い隠している。 月の無い夜、それはこれからの行く末を暗示しているかのようで、自然と身が強張っていく。 喧騒から一歩外れ、地下駐車場への入口で歩みを止めていれば、咲が少し驚いた様子で声を掛け、チラりと此方を窺ってくる。 「ああ……。意外か?」 「いや、そういうわけじゃねえけど……。埠頭とか倉庫とか、事務所に行くもんだとばっかり……」 「ハハハッ、そうか」 馴染みの深い場所とは、一見するとなんてことはないこの、地下駐車場に違いない。 けれどもそれが、咲にとっては少々意外な場所であったらしく、何事も無く答えながらも何処か釈然としない様子で、地下駐車場への薄闇をじっと見つめていた。 「本当に、いいのか……?」 此処から一歩でも踏み込めば、いよいよもう、後戻り出来なくなってしまう。 意思を知り、その上で此処まで歩みを共にしてきたのだけれど、やはり再度確認せずにはいられない。 単なる地下駐車場への入り口ではなく、其処は許枝の息のかかった領域であり、踏み入れば最後、二度とあの頃のような日々には戻れないかもしれない。 全力で足掻き、未来を得る為に尽力しようと決めたのだけれど、彼の身を危険に曝しては何もならない。 だからこそ、此処まで来てもしかしたら心変わりしているのではないかと、彼に限ってそのようなことは有り得ないと分かっていたはずだけれど、危険から少しでも遠ざけたい想いから、ポツりとそう問い掛けてしまっていた。 「今更なに言ってやがる」 紡がれた答え、改めて迷いなど一切含まれていないことが分かり、喜ぶべきなのか気を落とすべきなのか、真っ直ぐな瞳を向けてくる咲に、そんな場合ではないと知りつつもついつい笑みを溢してしまう。 「愚問だったな。……じゃあ、そろそろ行くか」 前へと向き直り、咲の意思を素直に有り難く受け取りながら、ゆったりと歩を進め出す。 十年前と変わらず、未だ静かに存在し続けている其処は、いい加減記憶の底から葬り去り、忘れてしまいたいことで溢れている。 あの頃はまだ、許枝の名もそれほど知られてはおらず、成り上がる為にシノギを削り、非道なことも数多く陰でやってきた。 頭が切れ、時にはその美貌すら利用して、彼はあざとく、そして確実に巨額の資金を集めていた。 そんな中で、広大で底知れないこの場所は、成り上がる過程に身を置いていた許枝にとって、外部へと漏らしたくないことをするには打ってつけのところであった。 愚かな警備員など取るに足らず、薄汚れた手に束を掴ませてやれば、何があろうとも誰も文句など言わなかった。 腐り果てた世界、善悪の境界すら曖昧で、我が身に潤いさえもたらされれば、モニター越しにどのような凄惨な現場が繰り広げられていようとも、退屈な日常に舞い降りた娯楽として、すんなりと受け入れられていく。 それは片足だけでも浸せば、ヒトに戻ることなど本当に出来ない光景であり、正常な思考を麻痺させるものであった。 「全てが片付いたら、お前に渡したいものがある」 「俺に……?」 「ああ。お前だけに……」 気にすら留めない管理室を通り過ぎ、何年経とうとも此処は汚れた世界であると、抱きたくもない懐かしさに想いを馳せながら、最深部である地下三階へと坂を下っていく。 物入れに収まる指輪が、歩を進める度に静かに揺れる。 随分と遅くなってしまっているけれど、再び心の底から笑い合えた時に、ずっと渡せないでいたこの指輪を捧げたい。 叶うだろうか、果たして願いは聞き入れられるだろうか。 欲張りな望みであり、思い描いた未来へと繋がる確率は、今のところ限りなくゼロに近い。 それでも隣には、記憶の欠片でも幻でもなく、愛しい者が確かに側で歩んでいる。 破滅的な思考はもう、要らない。 都合が良いと、我が侭な想いであると責め立てられてもいい。 諦めの悪い俺は、これからもお前や、子供たちと共に笑い合って生きていきたい。 それを現実のものとする為に、限界すらも超えて、持てる力の全てを出して足掻こうと思う。 それが……、俺に出来る唯一の答えだ。

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