91 / 132

27

「よし、準備出来たな」 振り返り、忘れ物が無いことを確認すると、ベッドから立ち上がって歩こうとする。 「いっ……! ててて……、やっぱりまだ少し痛むなあ」 踏み出したはいいものの、まだ完璧に癒えていない銃痕は、ピリりとした痛みをもたらし、歩行の邪魔をしてくれる。 ――あれから数日後。 病院で適切な処置を受け、一週間ほど入院を余儀無くされていたものの、今日でようやく家へと帰ることが出来る。 柔らかな日差しが射し込み、白く清潔なベッドを暖かく照らしながら、今日の良き日を祝福してくれているようだと思えてしまう。 「よお、準備出来たか」 見れば扉を開け、此方を見つめている咲と目が合い、ぶっきらぼうに言葉を掛けられる。 傷はすっかり癒え、相変わらず綺麗な顔立ちをしている咲が、無表情に室内へと足を踏み入れてくる。 「ああ。早かったな」 「そうか……?」 「そんなに俺に会いたかったのか~?」 「ふざけろボケ、死ね」 「ひどい……」 ベッドに置いていた荷物を取り、隣へとやって来ていた咲が、口では手厳しいことを言いながらも、肩を貸そうと立ち止まってくれている。 そんな姿を見て、幸せに一層笑みを刻み込むと、咲の肩へと腕をまわして歩き出す。 「父さ~ん!」 「あ、親父生きてた~」 「生きてたとか言うなバカ瑛介ッ!!」 通路に出れば、ちょうど此方へと向かっていた息子たちが、階上に現れたところであった。 満面の笑みを浮かべ、手を振りながら駆け出してくる颯太を見て、涙が滲むほどの喜びが突き抜けていく。 またこうして笑い合いながら過ごせる日々が、明日も明後日もその次も、ずっと先に続いている。 「來くん……」 颯太に続き、桐也と瑛介もゆっくりと此方に向かっていた最中、遅れて姿を現した青年につい声を漏らしてしまう。 目が合い、始めこそ無表情に見つめていた來が、ふっと優しく微笑みを浮かべ、立ち止まって待ってくれている。 こんなにも幸せで、本当にいいのだろうか……。 抱き付いてきた颯太の頭を撫で、息子たちと共に廊下を歩きながら、誰もが表情に笑みを浮かべている。 一度は失いかけ、自ら手離そうとしていた全てが、当たり前のように今存在してくれている。 また……、お前たちと笑い合いながら、生きていいんだろうか……。 「もう、馬鹿なこと考えんなよ」 見れば咲が、前を向きながらポツりと言葉を漏らし、首には指輪を下げてくれている。 流石にあのまま指へはめ続けるには抵抗があったのか、それでもなんとか照れ臭さを押し切り、そういった形で身に付けてくれていることがとても嬉しい。 咲なりの愛情を感じ、紡がれた言葉に優しく頷くと、待っていた來と合流して再び歩き出す。 「そういえば……、お前に聞きてえことがあった」 「ん……?」 先へと歩み、大切な者たちを一番近くで見つめていれば、隣からふっと思い出したかのように言葉が漏らされる。 「イロって……、なんだ?」 「えっ……?」 一言で固まり、思わず隣へと視線を向ければ、本当に分かっていないらしい咲が、答えを求めて待っている。 そ、そんな……、まさか……、知らなかったのか咲……! 許枝にイロと言われ、あの時は怒りを抱え込みながらも、なんとか踏みとどまってくれているものだと思っていた。 しかしこの口振りから察するに、何を耐えていたわけでもなく、単に知らなかっただけという、ある意味一番恐ろしい展開が口を開けて待っている。 「アイツが言ってただろう。俺がお前のイロだって」 「えっ! い、いや~……、そんなこと言ってたかなあ」 「言ってただろ。間違い無く聞いた」 「は、はははっ……」 かつては夜に溺れていながらも、心は常に澄んでいたのだということが、この会話から改めて分かる。 しかしこの場合、知ってくれていたほうが、嬉しかったというべきか……。 なんと言って切り抜けたらいいか分からぬまま、とりあえず笑ってごまかそうとしてみるも、逃す気などないことは容易に伝わってきていた。 「ああ、兄貴。イロっつーのはなあ~」 「知ってんのか來!」 「あ~!! ら、來くん待った!!」 「女ってことだぜ! 兄貴ッ!!」 そうして爽やかに笑いながら、一番分かりやすい言葉で來が、この良き日に爆弾を投下してくれる。 ら、來くん……、言っちゃった……。 上機嫌に答えを紡ぎ、息子たちと笑い合いながら先へと進む姿を見て、今非常に隣を見ることが恐ろしく思う。 「秀一……」 名を呼ばれ、嫌な予感を背中に貼りつかせながらも、怖々咲のほうへと向いてみる。 「許枝んとこに行くぞ」 「ええッ!? な、なに言ってんだ咲ッ!!」 「テメエこそなに言ってやがる! アイツん中で今俺はなァッ、テメエの女扱いなんだぞ! くっ……! 分かってりゃあん時殴りかかったものを……!」 やっぱりか……!! やはり咲の性格上、イロを女だと確実に知っていたならば、あそこで殴り掛かるという選択肢が、行動に移すかは別としてもしっかりと存在はしていたらしい。 いや、だからってそんな……、撤回させる為にわざわざまた許枝に会いに行くだなんて……、命が幾つあっても足りない……。 「……まあ、んなことしねえけど……」 「咲……」 「今はな」 「今はって……!?」 いつかは行く気なのかと、不穏な言葉に冷や汗が出そうになるも、自然と刷かれた笑みを分け合い、また和やかな日常へと戻っていく。 何事も無く、これから先も彼等と共に歩みながら、夢ではなく現実として、幸せを一層噛み締めて生きていけることであろう。 けれどももしかして、呆れ果てた許枝と顔を合わせる時も、そう遠くはない未来に用意されているのかもしれない。 俺が代わりに謝るから、もう許枝と会うのはよそう、咲……。 果たしてその願いは、聞き入れられることやら――。 《END》

ともだちにシェアしよう!