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「よし、準備出来たな」
振り返り、忘れ物が無いことを確認すると、ベッドから立ち上がって歩こうとする。
「いっ……! ててて……、やっぱりまだ少し痛むなあ」
踏み出したはいいものの、まだ完璧に癒えていない銃痕は、ピリりとした痛みをもたらし、歩行の邪魔をしてくれる。
――あれから数日後。
病院で適切な処置を受け、一週間ほど入院を余儀無くされていたものの、今日でようやく家へと帰ることが出来る。
柔らかな日差しが射し込み、白く清潔なベッドを暖かく照らしながら、今日の良き日を祝福してくれているようだと思えてしまう。
「よお、準備出来たか」
見れば扉を開け、此方を見つめている咲と目が合い、ぶっきらぼうに言葉を掛けられる。
傷はすっかり癒え、相変わらず綺麗な顔立ちをしている咲が、無表情に室内へと足を踏み入れてくる。
「ああ。早かったな」
「そうか……?」
「そんなに俺に会いたかったのか~?」
「ふざけろボケ、死ね」
「ひどい……」
ベッドに置いていた荷物を取り、隣へとやって来ていた咲が、口では手厳しいことを言いながらも、肩を貸そうと立ち止まってくれている。
そんな姿を見て、幸せに一層笑みを刻み込むと、咲の肩へと腕をまわして歩き出す。
「父さ~ん!」
「あ、親父生きてた~」
「生きてたとか言うなバカ瑛介ッ!!」
通路に出れば、ちょうど此方へと向かっていた息子たちが、階上に現れたところであった。
満面の笑みを浮かべ、手を振りながら駆け出してくる颯太を見て、涙が滲むほどの喜びが突き抜けていく。
またこうして笑い合いながら過ごせる日々が、明日も明後日もその次も、ずっと先に続いている。
「來くん……」
颯太に続き、桐也と瑛介もゆっくりと此方に向かっていた最中、遅れて姿を現した青年につい声を漏らしてしまう。
目が合い、始めこそ無表情に見つめていた來が、ふっと優しく微笑みを浮かべ、立ち止まって待ってくれている。
こんなにも幸せで、本当にいいのだろうか……。
抱き付いてきた颯太の頭を撫で、息子たちと共に廊下を歩きながら、誰もが表情に笑みを浮かべている。
一度は失いかけ、自ら手離そうとしていた全てが、当たり前のように今存在してくれている。
また……、お前たちと笑い合いながら、生きていいんだろうか……。
「もう、馬鹿なこと考えんなよ」
見れば咲が、前を向きながらポツりと言葉を漏らし、首には指輪を下げてくれている。
流石にあのまま指へはめ続けるには抵抗があったのか、それでもなんとか照れ臭さを押し切り、そういった形で身に付けてくれていることがとても嬉しい。
咲なりの愛情を感じ、紡がれた言葉に優しく頷くと、待っていた來と合流して再び歩き出す。
「そういえば……、お前に聞きてえことがあった」
「ん……?」
先へと歩み、大切な者たちを一番近くで見つめていれば、隣からふっと思い出したかのように言葉が漏らされる。
「イロって……、なんだ?」
「えっ……?」
一言で固まり、思わず隣へと視線を向ければ、本当に分かっていないらしい咲が、答えを求めて待っている。
そ、そんな……、まさか……、知らなかったのか咲……!
許枝にイロと言われ、あの時は怒りを抱え込みながらも、なんとか踏みとどまってくれているものだと思っていた。
しかしこの口振りから察するに、何を耐えていたわけでもなく、単に知らなかっただけという、ある意味一番恐ろしい展開が口を開けて待っている。
「アイツが言ってただろう。俺がお前のイロだって」
「えっ! い、いや~……、そんなこと言ってたかなあ」
「言ってただろ。間違い無く聞いた」
「は、はははっ……」
かつては夜に溺れていながらも、心は常に澄んでいたのだということが、この会話から改めて分かる。
しかしこの場合、知ってくれていたほうが、嬉しかったというべきか……。
なんと言って切り抜けたらいいか分からぬまま、とりあえず笑ってごまかそうとしてみるも、逃す気などないことは容易に伝わってきていた。
「ああ、兄貴。イロっつーのはなあ~」
「知ってんのか來!」
「あ~!! ら、來くん待った!!」
「女ってことだぜ! 兄貴ッ!!」
そうして爽やかに笑いながら、一番分かりやすい言葉で來が、この良き日に爆弾を投下してくれる。
ら、來くん……、言っちゃった……。
上機嫌に答えを紡ぎ、息子たちと笑い合いながら先へと進む姿を見て、今非常に隣を見ることが恐ろしく思う。
「秀一……」
名を呼ばれ、嫌な予感を背中に貼りつかせながらも、怖々咲のほうへと向いてみる。
「許枝んとこに行くぞ」
「ええッ!? な、なに言ってんだ咲ッ!!」
「テメエこそなに言ってやがる! アイツん中で今俺はなァッ、テメエの女扱いなんだぞ! くっ……! 分かってりゃあん時殴りかかったものを……!」
やっぱりか……!!
やはり咲の性格上、イロを女だと確実に知っていたならば、あそこで殴り掛かるという選択肢が、行動に移すかは別としてもしっかりと存在はしていたらしい。
いや、だからってそんな……、撤回させる為にわざわざまた許枝に会いに行くだなんて……、命が幾つあっても足りない……。
「……まあ、んなことしねえけど……」
「咲……」
「今はな」
「今はって……!?」
いつかは行く気なのかと、不穏な言葉に冷や汗が出そうになるも、自然と刷かれた笑みを分け合い、また和やかな日常へと戻っていく。
何事も無く、これから先も彼等と共に歩みながら、夢ではなく現実として、幸せを一層噛み締めて生きていけることであろう。
けれどももしかして、呆れ果てた許枝と顔を合わせる時も、そう遠くはない未来に用意されているのかもしれない。
俺が代わりに謝るから、もう許枝と会うのはよそう、咲……。
果たしてその願いは、聞き入れられることやら――。
《END》
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