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「やあやあやあ! おはようおはよう!」 淹れたての珈琲を手渡し、居間で秀一と立ち話をしていたところで、開かれた扉から賑やかな声が飛び込んでくる。 「おはようじゃねえよ、バカ。何処行ってた」 マグカップを手にし、ダイニングテーブルへ浅く腰を掛けながら、入室してきた瑛介へと溜め息混じりに言葉を掛ける。 しかしながら当の本人と言えば、悪びれる様子もなく緩やかに手を振っており、満面の笑みを湛えながら此方へと近付いてくる。 どうやら空が白んできた頃に帰宅し、つい先ほどまでぐっすりと眠りに就いていたようであり、いつもと変わらぬ軽快な足取りですぐにも目の前へとやって来る。 「いやー、映画観たらすぐ帰るつもりだったんだけど、どうしても桐也がまだ帰りたくないって言うからさー! 少しでも長く俺と二人きりで居たいらしくて!」 陽気に笑いながら言葉を並べ、余程楽しい一時を過ごせたのであろう、とてもご機嫌な様子で饒舌に話を進められる。 紡がれる出来事を聞きつつ、時おり温かな珈琲を口にしながら、傍らでは秀一が笑みを浮かべている。 別段気にするような素振りも見せず、彼等が遅くまで家を空けていたことに対して、特に叱ろうという気持ちは今のところ無いようだ。 しかしながら此方としては、厳しく指導するというところまではいかないものの、出来ることならばあまり深夜に街中を徘徊してほしくはないと思っている。 とやかく言えるような立場ではなく、自らも家を空けてあちらこちらを放浪していたような身であり、瑛介や桐也などよりも相当質が悪い。 けれども、そういう過去を持ち合わせているからこそ、どういう者たちが夜の闇に紛れて手ぐすねを引いているか熟知しており、いつ何処で不測の事態に巻き込まれるか分からない。 要は、単に心配しているのだ。そんなことはとても、面と向かって素直になんて言えないのだけれど。 「おい……、何処の誰が帰りたくねえだとコラ。ペラペラペラペラ勝手なことばっか言いやがって……、そもそも帰りたくねえっつったのはお前の方だろうが! 俺はずっと帰って寝てェっつってただろ!!」 過去の行いを棚に上げ、彼等が好きなように過ごすことは認められないだなんて、あまりにも都合が良過ぎる話だと思う。 けれどもなかなか受け入れきれず、本当のところ秀一はどのように考えているのだろうかと考え始めていた頃に、次いで入室してきた桐也がバッサリと瑛介の発言を切り捨てる。 「素直じゃねえなあ、お兄ちゃんは! そんなこと言いつつも、本当はスゲェ嬉しかったくせにー! 俺と二人きりで居られるなんてラッキーだねー! この競争率の激しい俺と!」 「気持ち悪ィ呼び方すんじゃねえ! 思い付きで人振り回すんじゃねえよ、バカ! へったくそな歌散々聞かせやがって!! 寝ちまおうかと思えば叩き起こしやがるしああクソ腹立ってきた! 大体テメエあん時なー!」 「……おい」 半ば呆れ顔で呼び掛けてみるも、当然のことながら二人は全く気付く様子もなく、兄弟喧嘩という名のじゃれ合いに興じている。 なんだかんだと日頃から言い争いが絶えないものの、兄弟仲は至って良好であるらしく、昨夜のように時おり二人で外出していた。 「ねえねえ、咲ちゃん」 繰り広げられる攻防を見つめ、まだまだ言ってやりたいことは多々あるし、二人まとめて怒ってやりたいところなのだけれど、自然と微かなる笑みを湛えながら珈琲を飲んでしまい、そんな時に何処からともなく柔らかな声を掛けられる。 衣服をくいと引っ張られ、視線を下ろせば笑みを浮かべている颯太が居り、騒ぎを聞き付けでもして自室から出てきたのだろうと思う。 「どうした……?」 傍らに立ち、じっと此方を見つめている颯太と視線を合わせながら、落ち着いた口調で問い掛ける。 「あのね、咲ちゃん。もしかしたら夢かもしれないんだけど……」 少し迷っている様子で、自分でも夢か現実か定かではないらしく、時おり視線を彷徨わせながら問い掛けを紡いでいく。 そのような姿を見て、何を思うでもなく秀一と黙して視線を合わせつつ、一体どうしたのだろうかと珈琲を口にする。 瑛介と桐也と言えば、いつの間にか口喧嘩から追いかけっこへと発展したらしく、威勢の良い声と共にバタバタと階段を駆け上がる音が聞こえてくる。 「咲ちゃんて昨日、遅くまで起きてた……?」 「……え?」 予想外の台詞を紡がれ、昨日、遅くまで起きてたという言葉だけですんなりと昨夜のことを包み隠さず思い出してしまい、思考が遅れて間の抜けた声を漏らしてしまう。 「いや、早かったな。俺が寝る頃にはもう夢の中で、ぐっすりだったぞ」 よく言うぜ……、とは思いつつも、助け船を出されたことへは素直に感謝し、一切の動揺すら滲ませずに紡ぎ出された秀一の言葉を聞いて、やっぱり夢だったんだなあと颯太が一人で納得するように呟く。 しかし此方としては気が気ではなく、一体どのような経緯を経てあのような質問をするに至ったのかと、知りたいようで知りたくはない複雑な心境に陥る。 「それならいいんだ! なんか咲ちゃんが泣いているような声が聞こえた気がしたから!」 「……!」 「ハハハ、泣いてる声……ね」 無邪気に笑う颯太から、明らかに夢ではないだろうことが窺える爆弾が投下され、珈琲を取り落としそうになりながら瞬間ピシッ!と身を固まらせる。 颯太としては、夢と現実の狭間で聞こえたような気がする程度の認識なのだけれど、此方としては身に覚えがあり過ぎて頭の中が真っ白にフリーズしてしまう。 傍らでは秀一が笑みを刷き、なんとか事を荒立たせずに流してはいるのだけれど、完全に戦闘不能にされてしまった此方を見て、どう切り抜けてやるべきかと考えている。 「うん。トイレ行こうとしてた時に聞こえた気がして、でも眠かったし、戻ってまたすぐ寝ちゃったから……、う~んやっぱり夢だよね! 咲ちゃんが泣いてるわけないもん!」 「そうだな、夢でも見てたんだろう。でも咲の夢が見れるなんて羨ましいなー! 俺も見たい!」 「へへ、いいでしょー! よく覚えてないけど!」 上手いこと話が逸れ、九死に一生を得られたとは思うも、すでに限界を突破しているダメージに暫く再起不能となり、桐也と瑛介の夜遊びの件ですら一時的にどうでもよくなる。 流された自分も悪ければ、元より拒んでもいないのだけれども、このようなことになろうとは思わず思考がどんどん絡まりを増していく。 「あ、でも……、父さんのこと呼んでたような……」 う~んと腕組みをしながら考え、そのようなことを紡ぎ出してしまう颯太にハラハラしつつ、一刻も早く忘れさせてしまわなければと思う。 上二人についての今後の処遇よりもまず、真っ先に取り掛からなければいけない難題が現れたようであり、なるべく顔を俯かせながら静かに珈琲を飲んでみる。 つい先ほどまでは美味しく感じられた珈琲の味が、今は香りすら全くもって楽しむことが出来ず、ただただ喉元を静かに通り過ぎていく。 どう収めるべきかと必死に頭を悩ませ、頬を染めないよう懸命に心を落ち着かせながら颯太の一言一句に注目し、暫くはハラハラと安寧に身を委ねることは出来そうもない。 振り払おうとすればする程思い出してしまう記憶から出来るだけ遠ざかり、自らが蒔いてしまった種に芽が出ないことを懸命に祈りつつ、今は石のように固まりながら秀一の頑張りに全てを託すしかなかった。 《END》

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