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呑み処東雲2 第14話

「おじゃましまーす」  狭い玄関は、靴でいっぱいになった。男物が四組、女物が一組、そして自分と丈の靴だ。 「なんでうちなんだよ」  不服そうに呟く丈は、それでも玄関先で彼らを追い返すようなことはしないのだから、無茶を言うほうも言われるほうも、きっとお互い信頼があるんだろう。 「お前ん家のほうが広いだろ」 「似たようなもんでしょ。それにうち、調理器具ないし」  無表情に答えた崇は、両手に提げたビニール袋を丈に押しつける。中には缶ビールや缶チューハイ、ジュースやお茶のペットボトルも見える。 「やっぱ丈さんちが一番ふさわしいよ。鍋パも楽しかったし」 「あれもお前らが急に上り込んできたんだよ」 「その節はお世話になりました」 「朝倉、お前はもう少しエディを抑える努力をしろ」 「善処します」 「けど、今回はちゃんと、前もってお願いしたでしょ?」 「日夏がな」 「功労賞はひなっちゃんだよね。どんなふうにお願いしたの?」  にこにこと尋ねられ、思わず口ごもってしまう。 「色仕掛けだ」 「わー、そっかー、そうなんだー、丈さんうらやましいなー」  エディは冗談に冗談で返しただけなのだろうけど。日夏は頬が赤くなっていないか気にしながら、最後尾で丈の背中に隠れたまま両頬を押さえた。挑発というか誘惑というか、交換条件に提示されたのは、確かに色仕掛けと言える部類のことだと思うから。いや、正確にはまだそれはただの口約束で、一部先払いの名残が唇を痺れさせている幻覚が消えきらない。 「エディ、これ出してもいいか?」 「うん。ちなみに浩輔さん、使い方わかる?」 「わかるわけないだろ。お、説明書入ってんな」 「あ、浩輔さんって説明書ちゃんと読む人?」 「読まなきゃわかんねーだろうが」 「……雪絵ちゃん、大事にしなよ」 「ちょっと、私だって絶対読まないわけじゃないんだからね」 「浩輔、お前もう農場とやらはいいのか?」 「いえ。三月いっぱいまでの契約なんですけど。こんな珍しいこと、休みもらって参加するしかないでしょ」  たこ焼き器を中心にわいわい話し合うメンバーから離れ、台所で彼らが行きがけに調達してくれた材料を広げる。  卵、天かす、茹でだこ、ねぎ、基本の材料もそこそこに、明太子、ウィンナー、チーズ、コーンあたりの定番から、キムチ、餅、ブロッコリーやミニトマト、さらにデザート用なのだろうホットケーキミックスにチョコやキャラメル、バニラアイスまである。下準備をしようと思ったものの、紅しょうがも刻まれたタイプだし、ほとんどやることがないかもしれない。 「ほらほら、ひなっちゃんも座ってて」  明るい声に振り向くと、エディと、その後ろから雪絵が顔を出した。  ミリタリーのパーカーを腕まくりしたエディも、長い髪を一つにまとめた雪絵も、やる気に満ちた顔だ。 「お台所、借りてもいい?」 「えっと、俺は……いいですけど」 「丈さんはいいって言うに決まってるじゃん。功労賞のひなっちゃんは、座って食べる係だよ。あとは俺らに任せて」 「でも」 「ねえ、エディはたこ焼き作ったことあるの?」 「雪絵ちゃんは?率先して立ったけど」 「お好み焼きならあるから大丈夫。ほら、お店の鉄板で作るやつ」 「俺もある。うん、大丈夫だね」 「あの、でも」 「いいのよ、遠慮しないで」 「でも。俺も、一緒に作りたいです」 「……もー」 「ひなっちゃんってばー」 「天使」  美男美女に両側から抱き締められ、今度こそ、頬が熱くなった。  コンセントが届かずに炬燵を少し移動しなければならなかったが、忘年会の景品のたこ焼き器は結構優秀だった。熱して油をひいて、表記どおりに混ぜた生地を流し込み、待つ。練習で作った最初の数個は、形こそ悪かったが、味は間違いなくたこ焼きだった。 「かんぱーい」  エディの音頭で、日夏はオレンジジュースのグラスを、それ以外は缶ビールを掲げる。 「ん、あっつい」 「あっつい、でもうまい」  熱々のたこ焼きを頬張り、酒やジュースで流し込み、好きな具を入れてまた焼く。  外はカリカリで、中はちゃんと柔らかくて、出汁がきいていておいしい。子供っぽいと自分でも思うけど、明太餅チーズとか、ウィンナーとコーンとか、そういうのばかり気に入って食べてしまう。丈はといえば、口も手も出さず、ただビールを煽りつつ出されるものを食べている。 「丈さん、何入れます?」 「なんでもいいよ、食えれば」 「丈さんに食えないもんなんてなくない?」 「お前のに石でも入れてやろうか」 「なんでそこまで言われるの?俺は石ではなくウィンナーを入れます。あっちゃんは?」 「明太子にしようかな」 「私、ブロッコリー」 「これ買ったの、雪絵ちゃんかあ」 「浩輔さんは?」 「キムチ追加で」  中にはそれほど合わない組み合わせもあったが、丈が言うように食べられないものはなく、一口のたこ焼きにも好みが出て面白かった。ずっと見ていたみたいだけど、たぶん丈は、たことネギのスタンダードなやつを一番よく食べていたと思う。具材だけでなく、トッピングやソースも色々な組み合わせがあって、定番のソースと鰹節はもちろん、チーズ系にはマヨネーズとケチャップを混ぜたオーロラソースが合うことがわかった。  酔いの回ってきたエディや浩輔が、わさびやフリスクを混ぜはじめて遊びだす一幕があったが、丈のごく静かな叱責のあと、作った張本人たちの胃袋に収まった。フリスクをレジかごに入れたのは崇だと二人の告発で明らかになったが、当人は素知らぬ顔のままだった。  最後に、密かに楽しみにしていたデザートは、雪絵と二人で作ることになる。他のメンバーは既に満腹そうで、酒に弱い浩輔はさっきからうとうとしている。  たこ焼き器にホットケーキミックスを流し入れて、チョコ、キャラメル、マシュマロの三種類を作る。皿に出したそれに、冷凍庫に避難させていたバニラアイスを添えて、冷蔵庫のメープルシロップをかけると、そこそこ上等なデザートが仕上がった。  たこ焼き器をテーブルから下ろし、空き缶を片付けて、人数分のインスタントコーヒーを淹れる。新調した色違いのマグカップを見られるのが恥ずかしくて、一度出したものの食器棚に戻してしまった。  デザートたこ焼きを半分に割ると、とろりとチョコレートが溶け出す。 「おいしい」  異口同音に雪絵と呟いて、思わず顔を見合わせて笑った。 「これ、お店のデザートにしてほしいなあ」 「うち、デザートはほとんどないですしね」 「東雲にたこ焼き器導入する?譲るよ?」 「ちゃんと持って帰れよ」  昼前に始まったたこ焼きパーティーが終わったのは、夕方になってからだ。  いいと言うのに朝倉が皿を洗ってくれて、残った材料はありがたくこの家の食糧になった。とりあえず、切ってしまった茹でだこは早々に炊き込みご飯にしようと思う。 「じゃ」  片手を挙げて、崇が階段を下りて行く。 「またねー」  最後までたこ焼き器を置いて帰ろうとしていたエディは、紙袋を抱え、朝倉に介護されながら歩き出す。 「ごめんね、お待たせ」  靴のストラップを留めるのに手間取っていた雪絵と、彼女に手を貸していた浩輔が、最後に玄関を出る。階段の下まで見送り、二人に手を振り返し、やがてその後ろ姿は見えなくなった。  カン……カン……少し気怠いリズムで階段を下りてくる、サンダルの乾いた足音。  振り向くと、咥え煙草の丈が、煙をなびかせながら口の端で笑っている。 「あいつらは、揃うとほんとに騒がしいな」 「うん」 「お前は?楽しかったんだろ?」 「うん」 「よかったな」 「……うん」  丈のスウェットの袖口を引っ張ると、すぐに手を握り返される。そのまま手を繋いで、二人でゆっくりと階段を上った。    窓を全開にした居間には、夕暮れの冷たい風が流れ込んでいる。まだたこ焼きとビールのにおいは消えないが、もう騒々しいくらいの人の声はなく、どこか寂しさを感じる。そんな気分が顔に出てしまったのだろう、慰めるようにごく軽く日夏の頭を撫でる丈に、知らず身体を寄せる。逞しい胸に抱き込まれ、うっとりと顔を上げると間近に丈の顔があり、濃い眉の下、落ち窪んだ瞳が揶揄うように細められるから、そっと目を瞑った。 「……ん」  唇が触れ、 「……ん、む」  きつく重なる。  腰を抱かれ、踵が浮き、ぐんと力強く持ち上げられる。 「いいことしてくれるんだって?」 「……うん」  悪戯っぽく見上げてくる丈の目蓋に一度、それからまたすぐ唇にキスをする。  今日、この部屋をパーティー会場にする引き換えに、彼は日夏に「いいこと」をする約束をさせた。先払いしたキスより、もっといいことだ。最後まで文句を言っていたけど、たぶん最初から断る気はなかったんだと思う。だから交換条件なんて、きっといつものように自分を揶揄っているだけなんだ。そんなのに価値があるなら、いくらでも、いつでも、したいって思ってるのに。 「……丈さんの」 「うん?」 「丈さんの、したいこと……して」  ぎゅっと首に抱きついて、彼の耳朶に歯を立てた。

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