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第30話

「クリスマスのメニューって、いざ考えるとなかなか思いつかなくて。せっかくの機会なのにいつもと同じメニューじゃつまらないし、かといってクリスマスの定番すぎるのも違うなって思って……いつもよりちょっと特別で、でもやりすぎないようにするのって難しいですね」  はにかみながら菜箸を動かす日夏の手元を、興味深そうに覗き込んでエディが言う。 「ちょっとじゃなくて、すっごく特別でも全然構わないのに」 「お前みたいなのにはもったいない」 「みたいなの、ってなにさ」  わざとらしく言葉尻を捕えて茶化すエディを黙殺し、盛り付けの終わった皿をカウンターに出す。 「考えてもみろ、うちでこんなのが出るんだぞ?」 「そうだね……最近忘れがちだったけど、ちょっと前はこんなにおしゃれでしかもおいしい、大事なことだから二回言うけどおいしい料理は出なかったよね。茶色くて醤油の味がするやつばっかだったもんね」  常連客の筆頭である彼は神妙に頷いて、色鮮やかな前菜を摘み上げた。 「わー、可愛い」  雪絵も手を組んで目を輝かせている。  最初の皿は、三種類のカナッペだ。薄く切ったフランスパンを軽く焼いて、一種目はその上にクリームチーズとアンチョビ、半分に切ったミニトマトを乗せ、バジルソースをかけてある。二種目は、キュウリとサーモンとスライスした玉ねぎを、きれいに重ねて盛り付けたもの。三種目は、海老とアボカドに見栄えよくマヨネーズを垂らしてある。 「色だけですけど、クリスマスのイメージです」  それが悪いことでもあるのだろうか、料理人はひたすら申し訳なさそうにするばかりである。 「すっごく可愛いわ、食べるのもったいない」 「と言いながら真っ先に食べるんだね」 「当然じゃない――うーーーん、おいし」  彼女の感嘆を合図にしたかのように、全員がカナッペを口に運ぶ。しばしの咀嚼音の後、それぞれの幸福そうな声が上がる。個人的には、アンチョビの塩気とバジル香りの効いたものが一番好みだ。 「どれもおいしいよ、ひなっちゃん」  簡潔かつ的確に評したのは朝倉で、彼はにこやかにその視線を横合いにずらす。 「クリスマスといえば、エディの故郷が本場じゃない?」  相方の問いに、ソースの付いた指を舐めつつ、金髪碧眼のハーフはうんざりしたように答えた。 「あっちゃん、俺の故郷はスウェーデンだよ。サンタ発祥の地はフィンランドだよ。ていうか知ってると思うけど、俺は生まれも育ちも日本だよ」 「ごめんごめん、そうだった。スウェーデンとフィンランドって似てるよね」 「その漠然とした北欧観を否定はできない。できないけど、別物だよ。言語だって全然別の系統なんだからね?」  語学講師を生業にするくらいだ、言語マニアの一面もあるであろう彼はしかし、以前にきっぱりとこう言い放ったはずではなかったか。 「そう言うお前だって、英語でお願いします、だろ?」 「まあねー」  イデオロギーはさて置き、現実的に世界標準語は英語だ。当事者になればなるほど実感する。フランス語の翻訳に関するメールのやりとりを英語で行う、などというのもよくある話だった。 「あ、いけない。丈さん、これ冷蔵庫に入ります?」 「ん?」  カナッペに舌鼓を打っていた雪絵が、急に腰を屈め、見慣れないビニール袋を差し出してくる。 「ケーキです。クリスマスケーキじゃなくて、アラカルトですけど。こないだ言ってた、お薦めのカフェで買ってきたんですよ。デザートに食べましょ」 「こないだのって……今日行ってきたんじゃないのか?」 「ランチは別のお店にしました。ほんとにおいしいケーキだから、皆で食べたくって」 「悪いね」 「いえいえ」  気遣いに感謝しつつ、ビニール袋を受け取る。なんと気の利くことだろう。案外似合いかもしれないと一度は思ったが、やはり浩輔には過ぎた女かもしれない。その後輩はというと、意味ありげににやついて、雪絵に見咎められている。 「もう、浩輔さん」 「なになに?二人にしか判らないことしないでよ~」  だらしなく崩れた強面は見る者誰の得にもならないが、エディの茶々入れにさらに恥ずかしそうにはにかんだとあらば、それはもう、なんの得にもならないなどという消極的な表現では済まない。丈の内心など知る由もなく、緩んだ片頬を撫でながら浩輔が言った。 「いや、女性の別腹ってのはすげえよな。俺は一日一個でじゅうぶんだわ」 「もう、もう、なんで言っちゃうんですかぁ、丈さん達に呆れられちゃう」 「あ、いや、すんません」  なるほど、差し入れのケーキがあろうとも、ランチの後のデザートは欠かさなかったということか。別腹機能を持たない身としては、呆れるより感心するばかりだ。 「そんなことないですよ。俺もおんなじことすると思います」 「日夏くぅん……」  甘党の日夏から慰められ、拗ねた振りの雪絵がころりと機嫌を直す。その結果、日夏はいつもながら浩輔の不興を買うことに成功したようだ。 「じゃあ、俺とあっちゃんからも差し入れね」  今度はエディが足元を漁り始める。 「なんだ、皆して」 「じゃーん。シャンパン」 「と、ひなっちゃん用にシャンメリー」 「もう冷えてるから、飲み頃だから、ぜひ今すぐに開けてほしいなあ」 「と、エディも言っています」  口々に言いながら、エディが両手に握ったボトルをこちらに押し付けてくる。丈はため息を吐いて、カウンター席の面々を睥睨した。 「お前らがただ欲望のままにあれこれ持ち込んできたってことは、よく判ったよ」 「まあまあ。さあ丈さん、開けて開けて」 「もう自分で開けろ」  要求を片手で払い落とした丈に、エディはめげずに食い下がる。 「違うよー。あれやって、あれ」 「あれ?」 「ああ、もしかして」  不思議そうな眼差しを向けるのは、日夏と雪絵。期待に満ちた目で見つめてくるのがエディと朝倉――それから崇もだ。ややあって思い当たったのだろう浩輔が声を上げると、意を得たりという顔をしてエディが頷いた。 「そう、サブレ!」  日本語では同じ発音になるらしいが、ビスケットの類の菓子を示すサブレとは綴りが違う、別のフランス語がある。サーベルの意味を含むその言葉は主に「シャンパンをサブレする」というまさしくこのような状況下で使われる、特殊な用語だ。  軽い頭痛のようなものを感じる。丈は眉間を揉みながら、首を振った。気乗りしないことを最大限表現したつもりであるが、念のため言語化もしておく。 「やだよ」 「なんで。減るもんじゃなし」 「減るだろ、失敗したら」 「丈さんなら大丈夫だって」 「お前よく、根拠もなくそんなこと言えるな」 「あの、丈さん」  遠慮がちではあったが、押し問答を遮る程度の効果はある。丈は気を取り直して、見上げてくる日夏に応えた。 「ああ、悪い。エディがつまらんこと言うから」 「つまんなくないじゃん。ひなっちゃんだって見たいでしょ?丈さんのサブレ」 「その、サブレって」 「刃物でシャンパンのコルクを、こう、ボトルごと落とすやつ。動画とかで見たことないか?」  丈のジェスチャーを目で追って、日夏がぱっと顔を上げる。 「あ、あるかも――てか、できるんですか?」 「まあ、今んとこ失敗率は低いって程度だ」 「俺が見た限り、百パー成功してるよ」 「前に一回やったきりだろうが」  あの時、自分も強かに酔っていたのだったか。迂闊にもこの男の前で披露してしまったことを、今さらながら苦々しく思う。栓抜きでコルクを開けるのでなく、刃物を使って一瞬でボトルの首を跳ね落とすサブレは、その華々しさから余興としてかなり受けの良い、いわば丈の隠し芸だ。幸い大失敗をしたことはないが、間違えればボトルが粉砕してシャンパンがお釈迦になるし、運悪く何針か手を縫うはめになることも考えられなくはない。リスクに対してリターンは少なく、せいぜい皆の拍手喝采を得られる程度という、個人的には素面でやるものでないと思える芸である。 「おい、お前ら」  短い物思いの間にも、準備は着々と進んでいた。手分けしてカウンターの皿をテーブル席に避難させ、浩輔が日夏に命じてさらにシャンパングラスを用意させている。栓を落とした瞬間から少なからず中身が溢れ出すので、すぐに注がないと分け前が減ることをこの後輩は知っているのだ。 「ちなみにだけど、わりと高かったね、あっちゃん」 「そうだな。いくらとは言わないけど、自分一人だったら絶対出さない値段だったな」 「あのなぁ……」  そもそもこのクリスマスパーティーとかいうふざけた催しを開くにあたって自分には拒否権がなかったことを考えると、あくまで丈にとって理不尽という点ではむしろ一貫しているかもしれない。いつもなら最後の良心であるはずの日夏さえ、いそいそと包丁を差し出してくるのだから。 「あ、刃こぼれとか」  彼を料理人として雇うまで砥がれることのなかった包丁だが、今やまめな手入れのおかげで驚くほどよく切れるようになった。無関心な所有者より、愛着ある包丁の方が心配なのはもっともなので、丈は口をつきかけた文句を飲み込んだ。 「安心しろ、使うのは刃じゃなくて峰のほうだから」 「峰で?切れるんですか?」 「成功すればな。ほら、お前も向こう行ってろ」  フィルムと針金を外し、いざ右手に包丁、左手にボトルを構える。複数の指笛が飛んでくる方向を一瞥し、誰もいない方へ先端を向ける。  儀式はあっけないほど一瞬だ。  縦に入ったガラスの接合部分に沿って峰を滑らせ、注ぎ口のふくらみに当てるだけ。切るというより、感覚的には折るとか落とすに近い。  シャッ、とガラスの擦れる音に続き、スポッ、と栓の外れる破裂音。 「サブレー!」  陽気なエディの掛け声に続いて、歓声と拍手が上がる。中身が溢れ出す前に、丈は適当にグラスにシャンパンを注いだ。サブレは成功だ。 「満足か?」 「もちろん!」 「栓、そっちに落ちたから拾ってくれ」 「はーい」  ボトルの首は、カウンターを越えて床に落ちている。 「丈さんすごーい!」  雪絵の惜しみない拍手に黙礼し、一番多く入ったグラスを彼女の方へ差し出す。目を丸くしたまま立ち竦んでいる日夏は、さながら自動人形のように呆然と拍手をしていた。 「かっこよかったろ?」  冗談めかして尋ねると、 「はい」  真剣に頷くので、堪らずに笑ってしまった。  購入者達が言うところの高級シャンパンは、程よく辛口でフルーティーな味わいがあるような気がするが、高い酒など滅多に飲まない舌ではそれ以上の評はできない。ともあれうまい、という感想で全会一致したところで、タンドリーチキンが焼き上がった。  さらに、初挑戦だというニョッキをきのこのクリームソースで絡めた一品、色鮮やかな手毬寿司と、ついぞ東雲で出したことのない料理が続けざまに出る。どれも小洒落ていて珍しいメニューだが、ニョッキの主な材料はじゃがいもとこの冬やたらと安いきのこ類、手毬寿司に至ってはフランスパンが酢飯に変わっただけでカナッペとほとんど同じ材料という妙技だ。少ない予算と材料で、よくもまあ、あれこれ考えるものである。あれこれ考える上に気も利く日夏が残ったじゃがいもを揚げていたところ、他の食材のリクエストが入り、求めに応じてありあわせの天ぷらまで提供することになった。   「プレゼント交換しまーす」  一晩も経たずして、多少の突拍子もないことになら動じないだけの耐性がついたらしい。カウンターの向こうで各人がごそごそと荷物を取り出すのを、丈はなんとなく悟った気持ちで眺める。 「まわしてく方式じゃなくて、全員から全員へ渡すので、一人当たり三百円くらい――ただし高い分には自己判断で用意しました。たぶん俺が一番おもしろくないやつだから、最初に出していい?」  言いながらエディが、透明なセロハンに包まれたものを配る。 「おお……ほんとにおもしろくない」 「だから言ったでしょ?」 「エディならここは、フィギュアとかミリタリーグッズじゃねーの?」 「自分がもらうなら嬉しいけど、人はそうでもないってことくらい俺にだってわかるもん」 「でも懐かしい~」  きっちり三百円分の駄菓子詰め合わせは、そこそこ場を盛り上がらせていた。 「次、俺」  すっと挙手した崇はおもむろに、一見して用意したプレゼントでないとわかる、大きさも形もまばらな雑貨を広げる。 「決して在庫処分などではなく、秘蔵コレクションだから」 「崇さん……」 「まさか……」  オタク組二人が、大仰に身を乗り出す。 「いやいやいや、これ非売品じゃない?」 「ん。プレス向けとか、試作品とかあるかも」  家に溜まっていたノベルティグッズを放出することで、プレゼントに代えたらしい。どれもマニアにはそこそこ価値があるというのが本当なら、押し付けられた分はネットオークションにでも賭けてやろうと思ったのだが、何らかのマスコットを嬉しそうに手にした日夏を見てしまったので、丈は思い直して口を噤んだ。 「俺は実用性重視です」  宣言して朝倉が出したのは、小さな紙袋だ。 「えーと、雪絵ちゃんにはハンカチ、男性陣はランダムで靴下」 「わー助かるー」 「普通に助かる、さすが朝倉」 「どうもです」 「じゃあ、最後は私達から。二人分だから、ちょっと豪華なんですよ」  連名とはいえ浩輔のセンスが反映されているとは思えない――もちろん褒め言葉だ――きちんとリボンのかけられた包みの中は、紅茶と角砂糖だった。 「お砂糖は、ハート型と蝶々型があります」 「雪絵ちゃん女子っぽい」 「女子だもん……!あ、あとね、これは個人的に日夏くんに」  雪絵がにこにこと差し出したのは、小さな星の付いた金色のヘアピンだ。 「日夏くんに可愛いヘアピンしてもらう野望、諦めてなかったんだからね。これくらいシンプルなら、いいでしょ?」 「わ、え、ありがとうございます……」  視線に強要され、日夏がそれを前髪に挿すと、 「やーん、やっぱり可愛い」  彼女は満足げに頷いたのだった。確かに華奢な印象のヘアピンは、同じように華奢な印象の日夏には似合っている。 「てかあの、こんなに色々もらっちゃって。俺なんにも用意してないのに」 「いいんだよ日夏、もらっとけ。こっちはこいつらの世話してるんだから」 「その通りだけど、自分で言うことじゃないと思うよ」  小さく笑った日夏が、さりげなく会話から外れてレジ横に移動する。見るとはなしに見ていると、ショップカードを裏返し、何やらボールペンを走らせている。ショップカードなどと気取った言い方をしたが、店名と住所、電話番号を片面に印刷しただけの、ごく簡単なものだ。白紙の裏面に丁寧な筆致で書かれた一文を読み取って、思わず口元が緩む。五枚同じものを作成すると、許可を仰ぐようにこちらを見上げるので、ひとつ頷いてやった。 「急ごしらえですけど、これ」  はにかみながら日夏が渡したのは、肩たたき券ならぬ「お好きな一品サービス券」だ。 「有効期限はなしでいいぞ」 「あ、でも、できれば明日以降に使ってほしいです」 「ひなっちゃん……」 「天使……」  長身の男二人に同時に抱きしめられるという憂き目に遭った日夏はしかし、やはり嬉しそうにはにかんでいた。    デザートまで食べ尽くし、なんとはなしに解散のムードになる。クリスマスパーティーとはハリケーンのようなもので、過ぎ去ったあとには凄惨な現場だけが残されている。付き合って呑むのはいつものこととはいえ、今夜は恐ろしいほどチャンポンだった。戸外の冷たすぎる空気も、どこか心地良く感じる。 「うーーー、さっぶ!」 「気をつけろよ」  言ったそばからエディが側溝の蓋に躓き、朝倉と浩輔に両側から支えられている。朝倉はともかく、浩輔も足元がおぼつかない様子だ。 「おい浩輔」 「あ、はい」 「ちゃんと雪絵ちゃん送ってけよ」 「うす」  力強く頷くのはいいが、しっかり歩いているのはむしろ雪絵のほうであるのが事実。 「雪絵ちゃん、タクシーまで送らせたら、あとは見捨てていいからな」 「あはは、しませんよお」 「じゃあねー、楽しかったー」 「ごちそうさまです」 「じゃ」  手を振りながら去っていく面々を見送る。  狂騒の余韻もやがて消え、痛いほどの静寂が訪れた。  咥えていた煙草を深く吸い込み、吐くと、白い息と一緒に盛大に広がる。この煙草は、本日の賓客一同から自分へのクリスマスプレゼントだ。喫煙家の肩身が狭まるばかりの昨今、気前よく一カートンも贈ってくれるのだから、煙草くらいしか思い浮かばなかったに違いないとはいえ、それ自体は喜ばしい。  眼下の日夏は、まだじっと、人通りの失せたネオン街を見つめている。 「ずっと続けばいいのにな……」  ぽつり、とこぼれた声に、奇妙に寂しさが混じっていたような気がする。祭りのあと、人は少し感傷的になるのかもしれない。その気持ちはわからなくもなかった。 「ずっとは勘弁願いたいね。時々でいいわ、時々で」  丈が心底ぼやくと、日夏は小さく吹き出す。途端に白い息が広がった。 「……今日も、星きれいですね」 「ああ」 「あの星」 「ん?」 「あの星、すごく明るいですね」  細い指先を辿って空を見上げると、焼けるように煌々と光る星がある。 「シリウスだな」 「丈さん、星詳しいんですね」 「詳しくはねーよ。空見てやたら明るいのがあったら、まず間違いなくシリウス。冬の大三角形の一つだな」 「やっぱり詳しいですよ」 「ま、お前よか詳しいかもな」 「うん。丈さんが教えてくれなかったら、すごく明るい星ってだけで、一生名前も知らないままだったかも」 「そうかい。お役に立てたってわけか」 「うん」  こういう瞬間、冗談をあまり素直に受け止めるものではないと思う。ひたむきな瞳に、つい苦笑を誘われる。 「さて、凍える前に入るか。片づけも残ってるしな」  もう一度煙を大きく吐き出して、日夏の頭を小突く。今宵、クリスマスの夜は、皿を洗ううちに終わるだろう。

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