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第9話

 温かい白湯に桜の花が浮かんでいる、花の香りのする茶碗を口元へと運ぶ。その所作が美しい。花の色と同じに色づいた唇がさくら茶に濡らされる。一色の動きひとつひとつが目の奥に、いや脳の奥に焼き付くようだ。  ……ぽつりと一色がつぶやいた。  「ねえこれ、覚えている?」  その手にあるのは赤く色づいたもみじの葉だった。  「山の上にある、真っ赤な木を見せたいと言ってくれたでしょう?」  真っ赤な木?記憶の奥底にある不思議な感覚。遠い日の誰かの記憶。  「……見に行こうか?」   淡い記憶の中に燃えるような葉の色、この記憶の先が知りたい。知ってしまえば何かが変わってしまうのかもしえないけれど、それでも知りたい。  「僕はここからは出られないよ。ここが僕の世界のすべて」  「でもここへ連れて来てくれた時は……」    小首をかしげた一色は「僕はここから一度も出たことはないよ」と言う。じゃあ、ここまで案内してくれたあの青年は誰なのだろう。    「こんな綺麗な色に誰が染めたのかな」    一色がくるくると指先で葉をもてあそぶ、その白い指先に見惚れてしまう。  「綺麗だね……」  その言葉は、もみじに向けてのものなのか、一色に向けて発したのか自分でも分からなかった。

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