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逢瀬 3
「久しぶり。待たせたな」
俺の手元にあるビールを見ながら微笑む。この男はいつも笑っていて、不機嫌な顔をすることはほとんどない。関西に住んでいるが、半分は北海道民らしい。そのせいか、男といると地元ではないのにリラックスができる。
誰よりも早く横断歩道を渡ろうとするかのように信号が変わった瞬間にドっと勢いよく道路に飛び出していく姿。ティッシュを配っているバイトの子は「おにいさん~どうぞ~」と渡してくる。浮浪者でさえフレンドリーに話しかけてくる。
同じ日本だというのに、明らかに違う民族性だ。たまに来るならいいが、棲むのは難しいだろう。
ビールで乾杯をしたあとカウンターごしに「お願いします」と声をかける。あとは順番に揚げたての串カツが目の前に置かれていくから、それを黙々と食べるだけだ。嫌いなものを伝えておけば抜いてくれるし「ストップ」と言えばそこで止まる。実に明快なシステム。
しかもすこぶる旨いし、ネタに工夫があって飽きさせない。地下や通天閣のあたりに沢山ある串カツ屋とはまったく違う。客層も価格も。
安いものを腹いっぱい食べる歳ではないからこそ満足するものがいい。食べ物の満足感とSEXの到達点は似たようなものだ。
近況をポツポツ話すのも何時もの事だ。正直なことを言えば、自分のいない時間に繰り広げられている生活面は知りたくない。
隣に座る男の知らない部分。それは時に気持ちを落ち込ませ、焦りを生む。かといって頻繁に飛んでくれば鬱陶しくはないかと気になってしまう。
うまくいかなくなれば自然に消滅する関係を繰り返してきた自分にとって、この怖れは未経験のものだ。
自分がこれほど脆く、弱弱しい男だったという現実は堪えた。しかしその先に思い直す。とことん突き詰めてみたい、行けるところまで貫きたい。
誕生日は知らない。棲んでいる住所すらわからない。サラリーマンなのは知っているが職種まで聞いていない。
子供の名前だって知らない。だが不愉快なことに嫁の名前は知っている。会話の端に何度か顔をだした名前。いっそうのこと「嫁」という名詞にしてくれないだろうか。その望みを伝えることができない臆病さに苛々する。
タイミングが悪いと困るのではないか、そう考えると自分から電話をすることはできない。会社にいるであろう時間帯にそっけなく簡潔なメールを送る。返信が来ると喜び、遅いと不安になる。
この自分の変化がたまらなく嫌だった。自分だけがこんな想いをしているのは不公平だ。苛つき、怖れ、不安にかられる。焦りと飢餓感に蝕まれる。
これだけの負の感情を引きだされる――たった一人の男によって。この慣れない感覚にじわじわと侵食されていくのに止められない。
逢いにくることを。
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