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逢瀬 9

 息も絶え絶えといった男を抱えるようにバスルームに運んだ。床に座らせシャワーをかける。ローションや粘液にベタついた陰部を丁寧に洗われている間、一言も口をきかず、されるがままだった。  抵抗したい気持ちはあるのだろうが、自由にならない身体と心がそれを挫いたのかもしれない。綺麗に流し終えたあとバスタブに湯をためた。  役目を終え力を失った自身の姿は、いつみても滑稽だと苦笑いが浮かぶ。ゴムをはずし隅に放り投げた。後で片付ければいい。腹の調子を崩されては興醒めだからゴムは欠かせない。  手早く下半身を洗う。バスタブには半分よりやや少ない湯がたまっていた。浸かるには問題ないだろう。 「入るか?」 「……うん」  抱え上げるようにしてバスタブの縁に座らせる。足を片方ずつバスタブに入れてからゆっくり湯に沈めた。ふぅと一息ついた呼吸。ずっと息を詰めていたのか、それともなかなか整わなかったのか。  向かい合っているというのに一切目を合せない態度は何を意味しているのだろうか。無理やり引きだされた快感に腹立たしい思いをしているのか。  それとも何か言いたいことがあるのに言いだせないでいるのか。諦めたような、不貞腐れた顔。湯のなかに沈んでいる自分の腕をさっきから撫でさすっている。  言いたいことがあるらしい。では口を開くまで待つとしよう。「何か言いたいのか?」そう言う代わりに目を閉じる。見られていない方が言いやすいだろう。  甘すぎる自分の行動にうなじのあたりがゾワリとした。 「明日……帰るのか?」 「ああ、そうだ」  明日は土曜日。いままでだって2日連続で逢うことはなかった。ここから東京に移動して翌日千歳に飛ぶことはあったが、仕事の都合があるからずるずる長居はできない。 「もう……一日、いられないのか?」  目をゆっくり開く。慣れない言葉づかいのせいかおずおずとした響き。悪くない。  相変わらず横を向いたままの顔。どんな表情を浮かべている?どんな目をして今の言葉を言った?  腕を伸ばし手首を掴み、思い切り引き寄せた。ザブンと湯の表面が大きく揺れ飛沫が互いの顔を濡らす。 「なにっ!」 「なに?こっちのセリフだ。俺と過ごすには一日では足りないと言ったのだろう? 足りない、その意味は?言ってみろ」 「こんなんされて。一人でどないしろ言うんや……あんな……あんな」 「こんな身体にされて?ここが存在する意味をしってしまった、どうしてくれるんだ。そういうことか?」 人差し指を後孔に少しだけ埋め込む。ひきつれたような「ひっ!」という声が漏れ出たことに満足する。 「一回じゃ足りない、もっとしてくれ。そういうことか?」  横に向けた顔は紅潮し、歪んだ眉間が見て取れる。ギュっとつぶった瞼は言いたくても言えない本音に抵抗しているようだが、そんなものに力などない。人差し指をまた少しだけ奥に進める。 「ああ、やめって……あかん……て」  約束を忘れたようだ。俺はあっさり指を引き抜き、何食わぬ顔でバスタブにもたれた。驚いた顔がようやくこちら側に向けられた。 「約束を破る人間は好きじゃない」  唇を噛み、睨みつけている顔をみれば不本意なのだろう。約束といっても、あの場限りの欲しい刺激を得るための軽いものだったはずだ。俺が嫌がる理由を知らないのだから仕方がないが。 「俺はともかく、家を2日もあけて大丈夫なのか?」 「喧嘩中言ったやろ」 「嫁との喧嘩だろ?子供と喧嘩したわけではない」 「当たり前だ」 「俺は嫁が気に食わないというだけだ。色恋沙汰でよき父親のポジションを失う必要はない」 「なに……いうてん」 「結婚していることにはムカムカするが、子供を失って悲しむ顔は見たくないと言っている。 弄って苛めるのは好きだが、悲しませたいわけじゃない」 「……」 「ものはついでだ。一つ本音をいうよ」  両手を頬にのばし、そっぽを向けないように固定した。ゆらゆら揺れる瞳を覗き込むようにしてゆっくりと話す。 「別に関西の言葉が嫌いなわけではない。その地域に根差した言葉に好き嫌いを言えるほど偉い人間ではないからな。何故俺がその言葉を嫌がるのか。 それはお前が家族に使う言葉だからだ、嫁に話す言葉だからだ。 それと同じ言葉を投げかけられて俺が喜ぶと思ったか?真逆だよ、盛大に腹が立つ。 俺の知らない時間を示されているようで嫌になる」 「そ……んな」  重ねるだけのキスを一つ落としてダメを押す。 「そんなつまらないことに嫉妬するほど、俺はお前に溺れている。だから、わかってくれないか。俺といる時だけは、俺とだけ話してくれ」  挑むような視線が返され、両手首を強く握られた。 「札幌に帰れば、つきあっている男が何人もいるくせに、そんなことを言うのか?」 「ああ、俺は独身だからな。すべては自己責任で済む。だがお前は違うだろう。社会的責任がついてまわる結婚を選択したのだから、お互いの立場は違う。そうじゃないか?だろう?」 「じゃあ、俺が悪い言うことか!」 「悪い?いいも悪いもない。結婚している男に操をたてて一人でじっとしているほど、俺は人間ができていない。なにより不公平じゃないか。嫁を抱き、結婚生活を送り、よき父であることに対して俺に余白がないのはな。お互い様だよ。俺は自分のいない土地で当たり前に女を抱くお前にイラつき、お前は自分ではないどこかの男を抱く俺にイラつく。そうやってお互いがお互いに苛々しながら結びつく。 そしてより強く相手を求めることで心を癒す」  手首を掴んでいた両手が力なく湯に沈んでいく。 「さっきの……あんなんが癒し?」 「良くなかったのか?」  意地悪くさらに強く瞳を覗き込む。わずかに開いた唇の中で赤い舌先が震えていた。 「フェラは俺のほうが巧かっただろう?」 「なっ!答える必要はない!」  それは「そうだ、巧かったよ」と言っているのと同じだ。勝手にニヤリと口の端があがる。 「後ろから射し貫かれて、指に舌を絡ませながらイッたのは誰だ?嫁を抱くたびにあの姿が脳裏を巡るだろうな。今までのように女を抱いて満足できるか?俺にしか貰えない刺激を強く求めるはずだ。 強く願い、俺の存在に飢えていく。そして待ち望んだ熱を得た時、それは「癒し」になる。 身体を潤し、心を満たす。歓びに全身が震える」  唇をふさぎ舌をねじ込み、震えていた舌を追いかける。どこまでも追う、引っ込もうが逃げようが関係はない。俺の舌から逃れられるはずがない。  湯に沈んだ指先がおずおずと膝のあたりに伸びてくる。身体の反応はいたって素直だ。理性が拒絶をしたところで意味はない。理性の天敵は快楽なのだから、それを与えれば意のままだ。あごに伝った唾液の筋を一舐めして額を合せる。 「お前は俺のものだ。もう捕まってしまったのだよ。俺というやっかいな男に。 逃げたいか?解放してほしいか? 今なら間に合うかもしれないな。だが、あのSEXを忘れて生きていかれるか?あの快感を捨てられるか?」  閉じられた瞳から涙がぽろっと零れ落ちた。 「ああ、逃げたい。もう二度と顔を見たくない。でも……むり」  ゆっくり身体をひきよせ腕の中に閉じ込めた。認めてしまったほうが楽になる。快楽に溺れる自分を認めれば羞恥にまさる快感に出逢える。  愛ではない、恋ではない、好きとも違う。互いに溺れる――それが身体から始まった関係の形だ。

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