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迎 /せい
今頃何をしているのだろうか。遥か遠い関西の土地、まだ太陽が顔をだしているのだろうか。
窓の外は暗い。冬になれば15:00を過ぎれば暗くなり始め、16:00には真っ暗になる。雪が降れば外は反対に明るくなり、すすきのや大通り、札幌駅といった街燈に溢れたエリアの空は淡く光る。積もった雪や大気中の雪に光が反射して空を染めるからだ。
市内中心部から西に位置したエリア、そこに建つタワーマンションの一室が俺の住まいだ。ロケーションも立地も問題なし。公園がありアメリカ領事館があるこの界隈は、市内でも人気で賃貸でも分譲でも不動産の価格は高い。
育った環境に恵まれ、不自由なく育った。代々土地によって財をなし、それを食い扶持にしてきた家系だ。
子孫というのは楽なポジションだと思ってしまう。東北の二男、三男といった家督を継げない男たちが夢をみて渡った土地が北海道だ。開拓民として土地を切り拓き、厳しい自然と闘いながら居場所を作ったご先祖さんに感謝しなければならない。開拓の村の家が二十四軒だった、八軒だった、そんなことや屯田兵の屯田が地名になっていまだに残っているくらいだから、彼らなくして北海道は成立しなかっただろう。
石狩平野のやがて北海道の中心都市になる札幌の土地を開拓してくれた先祖のおかげで、サラリーマンとしてあくせく働くことなく暮らしている。
賃貸物件の不動産収入、借地のあがりで暮らしていられるいい身分だ。
生前分与のような形で幾ばくかの不動産を押し付けられ、家族という輪から追い出されたともいえるのだが。
人と違う性癖に加え、長男であったことで適齢期というやっかいな時期に来たとき、周囲のざわつきに辟易した。弟がいることだし、たいした血筋でもないが未来に繋ぐのは弟に任せてしまおうと責任を押し付けた。
俺にはゲイだというカミングアウトという切り札があり、それは立派に役にたってくれた。
ジョーカー以上の働き・・・思い出しても笑いがこみ上げる。
仕方がないじゃないか、俺だって神様にたのんでゲイにしてもらったわけじゃない。
趣味と実益を兼ねた本が思いのほか懐を潤す源になってくれた。男同士の絡みをちりばめた物語。
もともと本を読むことが好きだったこともあり、どうにも趣味に走ってしまうのが難点だろうか。ベストセラーにはなれそうもないが、それなりにファンだっている。ファンレターが編集からまとまって送られてくるが、なかなか嬉しいものだ。
物語が強烈な場合におこる、深く自分に入り込んでくる感覚。引きずられたり心が乱れる感じは脳内・・・いや心か?自分でも届かない深い場所を抉られる、それはレイプに近いような気がするのだ。
自分にはそんな小説は書けない。
まあ、この程度で充分だと思わなければな。自分の書いたものが形になっているのだから、これ以上の高望みはわがままと言うものだ。
本棚に並んだ背表紙を指でなぞる。「有末静」の名前が印刷された本。
今度出版されたときは、サインでもいれて送り付けてやろうか?どうやって嫁に説明するだろうな。
「実は俺、こっそり本棚から抜き取って読んでいた。」
「それで気に入って自分でも買ってたりするんだ。」
「おまけに俺・・・そいつと寝てるんだ。不倫相手は作家なんだぞ!すごいだろ莉緒。」
馬鹿馬鹿しい。そんな打ち明け話をするはずがない。
だが・・・本を送るのは悪くない案だ。いつか実現させるとしよう
パソコンの横でスマホが光る。ディスプレイに映る名前は「ギイ」
随分久しぶりだ。
悪い男ではない、見た目もいいが節操がなさすぎる。狙った獲物をジワジワ狩るように絡め取るのが俺の好みだから、安易すぎる接触はつまらない。
ギイは面倒が嫌いな男だから、誰にでもなびき、誰でも口説いた。当然俺のことも。
少し話してみると寝るよりずっと面白そうな男だったので、つっこんだ関係にはなっていない。時たまどちらかが呼び出して酒を飲む、とりとめない話題と近況の交換。そういう普通の時間を過ごせる俺にとっては数少ない男がギイだ。
久しぶりの誘いか。
「どうした?」
『久しぶりだな。近いうち飲もうぜ。』
「ああ、いいな。時間は自由になるから、ギイの都合のいい日に合わせるよ。」
おかしい・・・いつもと違う。おちゃらけた感じがないし、どうにも歯切れが悪いような気がする。間をおかずポンポン話し、いらない前置きが必ず付録でついてきたというのに。
『顔みたら恥ずかしくなりそうなんで、先に言っておく。報告だ。』
「なんの報告だ?」
『年貢の納め時ってやつだ。ヒロ一人に決めたんだ。もう遊びもなし。』
「冗談だろ?」
『こんなつまらない冗談言うわけないだろう。大真面目だよ。こんな報告するくらい浮かれて幸せだってことにしておいてくれ。』
「まさか…本当なのか。」
『ああ・・・決めたんだ。それに今のほうがずっと楽だ。』
「言葉がでてこない・・・。」
『何言ってんだよ。プロのくせに。お前のほうは面白いネタはないのか?俺を驚かせるような。』
あることは・・・ある。
どうしようもならないくらい、久しぶりに一人だけが欲しい。今それを言ったらギイは驚くだろうか。
間違いなく驚くだろう。電話を落すかもしれない。
「一人の男に夢中でね。色々大変だ。」
『・・・まじかよ。』
「どうしようもないくらいに、その男だけが欲しい。」
【ガタン、カタン】
そのまま通話が途絶えた。
俺はおかしくなって笑が止まらない。言ってやったという高揚感もあったし、予想どおり電話を落したギイが想像できたからだ。通話が途絶えたということは、カバーが飛んで電池がはずれたのかもしれない。
わざわざ掛けなおして根掘り葉掘り聞かれる会話を続ける必要はない。
[逢った時にお互い恥ずかしい話を肴に酒を飲むことにしよう。日程がきまったら連絡をくれ]
メールを送信してパソコンの横にスマホを戻す。
単発の依頼で書いたものは昨日仕上がった。もう一度校正をして編集にメールすればいい。便利な世の中だ。どこに暮らしていても出版社とのやりとりが可能なのは有難い。やはり住むのは住み慣れた町が一番いいからだ。違う土地は非日常を満喫するときに足を運べばいい。
非日常。
飛行機に乗らなくては顔を見ることもできない相手。
俺のことを日に何度思い出すのだろうか。家族と仕事に囲まれた時間の中で、思い出すことはあるのか、ないのか。
ふとした瞬間に甦る鮮明なイメージ。鏡を見て情事に想いを馳せるのはたぶん俺の方が多い。
泣いていればいい、そう心の底から願うのに、一瞬先には笑っていて欲しいと望む。
心の中を俺だけにしてやりたいと狂気をはらんだ熱が叫びだす、でもわかっている、それは有り得ないことを。あの男の心の中にある俺の居場所は小さなものだ。
それが現実だ。
「逢いたい。」
その一言を言わない男。
それを待ち続ける自分。
随分・・・振り回されている。表面上は俺が振り回しているように思えるのに実感がまるでない。答えは簡単だ。
俺は待つことしか許されていない。
無理やり攫い閉じ込めることはできない。ただひたすら逢える時間を夢想して毎日を送る。時に届くメールを何度も読み返し、文字を指でなぞる。
初めて恋をした10代でもあるまいし、そんなことをしてしまう自分が恥ずかしくもある。
だが、恋に年齢は関係ない。思いの深さは年齢と比例せず、表面上のスマートさを身に着けた代償に内側には不器用な場所が増える。
俺をこんなに変えてしまう、あの男が憎らしい。
そして同じだけの愛おしいを実感する。
パソコンの横でまたスマホが光った。
ギイ・・・まさか今夜呑むぞなんて言いだすわけじゃないだろうな。猛烈に仕事に取組み定時で上がろうとする姿が浮かんで口の端が緩む。
やりかねない、あの男なら。
のばした指先が震える。
ディスプレイに映ったのは「和泉」の文字。ドクンと心臓が最初の動悸を打ち鳴らす。思わず口元を手でおおい、映る文字をまじまじと見返した。
『和泉』
かわらない文字。
触ると切れてしまわないだろうか。そろそろと手にとり画面をスライドする。
『あ、せい?』
「ああ、俺だ。俺の携帯にかけたのだから俺しかでないだろう。」
いつも以上に面倒な男になってしまいそうだ。さんざん自分の恋心に向き合っていた直後に電話をよこすなんて、やはりこの男が憎らしい。
『あんな・・・実は来てしもうて・・・。』
「なにが?」
『札幌。勢いだけできちゃってな・・・軽装やねん。』
札幌・・・来た?勢いで?
『迎えに・・・。』
「今どこにいる!」
噛みつくように言ったのは、電話を通して自分の心の内が聞こえてしまうかもしれないと思ったからだ。
心臓の早鐘が届いてしまうかもしれないと・・・。
居場所を聞き出し電話を切ると急いで支度をはじめる。
この部屋に連れてくるというのか?俺の日常の中に和泉を?
ぐるりと書斎を見回す、ドアでつながっている寝室の空気は冷えていた。
・・・無理だ。一度引き入れてしまったら、和泉が帰ったあと自分がしばらく浮き上がれないことは容易に想像できる。
あったはずの物。脱いだ服、テーブルに置かれた財布や荷物。そんなただの物でしかないものが和泉の存在を感じさせるだろう。
昨日はそこにシャツがかかっていた。
昨日はそこにスマホがあった。
昨日は腕時計があった。
何もないテーブル、何もかかっていないハンガー。そんなものが俺の心を削るだろう。
散々泣かせて激しく求めあい、抱き合って眠りについたベッドに一人で寝られると?
まだ・・・だめだ。ここには連れてくるのは無理だ。
恋に浮かれた俺は、あまりに脆い。
クローゼットからコートをとりだし羽織る。軽装・・・といったな。サイズが違うが何もないよりはマシだろう。ラムスキンのライダージャケットとマフラーを紙袋にいれる。
ホテル・・・は和泉を拾った後どこかを押さえればいい。
急いでベッド脇のチェストから必要なものを取り出した。ドラッグストアなど行ってられない。ゴム、ローションやシリンダーをみつくろう。
備えあれば憂いなしとはよく言ったものだ。ここに男を連れ込むことはないが、セイフティーセックスや衛生面を考えれば必要な物を揃えておかなくてはいけない。男同士は手間がかかる・・・。
和泉が・・・来てくれた。
今はそれだけを考えればいい。
迎えにいくことだけを考えればいい。
どうやって焦らし、苛め、泣き顔を引きだすか・・・それだけを考えればいい。
待ってろ、和泉。
もうすぐ・・・逢える。
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