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流 /和泉莉緒
「やっと逢えたな。」
男の囁きが聴こえた瞬間から、他には何も考えられなくなった。
背中に感じる体温。
仄かな香り。
じっくりと味わうように、動く掌。
そして、腰に押し付けられた存在感。
必死でかき集めて作っていた壁が、一気に剥がれ落ちる。
己の意義が換わった事を肌身で知り、和泉は密かに戦慄いた。
――こわい。
「寒いか?」
僅かな変化も見逃さない
その目は鋭いだけではないと知ってしまった。
――崩れ、そうだ。
「…何でも、ない。」
取り繕っても、見抜かれる。判ってはいても、一応のポーズを取らざるをえない。
自分でも面倒だと感じるが、逆にいえば、こうでなくては、とても離れてなど居られない。
半ば開き直った気持ちは、つい最近得たものだ。
この男に会うたび、違う自分が見えてくる。
元からこうだったのか、新たにそうなったのか。
判らないが、それは新鮮で不思議な感覚だった。
――たかがオレ、やて思てたのにな。
「和泉。」
呼ばれるまま、無言で唇を重ねた。
「おかえり。」
小さく呟く。
アクセントは適度に軽く後ろへ。関西とは真逆だ。
――上手く出来たか。
窺うように息を詰める。
男に出逢って、思い知った。
本当の自分というものを。
これまでは一般的な道を、さほど深く考えることなく、流されるまま、ただ平穏に歩んできた。
そう、ただ平穏に。
怒り、泣き、生々しい感情をぶつけ合う男女を見ても、他人事だとしか思えず、どこかシックリこなかった。
――あんなん、正気やないな。
早々と傍観を決め込んだ。
どこかで現実とは、こんなものだろうと
諦めに似たような冷めた気持ちもあった。
その分、本を読み耽った。
行間を読むように、言葉にされる前ものを何となく感じ取って行動すれば、簡単に仲間は出来た。
企業に属し、家族を守り、子供を育てる役を全うする。
そうすれば、今後の自らの居場所は保証される。
この繋がりは消えない。
頑なに型通りを実行し、真っ直ぐに思い込んでいた。
半年ほど前、誘われて、アッサリ流された。
ひっそり拒みもせず、続いた関係。
それは裏を返せば、自身が満足したことを示していた。
「ふ、…む、んんっ!」
積み重ねてきた己は、男の前では、こんなにも脆く、弱い。
無残だ、情けないとも思う。
けれど、どこか心地よくもある。
ようこそ
いっそのこと、諸手をあげて、迎えたいくらいだ。
――でも。
大袈裟なことは、好まれない。
それに。
―どうせ、体中から全て筒抜けだろう。
回りくどい説明は、したくない。
そんなことよりも、ずっと大事なことがある。
ヒリヒリする心を癒し、2人で同じものを見る。
そこまで、流されるのは、もうじきだ。
溢れる思いをまなざしに込めて、緩く唇を開いた。
今夜は、どんな岸に辿り着くか
相変わらず強引な相手に少し躊躇いながらも、その荒々しさに押し流される心地よさを待った。
――堪忍やで。
無言のまま、甘える狡さを許して欲しい。
一番弱いところを痛いくらいに弄られながら、和泉はそう願った。
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