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香 /和泉莉緒

外での打合せが済むと、和泉はいそいそとある場所へと足を向けた。 『○神百貨店。』 普段、家族を連れていたならすぐに通過してしまうフロア。 そう。 1階化粧品売場の片隅に和泉は佇んでいた。 「何かお探しですか?」 見かねたのか、近付いてきた女性店員に、緊張した面持ちで訊ねた。 「あの、香水って、どこらへんにありますか?」 「メンズ用のフレグランス、でしょうか?」 のみ込みのよい店員で助かった、と思った。 「はい。」 「それでしたら、あちら右手奥の方にございます。」 「ありがとう。」 明るく、高級感漂う空間。 ゴールドや大理石、クリスタル それに、見たこともないロゴマーク。 そこの一角から来た1人の男とすれ違った。 ――うわっ!! 腰の位置、高っ! 明らかに一般人とは違う、颯爽とした後ろ姿をぼぅっと見送った。 ――アカンわ。 あんなキラキラなとこ、オレは行かれへん。 尻込みする気持ちに、自らツッコむ。 ――いやいやいや! せっかく来たんや。 見るだけならタダやろ。 置いてあるんかどうかだけでも、確かめて、やな… 吸い寄せられるように、ケースの中の物に目がいった。 ―おっ? あの瓶、格好ええな。 やっぱり、中身は香水なんかな? ――ん? なんや、この感じ。 あぁ、子供の頃、年末にラジコン眺めに来た時とか、そういう気持ちに、ちょっと似てるんやな。 まだ懐にお年玉はないんやけど、オカンの買い物についてきて、コッソリめぼしいオモチャを眺めとった時みたいな… 「あの、お客様?」 店員の声に、ハタと我に返った。 「な、何でもないです。」 一歩退いた和泉に向かって、店員が動いた拍子に、仄かな香りがした。 ――せい!? あぁ、違う。 背の高さも、耳の形も、指先も何もかもが違う。 目の前の店員をしげしげと眺めてから、ハッと息を呑んだ。 ――えっ? 今、オレ。 何考えとった?? ストンと落とし穴に落ちたような、真っ暗な気分だった。 暖かい室内だというのに、寒気がする? 「よろしければコチラをどうぞ。新作のサンプルです。」 愛想よく言った店員に、小冊子と栞のような物を手渡された。 「…どうも。」 ギクシャクと受け取ったが、嗅ぎなれない匂いをつけられた手の中の物をすぐさまゴミ箱へ放り込んで、外に出た。 右、左、右、左。 必死に足を動かし、人混みをかき分け、先を急ぐ。 とにかく、止まったら、泣き出してしまいそうだった。 ――胸を占めるこの想いは、なんだ? ――突き動かされるような、この衝動は? ――オレらの関係って、一体なに? 次から次へとわき起こる不安や疑問が、頭の中で渦を巻いて止まらない。 とうとう歩道橋の途中で立ち止まった。 ――なんで? なんでこんなになるんや!? 「あの。顔色、悪いですけど、大丈夫ですか?」 若い女の声がした。 足元はスニーカー。学生らしい。 「ええ…大丈夫です。」 顔を見られたくなくて、咄嗟に額を押さえたのを見られたらしい。 「目眩やったら、1回どこかに座らはった方が、ええと思いますけど。」 高くも無く低すぎない、おっとりした話し声に促されて、呟くように返事をした。 「そうして、みます。」 ――すぐ近くにスタバがあったはずや。 そこで、コーヒーでも飲んで、1回落ち着こ。 オーダーした本日のコーヒーを持って、奥の隅の席にひっそり座った。 ――電話、しても、ええかな? 無性に声が、聴きたい。 ――でも。 こんなん、なんて言お? せいの香り、探しに行って、それで、別の男からあの香りがして…? ――アカンわ。 今はうまく言える気がしない。 別の男とか、言うた瞬間に切られそうやしな… せやけど。 ほんま、どないしょ? まだ、頭がぐるぐるする…。 結局コーヒーが冷めきっても、和泉がそこから動くことはなかった。

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