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第4話 予想以上に、期待外れ

 うちの会社、ムトウブライダルは業界の中でもけっこう老舗って言われているほうで、今の社長で三代目。つまり、この、俺がこれから仕えることになる専務が四代目ってことだ。四代続けるって相当だと思う。そんなところに入れて大興奮だったっけ。実際、働き始めたら、しょぼくれたくなるくらい失敗ばっかで、予想外だったけど。 「ここで少し待ってろ」  そんな老舗ブライダル企業の専務が、今、コンビニで買い物をしようとしているのも、けっこう予想外だけれど。  そして、そんな人がフリだけだとしても、俺の旦那様になるっていうのは、もう予想とか超えて、想定外だったけれど。  武藤専務が車を降りようとしたら、運転していた執事の加納さんが慌てて引き留めた。コンビニで何を買うのか教えていただければ執事の自分が買ってくるからって。でも、武藤専務は「平気だ」って、ものすごい低音ボイスで囁くように告げると、勝手に後部座席から降りていってしまった。  スーツがハイブランドのオーダーメイドなら、あのワイシャツだってハイブランドなんだろう。だって、ほら、コンビニに向かう後姿がまるでランウエイを颯爽と歩いていくモデルみたいだ。  足長い。背筋綺麗。顔も……すごく怖いけど、すごく。 「かっけぇ……」  そう、口から呟きが勝手に零れ落ちるくらいにはかっこいい。 「武藤様ですか?」 「って、あっ! すいませんっ! ついっ!」 「いえ……お母様もとてもお綺麗な方ですよ」 「……ですよね」  うちの社長ってどんな顔だったっけ。渋い……かな? カッコいいとか意識してみたことがないから、わからないけれど、清潔感はあったかも。そしたら、武藤専務はお母さん似なのかな。社長と似てるといえば似てるかもしれないけど、でも、似てないといえば、うん、似てない。 「貴方の義理のご両親にもなる方ですね」 「っぶ! げほっ」 「大丈夫ですか?」  大丈夫じゃないです。いきなりそんなのぶち込まれたら、みぞおちクリーンヒットです。 「あ、あの、武藤専務って、どんな人なんですか?」 「……」  また加納さんが静かに目を丸くした。 「お優しい方ですよ」 「はぁ」  でも、今朝、そのお優しい方に脅されたんですけれど。そのぼやきが車の中っていう限られた空間で加納さんに伝わったのか、俺の胸のうちに対してニコッと無言で笑って応えてくれた。正確にいうと笑って華麗にスルーされた。 「武藤様にはご兄弟が三人おります」 「へ? そ、なんですか?」 「お兄様がふたり。弟様がおひとり」 「……ぇ? それじゃあ」  なんで? 次期社長になるのは、そのお兄様ふたりのうちにどっちかなんじゃないの? そんな疑問が顔面に書いてあったんだろう。加納さんは後ろの俺に口元だけで笑ってみせると、視線をコンビニの出入り口へと向けた。 「先代、武藤様のおばあ様の遺言で、武藤様が次期社長候補となられた」  あー、なるほど。そういう、一般人で一般家庭で育った俺にはドラマの上での出来事でしかなかったけど、こういうの本当にあるんだ。遺産相続とかそういう権利争いってやつ。 「武藤様はとても優秀です。私はあの方に仕えられてとても光栄です」  そうなんだ。そうだろうな。おばあちゃんがあえて指名するくらいだし。あんなにカッコいいのに、俺みたいなおっちょこちょいだったりとか、想像できない。目付きはとっても怖いけどさ。 「ただ、あの方は本妻のお子さんではないのです」 「……ぇ?」 「武藤様のお母様は、いわゆる、愛人だったんです。これはきっと遅かれ早かれ、佐藤様の耳にも入ることだと思うので。武藤様も隠してはおられませんし」  普通っていう言葉以外何も当てはまらないくらいに、平凡な家庭で、平凡な生活を送っていた俺には、そんな彼の環境がドラマの設定のように思えてしまう。 「それに、知っておいていただきたかったのです」 「……」 「あの方の周りは敵だらけです」  ホント、絵空事でしかなくて、なんか、ぽかんとしてしまった。 「今、ここで、貴方が同行してくださると承諾していただいてから話すのは卑怯かもしれないですね。でも、武藤様のことを知らないくらいの、何も関係のない部外者の方に、ただ武藤様ご自身だけを見た上で味方になっていただきたかった」  そのくらい、彼の置かれている状況は厳しく、そして、裕福すぎる。 「どうか、お願いです」 「……」 「武藤様を宜しくお願い致します」  そんなの頼まれたってさ。  そんなの、めっちゃ困るよ。知らない。聞いてないよ。今ここでこっそり話すのもズルいけど、もしかしたら、それすら教えてもらえずにこれから本社に行くところだった? え? 詐欺じゃん。武藤専務の周囲が敵だらけとか、ドラマのシチュだとしたら、逆に視聴者にはありきたりすぎるって興ざめしちゃうくらいの王道設定だ。  なのに、優しく切なげにさ、真摯に頼まれちゃったら、「詐欺だ!」なんて言えないじゃん。 「待たせたな」  車内に漂う微妙な沈黙に、俺は口を開けるだけして、何も言葉が出てこないから、その沈黙っていう空気を吸って飲んで、また吐いて。  俺はゲイじゃないからさ。どんなにこの人がカッコよくたって、俺はお付き合いを女の子としたいし。専務級の超重役の中で俺ができる仕事なんて、この小さな頭をどう捻っても、コピーとったり、お茶入れたり? 愚痴を聞くくらい? しかも周りは敵ばっかなんて、情けないけど、脚を引っ張る自分くらいしか想像できない。  俺は、きっとこの人の予想以上に、期待外れだと思うんだ。 「おい、環」 「は、はい」 「足」 「……へ?」  手を差し出されて、まるで、ワンコのように手を置いたら、「それじゃねぇ」と案外乱暴な口調で言われた。きっと、愛人の子だから、本家でエリート街道まっしぐら、とかじゃなくて、普通の生活をしていたところで、このエリートエリアに連れてこられたんだ。遺産相続の王道設定としてはそれが妥当な線。 「足、痛いのは、今朝すっころんだせいか? それとも、靴擦れか?」 「え?」  お優しい方、なんだって。 「どっちだ」 「え、あ、えっと、靴擦れ」  答えをせっつかれた。もうぶっちゃっけ気にしてなかった。皮膚一枚ずるむけた張本人ですら忘れていたことを覚えていてくれてた。 「靴擦れか」 「ぇ、はっ? うわぁぁっ」  そして、優しく微笑むんでも、心配そうな顔ってわけでもなく、ただ、無表情で俺の足をむんずと掴むとそのまま力任せに持ち上げた。俺は急にバランスが崩れて、びっくりして叫んで。その間に、新品の靴と靴下を脱がされてしまった。 「あ、あああああああのっ」 「買ったばかりなのか?」 「は、はい……」  足、ちゃんと毎日風呂で洗ってるけど、靴も新品だけれど、それでもいきなり足をつかまれて持ち上げられて、好き勝手されたらびっくりするだろ。 「あ、あのっ。武藤専務っ」 「……千尋(ちひろ)だ」 「……ぇ?」 「名前」 「え、武藤専務の?」  人生は、ままならない。  わざとじゃない鼻血をネタに脅してきた人は案外、優しくて。男の足なんてそんな丁寧に扱わなくてもいいのに、大きな手は案外優しい手つきで、俺の靴擦れでズルむけ真っ赤になったところに絆創膏を貼ってくれた。 「千尋、さん……」 「……あぁ」  こんな怖い顔をしているけれど、カッコいい長身モデルみたいな人の名前が、案外、可愛い、女の子にも合いそうな名前だったりもして。  人生はままならないし、予想だにしないことがまま、起きたりもする。

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