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第5話 意地悪三兄弟は待っている。
優しい手つきだった。俺の足なんて、男の、まぁ、サイズは身長ともども小さいかもしれないけど、でも、男の頑丈な足だから、そんな優しく扱わなくてもいいのに。そっと、掌にかかとを乗せてもらって、そーっと絆創膏で剥けて赤くなっている場所を隠してもらいながら、シンデレラってこんな気持ちなのかなぁ、なんて考えていた。
「あのっ、千尋さん、スーツとか」
本社の廊下を歩くと、まるで楽器みたいに足音が響いてた。大理石かどうかわからないけれど、白い廊下に千尋さんの立ち姿はすごく似合ってて様になる。セレブっぽい。そして、本社の最上階にはそんなセレブが俺たちの登場を今かと待ち侘びてるんだ。スーツのジャケットがないんじゃ格好がつかないと思った。
「別にかまわない。もともと、スーツは好きじゃないんだ。動きにくい。オーダーメイドのならそうでもないが。それより、靴、新しいのを用意しよう」
自分の格好、見てくれよりも、俺の靴擦れを心配してくれる。
顔怖くて、車の中でもたくさん話すほうじゃなくて、なんだったら、現在進行形で脅されてるし、その脅されて頷くしかない状況だって、説明は半分以上されてなくて、ほぼ詐欺。加納さんが教えてくれなかったら、この千尋さんがどういう状況なのかなんて何も知らずに、本社に来ちゃってた。
「痛いんだろ?」
「絆創膏貼ってもらったし」
コンビニで絆創膏と一緒に湿布も買ってきてくれたんだ。俺が足を痛そうに引きずっているのを見て、痛いんだって気がついてくれた。そして、それが靴擦れじゃなくて、今朝、俺がこの人の背中に体当たりした時に挫いたとか捻ったとかで痛いのかもしれないと、心配してくれた。
「あ、あの……俺は何をすれば」
「心配しなくていい」
本社には二年前くらいに就職活動で来たことがある。大きなビルを見上げて、ここが俺の職場になるのかもしれないって目を輝かせた。もちろん、本社勤めで、デザイン部の最前線で働く夢は泡のように淡く脆く流れ去ったけれど。
「あのっ! でも!」
詐欺だし、脅迫だし。もうこのふたつの言葉とこの人が並んだら、本気で、第一印象の「ヤ」の付くご職業の方になっちゃうけどさ。
「俺っ」
「隣にいてくれればいい」
「……」
なんだろ。
――お優しい方ですよ。
はい。俺もそう思います。
「……悪い」
今から本社の、きっとシンデレラをいじめるわっるい顔したお姉様、じゃなくてお兄様達が待ち受けてるだろう部屋に向かう。その廊下で、千尋さんが足を止めて、頭ひとつ分背の低い俺を見つめ、手を伸ばした。
「千尋、さん?」
「きっと嫌味を言われると思う」
えー、今、このタイミングで言うのはズルくないですか?
「色々事情があって疎まれている」
みたいですね。加納さんが教えてくれました。ホント、これ詐欺だよ。本社の中入って廊下けっこう進んだところで、そんなこと暴露されたって逃げられないじゃん。うろたえて慌てても、退路なし、じゃん。
「でも、それはお前に向けてじゃない。お前が絶世の美女でも、なんでも、彼らは文句を言う」
「……」
「だから、気にするな」
面と向かって悪口を言われ平気な人なんていないと思うんですけど?
「と、言っても聞こえてきたら気分が悪いだろうから、これを」
「? ……耳、栓?」
「あぁ、さっき買っておいた」
この人、コンビニで絆創膏と湿布と、それと、耳栓買ってきたの? こんなにカッコよくて、オールバックがめちゃくちゃ似合ってて、モデルみたいな人が?
「……っぷ」
「環?」
「っぷぷ」
「おい」
変な人だ。
「ごめっ、すみません。あの、買ってくれたのありがたいんですけど、いらないです」
そして、すごく不器用な人。
「怒られるの、慣れてるんです」
「……」
「俺、ドジだから、現場でもいつも怒られてて、昨日も仕事残してきちゃって、そんで慌てて。だから、平気です。絆創膏だけ、ありがたくいただきます」
あとは、ありがとう。
「逆に、千尋さんは大丈夫ですか? その、つまり、男の俺とって。カミングアウトしてても色々と」
だって、意地悪なんだろ? そしたら、それこそ差別発言とかバンバンしそうじゃん。今時、ゲイとか同性愛とかに対して偏見を言うなんて、ありえないと思うけど、でも、この人がこんなに優しくて、いろんなところがカッコいいならさ。意地悪三兄弟はきっと絵に描いたような意地悪をしてきそうじゃん。
社長は、うーん、愛人作っちゃったからなんとも言えないけど、他所の家庭には、他人の入り込めない問題もあるんだろうしさ。つまり、その社長は人を見る目があると思うんだ。人の本質を見て、次期社長に武藤専務を、千尋さんを指名したんだから。
「他にも色々言われそうですよね」
悪口とか、うーん、バーカ、とか? 暴言すごそう。
「千尋さん? 何笑ってるんですか」
「いや……」
大きな手が頬を撫でた。今度は触れるだけじゃなくて、指の内側じゃなくて外側でそっと輪郭をなぞられる。柔らかい内側じゃない。骨っぽくて硬い関節で頬を触られると、初めて触れる無骨な触れ方にドキっとした。
「なんでもない」
「?」
「何も言わなくていい。ただ黙って隣に立っていてくれ。今回は花嫁を披露するだけだから」
花嫁って、俺のことなんだよな。俺が? 花嫁らしさ皆無なのに?
「心配しなくていい。新レーベルが立ち上がったらちゃんと離婚してやるから。役所に届け出たりはしないから、バツ印もつかない。安心して、今日の夜、何を食べたいかとか考えてろ」
「へ? なんで、夕飯?」
頬を撫でる指が離れて……しまった。
「今日一日付き合わせた礼だ。なんでもいいぞ。超高級、星マーク付きのレストランでもなんでも」
「え?」
「あぁ、なんでも頼め」
きっと思っていたことが、内に秘めた「高級料理」への喜びの声が、この人にはダダ漏れだったみたいだ。また笑って、今度は頭を撫でられた。掌を乗っけて、ぽんぽんって、二回。
「行くぞ。環」
足長くて、駐車場からコンビニまで三歩程度でいけちゃいそうなほどだった人が、靴擦れのある俺の歩調に合わせて、ゆっくり前へと歩き出す。その人の背中を見て、手を見て、胸の辺りがくすぐったかった。
「あ、はい」
この人の手は硬いのに柔らかくて、そして、とてもあったかかったから。
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