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第6話 ブー垂れ横顔は月明かりに輝いて
たしかに耳栓はあったほうがよかったかもしれない。
いやぁ、あんなに面と向かって嫌味を言えるってけっこうすごいと思うんだ。人の悪口をあんなにずっと言い続けられると、それはそれですごいなぁって、悲しいとか傷ついたとか、ムカつくとか通り越して、びっくりした。
すごかった。
なんだっけ? 愛人の子どもはやっぱり人に取り入るのが上手いなぁ、だっけ? まさか本当に男を嫁にする気なのか? もうありとあらゆることにケチをつけてた。重箱の隅をつつくくらいならまだいいけど、あれ、俺のことも含めてほぼ差別発言だし。パワハラだし、セクハラだし。訴えられてもおかしくないんですけど。
ほら、そんな人に悪口ばっかり言ってるから、三人が三人とも、ものすっごく。
ブス。
そう、ブスだった。ひどいレベルだった。お母さんが違ってるとしたって、千尋さんとの差はあまりにもすごく、そこに関してだけはちょっと同情してしまうくらいに、ひどかった。とっても……ブスだった。
「疲れただろ?」
「はい」
「正直だな」
千尋さんがクスッと笑い、白ワインの入ったグラスをくるりと回して唇を添えた。
「はい。だって、あれは、ひどいです」
「……」
「なんなんですか。あの三人」
「かりにもお前の務めてる会社の重役だぞ」
「そうですけど! でも! あれはひどい!」
そう何度も何度も思ったから、だから、二度言った。
性格って顔に出るんだ。そうばあちゃんに教わった。人に優しくできる人は、表情も優しく。自分のことを大好きな人は、皆に好かれる笑顔。だから、あんなに悪口を言ってたら、そりゃ口もひん曲がるし、気持ちも、そして外見もひん曲がっていくんだよ。絶対にそう。うちのばあちゃんが言ったことは本当だったよ。
「だから、耳栓しろって言っただろ」
そんな三兄弟からずっと嫌味を言い続けられながら、重箱の隅みたいな場所をツンツンツンツン、小さく突付かれながら、千尋さんは眉ひとつ動かさず話を聞いて、それから言ったんだ。
――これからも私の元で宜しく頼む。
あれは……めちゃくちゃカッコよかった。
うん。それはゲイとかゲイじゃないとか、そういうのなしで、普通にめちゃくちゃカッコよくて隣にいた俺は見惚れてしまった。
「あー! たしかに! そしたら、すっごい嫌味返しができたかもしれないですよね! お前らのひどい物言いはもううんざりだああああ! って」
「……おい、酔ってるだろ」
「酔ってま……」
あのブス三兄弟の前で、凛と立つこの人はたしかに社長の器があると思った。
「す」
でも、それと同じくらい、無理もしてるんだろうなぁって、思った。
「間がありすぎて、何言ってんだかわかんねぇよ」
「酔ってますっ!」
「はいはい」
ほら、この笑顔だよ。ちょっと笑顔が意地悪なんだ。口元を釣り上げて笑う感じ。俺を鼻血で脅した時もこんなふうに笑ってた。でも、あのブス三兄弟の前では綺麗に笑ってたんだ。それを見て思った。
あぁ、無理をしてるんだなって。
「お酒飲んでるんから! そりゃ酔っ払うでしょう!」
「お前は酔っ払いの手本みたいに酔っ払うな」
「なんじゃそれ」
ニヒル? っていうの? そんな感じに笑いながら白ワインを飲む姿とか雑誌の写真。おしゃれなバー特集とかでありそうな感じ。でも、今、人の目前にあるのはおしゃれバーなんかにありそうなカラフル熱帯魚が優雅に泳ぐ水槽じゃなくて、地味な色をした魚たちが泳ぐ大きなプールみたいないけすだけれど。
「ここでよかったのか? ご褒美の夕食」
そこで注文が入ったらしくいけすのところに待機していたスタッフがまるで市場と間違えたみたいに威勢のいい掛け声をかけて、大きな水槽の中を網でまさぐった。たぶん、ものの数分。大きな魚が捕まって、その網ごとカウンター型の調理場でさばかれる。
「俺、フランス料理とかそういうのよくわからないんで。いきなり言われても、あそこがいいとかどこが美味いとかわからないですよ。それにここ一度来てみたかったんです」
釣ったばかりの魚はあっという間にお刺身となって、どこかのテーブルに運ばれていった。
前に忘年会の幹事を任された時、どこの飲み屋がいいかってサイト使って探してた時にたまたま見つけた。大きないけすをぐるっと囲むようにカウンターテーブルがあって、その周囲には複数人で寛げるテーブル。獲れたての魚を食すっていいなって思ったけれど、予算がちょっと高すぎて、見るだけに終わった。絶対に美味いと思うけど、ちょっとお財布的には大打撃でさ。
「あ! 今、庶民だな、って思いました?」
「別に」
「でも、ここも俺の安月給じゃ、いいなー、行ってみたいなーで終わるんです! なんで、ここがよかったんですっ」
「その安月給を支払う側の人間なんだが?」
「ぁ……」
しまった。つい口が滑ってしまった。
「別にかまわない」
また笑って、白ワインを飲んだ。空っぽになったグラスに慌てて手前にあったワインのボトルを差し出す。ほら、お酌しないとでしょって、急いでボトルを傾ければ、千尋さんは、そこでもまた笑って、グラスに注ぎやすいように俺のほうへ傾けてくれた。
「ど、どうぞ」
怖い顔をした人だなぁって思った。
「たくさん飲みますね」
「そうか?」
偽装結婚とかさ、マジかよって、思った。でも、何百万のスーツなんて買えないし、一時のことならいっかって。
「はい。強いんです」
「お前に比べれば誰だって強いだろ」
っていうか、お酒強そうな外見してるもん。そう、今言ったら、千尋さんは笑って、それはどんな外見なんだって言いそうだって思った。
「の、飲めますよ!」
「甘いカクテルだけどな」
仕方ないじゃん。お酒の味とかあんまわかんないし、ジュース飲んでるほうが美味いんだもん。
「でも、俺もこっちのほうがありがたい」
「……え?」
「フランス料理よりも、俺には、いけすで獲った魚のほうが美味いよ」
「……」
愛人の息子、って、言ってた。でもあのブス三兄弟が本妻さんの子どもだとしたって、あれじゃ、たしかに会社を継がせられない。
あんな奴らにひとりで立ち向かうなんて、やってられない。だから――。
「耳栓、しなくてよかったです」
「……環?」
社長大正解だ。俺だってあの三人の下じゃ働けない。働きたくない。顔もだけど、性格が史上最悪にブスだから。
「あんなこと言われるのを千尋さんがひとりでずっと聞いたりしなくていいですよ」
「……」
「すっげぇ、ムカつく! って、誰かと文句くらいなら言っちゃっていいと思います。その文句ならきっと神様もスルーして、ブスにしないでいてくれます」
「……環」
だって、あの暴言をひとりで浴び続けることなんてない。
「お前、相当酔ってるだろ」
「?」
「言ってることがちゃんと繋がってねぇよ。何、神様って、ブスにしないでくれるって」
またどっかで注文が入ったみたいだ。大きな声が何か魚の名前を叫んだと同時、千尋さんが頬を撫でたから、どっちにもびっくりして飛び上がってしまった。
「でも、お前がそう言ってくれて、嬉しかった」
「……」
「ありがとな」
怖い人だと、そう思ったのに。
「いえ……」
案外、よく笑う人だった。ちょっと意地悪だけどさ。
「ほら、酔っ払い、次も同じカクテルか? それと、食い物は……」
「あ、えっと、そ、そしたら、次のカクテルは」
なんだろ。いつもはあっまいカクテルばっか選ぶのに、なぜか、今日は胸のところがふわふわして熱いくらいに火照ってるから、スッキリしたくてさ。だから、ちょっと背伸びして、レモンを使った爽やかで甘さ控えめ、大人っぽいのに挑戦してみたんだ。
ほわほわ、ユラユラ、あと、顎を乗っけてるこれが硬い。
「おい、顎で肩をぐりぐりすんな。いてぇよ」
あ、うっかり。俺ってば、めちゃくちゃ上司の人におんぶとかしてもらってんじゃん。うわぁ、下っ端の平社員にはあるまじき失態だよ。
「うえ……ぎぼぢわるい……」
ここで吐いたら、失態レベルじゃないよな。失墜? 失笑? いや、失笑はないか。笑ってすませてくださいなレベルじゃないか。
「おい、お前、スーツのジャケットに鼻血の次、シャツに吐いたりすんじゃねぇぞ」
「うっ……」
「おいっ」
加納さんは、そっか、先に帰ったんだっけ。執事のお仕事外だから、俺たちをいけすのある和食料理屋に運んでくれたあとはそのまま帰っていいって、この人が言ったんだっけ。そっかそっか。執事の仕事はもう時間外か。俺はお嫁さんだから、時間の規定ないのか。
え? ないの? ないよね。嫁だもんね。
「吐くか?」
「が、がんばる」
「吐くなら吐いちまえ。楽になるから」
「ぎぼぢわるいんだから! 吐く吐く言わないでください! 吐く!」
「……お前も連呼してるだろうが」
俺はいいんです! って、言い切ると、よく笑うその人はまた笑って、肩からズリ落ちそうな俺を抱え直した。そして、ぼそりと文句を呟いた。
「ったく、手のかかる嫁だな」
あ、いけないんだ。文句とかブー垂れてると、本当にブー垂れた顔になるんだからな。そう教えてあげたかったけど。
やめた。
背負われながら少しだけ暴れて首を伸ばして、今どんな顔をしているんだろうと覗き込んだら、ブー垂れからは程遠い、カッコいい横顔が柔らかな月明かりに照らされていたから。
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