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第7話 月光の人

 とても長い一日だった。っていうか、起きた時、あれは夢だったんじゃなかろうかと。  ――よぉ、酔っ払い嫁。  そう思ったところで我が家に、上司で、旦那様に昨日なったばかりの人が、昨日と同じドヤ顔で玄関扉のところに立っていた。  あまりにも色々なことがありすぎた一日だった。鼻血に、脅しに、悪態のシャワーを浴びて、食べてみたかった獲れたて魚のお刺身食べて満腹でさ。俺の日常どこいった? っていう一日だったから。  でも、夢だったと思った理由はそれだけじゃないんだ。 「まずは新規プロジェクトだ。人材は集めてある。環を入れて、合計四人。それと、俺だ」  夢だったんじゃないかって思えたのは、そこだけじゃない。 「これを成功させてから次期社長の椅子だ」  この人の横顔が綺麗だったんだ。月明かりに照らされた表情がすごく綺麗で、男の俺でも見惚れるほどで、だから、夢みたいだった。こんなカッコいい人がいるんだぁって感心するっていうかさ。 「おい、環。二日酔いか?」 「!」  大きな掌が数回、俺の視界を横切って、ハッとしたところで覗き込まれた。長い睫毛、鋭い眼差しは昨日の朝の時点ではたしかに「人相が悪い」って思えたのに。帰る頃には全然違ったものに思えた。目を細めて、静かに笑うところを見ると、なんか照れ臭いよ。 「だ、だだ大丈夫です」 「そうか?」  だって、今みたいに心配してくれるし、歩調だって、この長身に長い足じゃ、もっと早く歩くことだってできるだろうに、さりげなく俺に合わせてくれる。 「もしかして、昨日の夜の、心配してるのか? 安心しろ。なんもしてねぇよ」  ゲイなんだってさ。だから、この人の恋愛対象は男の人だ。同性のことを好きになる。 「酔っ払ったお前をタクシーに置いていったら、絶対に吐くからな。家まで送り届けてって、思ったら」 「覚えてます」  自宅のあるアパートの垣根の手前で転んで、ずぼっと嵌った。 「なんだ。全部覚えてるのか? まだ赤く残ってるな」  千尋さんが言っている赤い痕は事情を知らなければわからないほどうっすらとだけ、今朝残っていた。もう大丈夫。転んで倒れ込んだ拍子に、枝が頬を掠って少しだけ切ってしまっただけ。その頬を撫でて笑ってる。 「あんなに酔っ払ってたのに、ちゃんと覚えてて、しかも二日酔いじゃないんなら、お前、酒に慣れたら、相当なのんべぇになるぞ」  この人、頬を触れるのクセなのかな。昨日だけでも何度も触られたっけ。それなのに、俺を部屋に運んでからはほとんど触れなかった。 「スーツ、皺になったか?」  うん。なりました。肩を貸してくれて、千鳥足のチビだろうと男は男で、それなりに重いはずなのに、俺を部屋まで運んでくれた。そして、服は脱がせたほうが皺にならないだろうが、風邪引くからなって笑って布団をかけてくれた。皺になったら、遠慮なく言えって。そしたらスーツ買ってやるって。 「平気です」  そんなのお金の無駄遣いでしょ。  でも、俺を気遣ってくれたんだ。ゲイじゃない俺を部屋に運んで、ベッドに寝かせる。ゲイであるこの人は邪なことは一切しないからと行動で指し示してくれた。絶対に触れないし、そんなつもりはないと、紳士でいてくれた。  変なの。  人のこと脅したくせに、誠実で。  顔が怖いのに、よく笑って。  こうしてるとたくさん触れてくるけれど、あの時は決して触れなかった。 「……大丈夫か?」  怖いけど、とても優しい。  あの時、ベッドに横たえられた時、暗かったけど、確かに目が合った。月明かりに照らされたその表情はあまりに綺麗でさ、この人が俺の旦那さんなんだぁなんて思ってしまったくらい。 「大丈夫です! しっかり働きます!」  どこか現実味のない夢みたいだった。  うん。たしかに、夢みたいだ。  何だろう、この最強布陣って言葉がぴったりの人材。そしてその中で異物って感じに浮く俺の存在感。 「流通、マーケティングを担当する小早川(こばやかわ)」 「宜しくお願いします!」  えー? マジですか? こんなに可愛いのに? マーケティングとか、ちょっとけっこう地味な部門の担当なんだ。リサーチと外回りがメイン業務で外出だって多いのに、白い肌に大きな瞳。ツルツルサラサラの髪は仕事に邪魔だからってまとめてしまって、その後れ毛とかちょっと可愛い感じの、ホント、アイドルとかにいそうな女性。でも、仕事できそう。ふわっとしてるけど、ふわっとしたまま笑顔で仕事こなしそう。 「デザイン兼品質管理を兼ねてる、成木(なりき)」 「宜しくー! たぶん、一番一緒に仕事することがあるかな?」  どうしよう。またもやアイドルみたいなのが来た。しかも男。「イエイッ!」なんて言って弾ける笑顔でピースサイン、とかめちゃくちゃ似合いそうな王道アイドル系美少年が来た。こういう人って「えぇ?」なんて言いながら笑顔でサクサク仕事をこなすんだよ。そういうものなんだ。頭全然悪いよぉって言いながら、それなんですか? っていう数学の超難解問題とか解いて、ヘラヘラ笑ってるタイプ。  なんかできちゃったぁ、なんて言って、頭をぽりぽり掻いてるタイプ。 「そして、広報の担当は……」 「加納です」  まさかの! だった。執事兼、広報? すごくない? どうりで俺と千尋さんを本社に届けた後、忽然と消えたわけだ。昨日はずっとぴったりくっついてた人がいつの間にか消えていたのは、つまり、一緒に仕事をする仲間でもあるからだった。  しかも! 仕事の時は眼鏡かけるとか。中年紳士、眼鏡装着とか。全員、キャラすごい立ってない? 濃くない? アイドル系明るいキャラふたりに、コントラストを効かせた大人な中年、加納さん。王道? じゃないかもだけれど、顔だけなら王道イケメンの千尋さん。  え……俺、薄くない? キャラも、役割分担も。  俺だけ、デザイン一本じゃん。なんかプレッシャーがハンパじゃないんですけど。 「よ、宜しくお願い致します! 佐藤環、ですっ。昨日まで現場で仕事してました!」  戸惑いながらも社会人の基本、挨拶だけはとりあえずしっかりと。 「それじゃあ、ミーティングを始めるぞ。おい、成木」 「はーい、昨日、小早川さんとマーケティングしときました!」  自己紹介が終わるとすぐに仕事に切り替わる。三人がもう何も細かく言わずとも、全部進んでいく、この出来る集団のスピード感に俺は眩暈を起こしかけてる。だって、すごいんだよ。サクサク進んでいく。 「おい、成木、そこの部分なんだか……」 「え? あ、ここです?」 「あぁ」  俺いなくてもいいんじゃない? そう思ってしまうくらい。 「佐藤君、現場だったんだよね? あのさっ」  千尋さんが俺と同じデザインとそれだけじゃなくて品質のことまで詳しい成木さんに話しかけた。手元にある資料を覗き込んで、何か話してる。品質のこと? デザインのこと? 俺には追いつけなさそうな速さで、知らない横文字の単語も交えつつ、二人だけの会話。 「現場ではどうだったかなぁって」  俺以外の三人は千尋さんが選んだ精鋭。顔もすごくよくて、個性的で、頭良さそうで、もう俺がその会話に入れる隙間がないほど。 「成木が言っていた数字だと」 「あー、なるほど、はいはい。うん。わかります」  ひとつの資料をふたりで覗き込むその姿を見ながら、なんでか、胸の辺りが少しだけさ。 「佐藤君?」  掌で、平社員らしい量産スーツを撫でると、ほら、なんでだろう。少しチクッと棘みたいなものが刺さるように感じられた。

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