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第8話 ふたりでかくれんぼ

 昨今、結婚式を挙げる人の数は減っている。それに加えて、結婚式自体をしない人たちも増えてきて、このブライダル業界そのものが苦しい状況になってきていた。ウエディングドレスへの憧れは薄れ、従来の「結婚」に捉われないスタイルが好まれるため、柔軟な対応が業界全体に求められていた。  それはうちの会社にも言えることで、老舗のブライダル関連の企業として立ち行かなくなってきてる。この現状を打開するために必要なのは新しい力だと、現社長自らが、社内の若返りを狙い退任を考えている、と、同時にブライダルだけでなくアパレルとして自社の商品の展開も視野に入れている――なんてことになっていると、現場で毎日走りまわっていた俺は知る善しもなかった。 「はぁ……」  今日は会議室にこもって、その方向性について、小早川さんが作ってくれたマーケティング資料を基にずっと話し合っていた。おとといまではホテルのブライダルんとこを走り回って、昼休憩以外ずっと立ち仕事だったのに、一日座って会議してるほうがどっと疲れる。ちっとも皆の会話には入れてないのに、ついていくので精一杯で、走ってないけど息切れしそうだった。  商品展開の方向性次第で、大失敗。自社の靴をアパレル業界で売り込むとして、どういう売り込み方をするか、なんて、ぶっちゃけちっともわからない。自分がその中でやってける自信は、ない。  っていうか、俺、いる? って思っちゃったし。  だから、帰りに皆が近くのイタリアンバーで飲むって言ってたの、断ってしまった。バジルのパスタがすごく美味いんだって、小早川さんが言ってたのに。成木さんとか大はしゃいぎで、スキップしながら行っちゃったのに、俺は、すいません先約が、と言って断ってしまった。  近くだから、このまま行っちゃおうって言ってた。  皆、能力があるからかな。専務で、次期社長になるはずの千尋さんにもけっこうフレンドリーでさ。敬語は使うんだけど、フランクな感じっていうの?  ――ターゲットになる年齢はやっぱブライダルがメイン市場だったし、二十代から三十代だと思うんですよねぇ。武藤専務はどう思われます?  なんて、専務に質問しちゃってた。俺、職場で、自分のわからないこと以外で、先輩に意見求めたりとかしたことない。っていうか、意見求めるほど仕事できたことないや。  ――そうだな……佐藤はどう思う?  俺はそこで他の人みたいに的確な答えを言えなくて。探してだんまりもよくないんだろうし、かといって適当に返したって、ここの優秀な人達の中じゃさ、恥ずかしいだけだろうし。  ――あ、えっと、いいと思い、ます。  だから適当に返しちゃった。  俺、こんな場所でできること、あんのかな。現場でもミスばっかしていた奴が、会社の経営建て直しの一環なんて担えるのかな。 「はぁぁ」  休憩室のソファにだらしなく座って、その足元にめちゃくちゃ重たい溜め息を落っことすと、余計に足が重く感じられて、帰るのも億劫になってくる。 「でかい溜め息だな」 「!」 「一日中ミーティングで疲れただろ」  びっくりした。 「千尋さんっ」  え? なんで? さっき、成木さんたちと一緒に行かなかったの? 「帰るぞ」 「へ? あ、あの」 「夕飯、付き合えよ」 「……」  ニヤリと意地悪な笑顔を浮かべて、わざと大股で先を歩いていってしまう。手を引かれたわけでもないのに、その大胆な歩幅に引っ張られて、さっきまで重かった足が勝手に歩き始めた。  夕飯って、千尋さんと? 「何が食いたい?」  皆、イタリアンのとこで美味しいバジルのパスタを夕飯に食べるのに? 「環」  あ、呼び方が変わった。  俺が千尋さんの花嫁って知ってるのは加納さんと、ブス三兄弟だけ。他の人は千尋さんが現場から優秀な人材として自分の元に置いたと思ってる。全然そんなんじゃないのに。なんかそれも足枷っていうかさ。俺が勝手に優秀じゃないのがいけないんだけど。  なんで、こんなの引き抜いてきたんだ? って思われるよ。きっと。 「あ、えっと……」  今日も高そうなスーツだった。そのジャケットを脱いで、腕にひっかけると、ネクタイも邪魔そう骨っぽい指に引っかけ、少し雑に引っ張って緩めてしまう。もう仕事はしないって宣言するかのように。  普通にカッコいいよな。男の俺でも見惚れてしまう。きっと俺じゃ、真似したってあんなふうに絵にならない。 「腹減った。ほら、早く言えよ。どこ行きたい?」  この人の顔に泥を塗ってると思う。勝手にこの人が俺を脅して連れ去ったんだけど、でも、やっぱ落ち込むよ。なんも答えられない、あの場で仕事らしい仕事をちっともできない自分に。 「そしたら、俺、千尋さんの行きたい店がいいです」 「俺?」 「ほっ、本社の近くって詳しくないからっ」  どうして俺なんですか? って、訊いてしまいそうだ。 「そうだな……そしたら、環、腹、減ってるか?」 「は、はい」 「少し歩けるか?」 「はい……」  千尋さんは無邪気に悪戯を仕掛ける子どもみたいに笑って、俺の頭の上に手をポンポンって二回乗せた。 「わかった。そしたら、がっつり食えるところに連れてってやる」  なんでだろ。さっきまで沈んでたのに、この人の笑った顔を見たら、沈んでた気持ちがふわりと浮いて、重かった足も急に軽くなって、がっつり食えるところにワクワクし始めていた。  連れて来てくれたのは小さな創作料理の居酒屋だった。  ビルとビルの隙間にあるような、小さな雑居ビルの三階で、エレベーターだってたぶん五人も乗れば重量オーバーになりそうな狭いところ。そのエレベーターの扉が開いてすぐがもうお店。  中に入ると、あえてなんだろうチープな電飾でお店の壁を飾っていて、まるで店内がクリスマスツリーみたい。ちょっとお洒落な感じだけど、なんか専務で次期社長が入るにしては少しポップだなぁって。でも、俺には少し背伸びをした感じかも。大人の隠れ家的な。 「うわぁ」  しかも、ロフトとかさ。こういうお洒落なところに来たの初めてだ。だって、入りにくいじゃん。小さくて見つけづらいし、見つけたところで、入ったら出てこれなさそうだし。ツウしか来ないような感じっていうか。大人のセンスが光るっていうか。  ロフトだから、千尋さんは頭をぶつけそうで、ちょっと前かがみになりながら奥に座った。ネクタイがブラブラ揺れてて、ちょっとルーズで、この大人の雰囲気の薄暗いさと、電飾のキラキラで、なんか、緊張する。 「お、おじゃましまぁす」  その後をくっついて進み、向かい合わせになって座った。足崩せばって言われたけど、はいって言って崩すにも、さすがに専務でもある人の前で胡坐ってわけにもいかないかなぁなんて思ったりもして、座り方迷子になったから正座のままにしてた。 「ここのチャーハンが美味いんだ」 「……」 「お前は何にする? 俺は、キムチチャーハン。辛いの平気なら、美味いからお前もそれにするか? あ、甘いカクテルあったっけか。頼んだことないから、ちょっと待ってろ。メニューを……って、環?」  俺が友達と飲みに行くのはいつも全国チェーンの居酒屋で、メニューもパッと見でわかるようにって、写真付きになっていて、ひとつひとつにカロリーも表示してある。でも、ここはスラリとしたフォントの日本語の下に英語でも同じことが書いてあるっぽくて、全部が全部お洒落でさ。ちょっと身構えてた俺にしてみると「キムチチャーハン」ってあまりにも庶民的っていうか、意外だ。あ、でも、ホントだ。キムチチャーハンって書いてある。しかもけっこうお手頃値段。 「っぷ」 「環?」 「す、すみません。なんか、こんなカッコいい所で、俺、飲んだことないから」 「……」 「はい。チャーハンにします。あ、辛いの大丈夫です。同じのにしてもいいですか?」  お酒の味は苦手だけど、辛いのは得意なんだ。キムチとか、唐辛子系の辛さは大丈夫っていうか、けっこう好きかも。 「ようやく笑ったな」 「……ぇ?」 「お前、ずっと、変な顔してたから」  そう言って俺の鼻を摘んだ人は、子どもみたいに笑ってから、下のカウンターへ向けて大きな声でキムチチャーハンをふたつ、それとビールに、カシスオレンジのカクテルを頼んでくれた。

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