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第9話 俺は嫁、俺の、米

 笑えないくらいに皆が優秀だったから。 「だって、なんか、俺があの中でできることなんて」 「……」 「皆さん、すごい優秀だし」  きっと今、皆が行ってるイタリアンバーだって、俺にとっては内心慌てるくらいにハイセンスでさ、ここみたいに、カッコいいとこで、俺には不釣り合いだと思う。なんか、次元が違うっていうか、住んでる世界が別っていうか。面接の時に感じた「え?」があっちこっちにある感じ。 「俺がお前を呼んだんだ」 「そ……ですけど」  でもさ。どう考えたって、どう見たって、俺より遥か上のレベルの三人じゃん。現場の知識を活用? いやいや、そんなに現場で仕事できてたわけじゃない。数人しかいないあそこで俺が皆を引っ張れたことなんて一度もないし、逆に引っ張ってもらってたし。知識もへったくれもない。  つまりは、今日一日中、俺、ここにいなくても差し障りないんじゃないかなぁ、なんて思ってたくらいなんだ。 「環は、どうして、うちの会社に入ったんだ?」 「え?」 「笑顔、を作りたいって言ってただろ? なんで、そう思った」 「……ぁ」  面接の時に周囲の人に気圧されて言ったたどたどしい理由じゃなくて、事前に作った作文じゃなくて、ここで働きたいって思った本当の理由。 「あ、あの、俺の祖母が……結婚式の時、うちの会社の靴を履いたんだそうです」  ばあちゃんの時代の結婚式は白無垢が普通。ウエディングドレスなんてまだ普及していない頃だった。 「ばあちゃんはウエディングドレスで挙式したらしくて。その当時ではとても珍しくて、ハイカラだったんだから、って、よく話してくれました」  洋服を着ている人は多かったけれど、ばあちゃんは普段着物ですごすことの多い人だった。でも、結婚式にはウエディングドレスが着たくて、白無垢ではなくドレスを選んだんだって。周囲の人は慣れないそんなものにするとその日一日大変だろうにって言ってたらしいけれど、どうしてもお姫様みたいになれるドレスが良かった。もちろんウエディングドレスで使うような高いヒールは不慣れだったし、ドレス自体も着物ですごすばあちゃんには未知の服で。  でも、その時履いた靴はとても履き心地がよく、一日中履いていてもちっとも痛くなかった、着なれないドレスでもちっとも不安定にならず、歩き回ることができた。ドレスで隠れてしまっているけれど、純白のそのパンプスのおかげでその日ずっと笑顔でいられた。 「その話を何度も笑顔でしてくれたんです」  その笑顔はとても幸せそうで、見ているこっちもあったかくなるほど。 「ばあちゃんはそのパンプスにすごく感謝してました」  ブライダル専門の靴屋。ムトウブライダル。ムトウさんには感謝しているって、その話の最後、いつもまるでお隣さんのことでも話すようにそんな感謝の言葉を述べていた。 「俺はばあちゃんのその話を聞くのがすごく好きだった」  そして、ポスターを見たんだ。 「いつだったかムトウブライダルのポスターをホテルで見かけたんですよ。親戚の結婚式で」  ばあちゃんのおかげでムトウブライダルの名前は覚えていた。だから、その時ポスターの右下にその名前を見つけて、あ、ばあちゃんがありがたいって言ってた靴屋さんじゃんって、すぐに気がつくことができた。  すごく綺麗だった。花嫁が花婿と手を繋いで、満面の笑みで、ばあちゃんもこんな笑顔だったのかなって。 「千尋さんは見たことあるかな。ちょっと古ぼけた写真のポスターだったんですよ。今もあの日と変わらない笑顔を、最高の一日を、って書かれたポスター、素敵だったなぁ。あれを見た瞬間、なんか胸が熱くなったっていうか」  しばらく眺めてた。花嫁がすごく楽しそうに笑いながら、ウエディングドレスの裾を自分で抱えて、真っ白なパンプスを履いて、花婿と走っているポスター。すごく笑顔が素敵だった。パンプスもさ、ウエディング用のだからヒールがけっこうあるはずなのに、その人はとても力強く走ってて、かっこよかった。そして、綺麗だった。ふたりが走り抜けた拍子に舞い上がったような花びら。ピンク色の花びらが舞う青空は綺麗で、白いドレスがよく映えた。  そのポスターを見た時、ここで靴を作りたいって思ったんだ。  ばあちゃんもきっとこんな笑顔だったんだろうなぁって。 「って、デザインの勉強もしたんですけど、知識はあっても、センスはなくて……それに仕事も」 「そのポスター」 「あ、知ってます? すっごい綺麗な人だったんです。あ、顔じゃないですよ? あ、顔も綺麗だったけど、笑顔がすごく素敵で。俺もこんな笑顔の手伝いができたら最高なのにーっ! って思ったんです」 「俺の母親だ」 「まぁ、実際にはドジばっかで理想からは程遠いんで、す……えっ、はっ? お母さん?」 「あぁ」  あの笑顔が素敵な人は千尋さんのお母さんだった。足のモデルをしていたんだって。で、ムトウブライダルのカタログ写真によく出演していた。でも、顔も美人だからって、その時は全身を撮ったんだって。 「母親がその写真のネガを今でも大事に持ってる」  あの人が、千尋さんの。 「その仕事がきっかけで俺の父親である社長と恋仲になったんだそうだ」 「そ……だったんですか」  俺の驚いた顔を見て、千尋さんがクスッと笑った。 「呆れるだろ? 公私混同も甚だしい」 「でも……わかります」  ロフトは本当に誰もいなくて、まるで二人っきりみたいでさ。なんか、ふわふわしてるのかな。心臓んとこがちょっと何か忙しない。 「すごく魅力的な笑顔だったから。一目惚れしちゃうと思います」 「……」 「気がついたら好きになっちゃったっていうか。自然と、吸い寄せられるように見ちゃうっていうか」  言いながら、なぜか、千尋さんのことが頭の中に浮かんだ。目の前でじっと俺を見てる視線が強くて目を逸らしたんだけど、逸らしても、頭の中にも千尋さんがいる。俺について来いと意地悪く笑った顔。コンビニに行くだけなのに無駄にかっこいい歩き方をする背中、隣をゆっくり歩いてくれる、背が低い俺には少し煽り気味の角度になる横顔。 「そのっ、えっとっ、つまりは……」  心臓がなんか、慌ててる。  前を見ても、見なくても、なんか、千尋さんがあっちこっちに出没する俺の視界に、頭ん中がパニック気味で。まだ、カクテル来てないのに、飲んでないのに、もう酔っ払ったみたいに、喉んところが熱くて、頬も熱くて。なんだろ、これ。 「つまり、一目惚れで……」  どうしよう。これ。この騒がしい心臓。 「お待たせしましたー! キムチ炒飯とビールとカシスオレンジですね」  その時、チャーハンがやって来た。  ロフトは急な階段を登らないといけなくて、それをこのお皿とドリンクを持って軽やかに登場した店員さんに、俺は少しびっくりしてしまった。お皿を俺たちの前に置き、ドリンクをそれぞれの場所に置くとまた颯爽と階段を駆け下りて行く。 「あ、あの……ご飯来ましたよ」 「……あぁ」  千尋さんがじっとこっちを見つめていた。俺はその視線に跳ねて踊る心臓が今にも爆発しちゃうんじゃないかって、それが心配で。  あまりにカッコよすぎて見惚れてしまう人の真っ直ぐな視線にどうしたらいいのかわからなくて。 「あはははっ! なんかめっちゃ語ってしまいました!」  わからなさすぎて、向けられる視線を払うように、飛び跳ねる鼓動をこの人に聞かれないため搔き消すように、大きな声で笑ってみせた。 「でも! あれなんです! 別にうちのばあちゃん、俺に似てるから、そのポスターの千尋さんのお母さんみたいにスレンダー美人ってわけじゃ全然なくて。俺のばあちゃんですから、ちびっこくて。でも、そんなちびっこい人でもスラリとした美人にその日……だけは……なれたって、自慢して」 「環?」 「……」  ふわっとキラキラ光る砂粒がひとさじ、頭の中に落っこちて来た感じ。 「環?」 「あーーーーーーー!」  いきなりの叫び声に千尋さんが目を丸くした。 「たま、」 「あっ! あの! あのっ!」  こういうのはどうでしょう。思ったことありません? ほら、よくおばあちゃんたちが履く靴ってなんかこう、地味な色ばっかりで、ベージュ、ブラック、オリーブ、頑張ったところでワインレッドくらい? しかもデザインも別にって感じ。ご高齢な方の靴だから、歩きやすさを重要視してるんだろうけど、でも、それにしたって、オシャレなのってほぼ見たことなくないですか? 例えば、もっと若い、三十代、四十代の人におばあちゃん達用って思えるシューズを用意したって、絶対に履かないでしょ?  おばあちゃんだって、オシャレな靴って履きたいと思う。  だって、ばあちゃんは、あの頃はって懐かしそうに羨ましいそうに結婚式で履いたパンプスのことを話してた。その靴を履くと自分のずんぐりむっくりな足元がスラリとして見えて嬉しかったって。  そういう靴。  安定感があって、履き心地は抜群なのに、デザインも可愛く。 「何歳になってもオシャレを楽しめる靴、っていう……の」  思いついて、砂粒みたいな小さなアイデアがさらさらと頭の中に降り注ぐ。その降り注ぐ砂粒をすくい上げて、しまうように言葉にして慌てて告げた。 「……あの」  そんな様子を千尋さんがじっと見つめていた。 「あの」 「すごく良いんじゃないか?」 「ほ、ホントですか?」 「あぁ、俺はその靴を作りたい」 「マジでっ? ああっ! す、すみませんっ」  つい、専務に向かって、雑な言葉を口にしてしまった。急いで口元を隠したけどもう遅い。 「あぁ、マジだ」  でも、千尋さんは失礼だなって怒るどころか、笑ってた。  顔をくしゃっとさせて笑ってた。とても楽しそうに、どこかくすぐったそうに、そして、柔らかくてあったかい笑顔。 「環?」 「っ!」  その笑顔があまりにも、その、なんていうか。 「あわわわ。あれ! チャーハン来てました! い、いただきましょう!」 「あぁ」  なんていうか、つまり、素敵で。 「いただきますっ!」 「いただきます」  顔が、胸んところが、指先がなんか、じんわり熱を持つ。 「…………っ!」 「環?」 「ん? んんんんんんっ! ふぶっ」 「は? 水?」  何、これっ。 「あ、わり。キムチチャーハン、ここの美味いけど、すげぇ激辛」 「ふぐ、ふふふぐ、ふぐっ!」 「お前、フグ、しか言ってねぇけど?」  だって、これ、キムチのレベルじゃなく辛い。辛くて、辛くて、舌痛いし、顔だって。 「米、くっついてるし」  顔だって。 「待ってろ。今、店員に言って炒り卵乗っけてもらってやるから」  食った。 「すみませーん」  この人、食った。  今、この人、俺の顎についてる米を、指で摘んで、なんか、なんか、食べた。俺の米、食べた。 「っぷ、そんなに辛かったか? 顔、真っ赤だぞ」  そして顔面が指先が喉奥のところから胸の辺りが、火でも灯ったみたいに、のぼせてしまいそうなほど熱くなった。

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