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第11話 たまちゃん、困惑す。

 指針が決まるともうそこからはノンストップだった。能力のある人たちってこんなにサクサク仕事していくんだって、ちょっと遠くから見学していたいくらいに、気持ち良く「阿吽の呼吸」っていうのを目の当たりにしてる。  でも、遠くから眺めてる暇は俺にはない。  今日から、その中心で、成木さんと個別でデザインを考えていかないといけないから。 「えっと、資料は……これと、あと、あ、そうだ、タブレットのほうでもすぐに出せるように……」 「大丈夫か?」  鞄の中をごそごそ漁っていると、頭の上にぽんぽんって掌が乗っかった。 「デザイン、頼むな」  千尋さんだ。珍しい。今日は一日、本社にいるのかな。  次期社長として、この新ブランド立ち上げのためにもあっちこっちと忙しく出かけていることが多くて、朝、一緒に出社しても、そのあとは翌日の朝まで会わないことも多い。 「環?」  でも、今日はいるっぽい。ほら、この時間になってもまだ社内にいてくれるから。 「あ、いえ。今日は社内にいるんですか?」 「あぁ」 「ずっと?」 「あぁ、そうだが。何かあったか?」  何もない。最近は朝以外はあまり話してなかったし、帰りも加納さんが俺をひとり先に送ってしまうから、だから、千尋さんが何時に帰ったのかもわからないし。 「今日から、成木と一緒にデザインを考えてくだろ?」  あ、そっか。俺と成木さんじゃ新デザインを考案するのに不安だったから、様子見とか? って、不安要素は俺だけなのかもしんないけど。成木さんは優秀だし、この人が別部署から引き抜いてきたくらいに信頼してるんだろうからさ。 「成木さんがいるので大丈夫ですよ……」  そうだよ。俺ひとりじゃないし、っていうか成木さんがいるから心配なんて無用だし。 「だからだろうが」 「?」  今度は、ぽんぽん、じゃなくて、ぐいっと頭を押された。そのせいでこの人の顔が見れないし、今日からデザイン頑張んないとって、せっかくビシッとセットしてきた髪型がボサボサになってしまう。 「ちょっ! 千尋さんっ、やめっ」 「一日中、成木とふたりっきり」 「は?」 「しかも、髪型決めてきやがって」 「だ、だって! 今日くらいは、っていうか何言って」  顔が見えないけど、怒ってる声じゃないと思う。低いけど優しい感じのする声で、耳に心地良いから。 「デザイン、宜しく頼むぞ」 「……」  ようやく頭の上の重石が取れて顔を上げると、意地悪な笑い方をする千尋さんがいた。デザイン頼むって、俺に、頼んでくれた。 「は、はいっ!」  それがすごく嬉しかったんだ。謙遜でもなんでもなく、俺の能力は成木さんより劣るだろうけど、でも、もうあの初日みたいに拗ねたりはしない。  俺がいなくても別にいいんじゃない? なんて、思わない。  だって、この人が俺を頼ってくれるんだ。あの三兄弟に負けないで、この会社を、この人の望む靴を作る手伝いを俺にさせてくれるから。 「頑張ってきます!」  昨日、自分が学校で学んだデザインの知識を復習がてらメモったノート。そんなの成木さんの頭の中にはあるだろうけど、俺は俺の小さな脳みそフル回転させて、成木さんと一緒にデザインを頑張るだけ。 「行ってきます!」 「あぁ……あっ! 環!」  この人に頼られるってさ。 「ランチ、一緒にどこかで食おう」  なんか、最高に嬉しいかもって、すごく胸がどきどきしたんだ。 「うーん、やっぱ、ここ、細いヒールじゃないとカッコつかないよね」 「ですかね。あ、でも成木さん、これ、俺が学校で使ってたテキストなんですけど」 「へぇ……そんなの持ってきたんだ」 「はい。もう成木さんは頭の中に入ってることばっかだとは思うんですけど」 「んーん、そんなことないよぉ」  デザインをふたりで小さめのミーティングルームで考えていた。やっぱ、この年齢幅と、歩きやすさ、それにデザインのテイストの三つを備えた靴はなかなか難しくて。少しでも糸口になればと開いたテキストに、成木さんも飛びついた。  この当時は意気揚々とどんなパンプスにしようかなって、ほら、ブライダル用のパンプスだから白が基準。そこに歩きやすさとデザイン性をプラスしないといけないし、とか考えてたっけ。 「すごい、勉強になる」  成木さんがじっとテキストを熟読していた。  時計を見ると、あとちょっとでお昼になる。千尋さん、時間作れるのかな。あの人忙しいからな。ランチをランチタイムに取るとか至難の業っぽいんだけど。どこかってどこだろう。和食? あ、なんか、和定食とかけっこう似合いそうかも。 「ねぇ、たまちゃんってさ」 「へ? ぇ? 俺、ですか?」 「うん。たまちゃん」  たまちゃん、なんて初めて言われた。たまちゃんて……そしたら、成木さんはナリちゃん? んで、小早川さんは、コバちゃん? 「たまちゃんってさ、専務とどういう関係?」 「……え?」 「あの専務がすっごい信頼してる。しかも微妙にラブい」 「ラッ? ラブっ、ラッ」 「だってさぁ。この前のイタリアンんとこ、ふたりだけ行かなかったじゃん? ふたりでどっかでしっぽりしてたんじゃないのかなー、なんて」  俺が花嫁役だってことは誰も知らない。超極秘事項。全社員に知れ渡ってしまったら大変になるから、三兄弟以外は誰も知らないのに、ラブいって、何、ラブいって。俺は別にっ。 「今日、専務一日、本社にいるって聞いて、たまちゃん、嬉しそうだった」 「……へっ? ぉ、俺が、ですか?」 「うん。そう。嬉しそうだったし。このあと、ランチの約束した? さっきから時計気にしてるし、そわそわしてる。早く会いたいんだろうなぁって」  嬉しそうだった? 俺が? ランチ楽しみにしてそうだった? 俺が? 早く会いたい? 「そんなっ」 「たまちゃん?」  そんなわけないじゃないですか。千尋さん基本仏頂面だし。激辛キムチチャーハンをしれっとした顔で食べるんですよ? かお、変わらないんですよ? 「ラブラブなんだねぇ」 「ちっちがっ!」  別に――って、そう言おうと思ったのに。 「たまちゃん?」  さっき俺は、「今日はいるっぽい。ほら、この時間になってもまだ社内にいてくれるから」って思った。社内に、いてくれる。って嬉しそうにそう胸のうちでだけ呟いた。  あの人の声を心地良いって思った。  そして、たしかに成木さんが言ったように、ランチを楽しみにしている自分がいた。 「ぁ、十二時だ! それじゃあ、デザインを考えるのは午後にまたってことで」 「ぇ? ……ぁ、はい」  だってさ、辛かったけど、キムチチャーハン美味しかったし。味覚が合うのかなぁって、ただそれだけだよ。別にさ。  部屋を出ると、千尋さんが待っていてくれた。廊下の壁に背中を預けて、扉が開いたと同時にこっちを見て笑ってる。その姿を見て、胸のところがあったかくなって、そしてくすぐったかった。 「お疲れ、環」 「……」  別に、ラブい、とかそんなんじゃ……全然……ない、です……し。

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