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第13話 一時間半
初恋は遅かった。相手は女の子。小学校五年生の時、後ろの席にいた髪の長い黒目の大きな女の子だった。プリントを配るのに後ろを振り向く度にドキドキしていたのを覚えてる。でも、それで終わった。告白なんてできなくて、ちょうど俺の初恋発生時期と巷のバレンタインが重なって、その女の子がクラス一サッカーの上手い男子にチョコを上げたということを知り、あっけなく終わった。すぐに諦めるなんてあっさりしてたなって、今なら思うけど、サッカー男子といい感じになったその子に敢えて告白する勇気は俺にはなかった。
その後、二回目の恋は中学生の時、今回は意を決して告白をしたけど、フラれて終わった。
初めて彼女ができたのは高校二年の時、相手は同じクラスの女の子。やっぱり黒目の大きな子で、短めに切りそろえた髪が話す度に揺れていたのをよく眺めてたっけ。一緒に登下校とかして、デートもしたりなんてして、でも、受験のこともあって、すれ違いの末終わった。別れた、って言い方にならないのは、俺はデザイン系の学校に進学、彼女は看護師になりたいって言って、そんで、なんとなく会う機会が減って、結果、自然消滅だったから。
そのあとは、まぁ、学校忙しかったし? 仕事決まったら、ほら、今度は仕事でバタバタだったし?
彼女は、その一人のみっていうことになるんだけど。
でも! あれ! あれよ? 彼女が今現在までいなかったのは、恋愛とか恋よりも仕事一筋で行こうっていうか。だってずっと働きたいって思ってた所には入れたんだからさ。
仕事一筋っていうわりには、凡ミスばっかしてよく怒られてたけど。
女の子好きですっていうわりには、元カノひとりだけ。しかも、それも数年前のひとりだけっていう淡白通り越して、興味ないんじゃないかって域に来てるけど。
「とりあえず、デザイン、こんな感じで」
恋愛よりも仕事優先のわりには、今、頭の中が。
「あぁ、ふたりで考えたのか?」
「もちろん! っていうか、たまちゃん、デザイン考えるのすっごい遅いけど、出すアイデアめっちゃ良いですよ」
「たまちゃん?」
千尋さんのことでいっぱいだけど。
「はい。たまき、だから、たまちゃん。っぽくないですか? たまちゃん」
「……」
「あ、そしたら、このデザインでちょっと試作作ってみます。たまちゃんと明日から」
「……あぁ」
千尋さんが少し不機嫌そうだ。俺のデザイン気に入らなかったかな。ヒールの高さ、難しかったんですよ? ばあちゃんでも履けそうな感じにすると頑張っても三センチが限度だったから。でも、たぶん安定感はあるかなって。
成木さんが足取りも軽やかに行ってしまった。
さっき、今日は飲み会が入ってるって言ってた。昨日も飲んでたんだそうです。人気者って感じだもんね。まさに引っ張りだこ。
そんな成木さんの背中をじっと見つめながら見送った千尋さんが、ゆっくり、デザイン画を片手に持ちながら、こっちへと歩いてきた。
「たまちゃん?」
眉間に皺を寄せて、なんか怒ってる。
「デザイン、ダメでした? 成木さんと話し合って決めたから、その、デザイン性と機能性に関しては」
「それじゃねぇよ」
「へ?」
また、頬に触れられた。ここは廊下だけど、今、俺の呼び方は「佐藤」なんだろうか。それとも「環」なんだろうか。花嫁役はブス三兄弟の前でだけやればいいわけだし。皆には内緒だから、やっぱここは「佐藤」なんだろうな。そこまで思って、少しだけしょぼくれる自分がいて、千尋さんに環って呼ばれるのが嬉しい自分を新発見して。そんで、また、好きを自覚する。
「あの、千尋さん?」
そういや、俺のこの呼び方っていいのかな。皆の前で呼んだりしたことってあんまりないと思うけど、でも武藤専務じゃなくて、千尋だって言われてからずっと素直にそう呼んでしまっている。でも、言われてるからじゃなくて、この人の強面とのギャップがおかしいから、千尋さんって呼ぶの好きなんだよ。
「なんでもない」
「ちひろさっ」
というより、俺はこの人のことが好き、です。
「デザイン、良いと思う」
「ホントですか?」
一時間半で気がついて、認識してしまった。「好き」っていう気持ちは自覚すればするだけ膨れてはっきりとした形を持っていく気がする。
「あぁ、お疲れ、環」
この人のことが好き。
大きな黒目に可愛い系の顔立ち、今まで好きになった女の子とは全然違う、キリッとした目元のめちゃくちゃカッコいいこの人のことを、同性なのに好きになってしまった。
だから、この人に名前で呼ばれるとすごく嬉しい。一日社内にいるっていうのも嬉しかった。信頼されてるのも。全部の嬉しいがこの「好き」に繋がっていく。
でも、そこに行き着いたら今度は、その次の場所が目に入った。
「今日、この後、何か予定あるか?」
「へ? 俺ですか?」
この花嫁役は期間限定だってことに。この新ブランドの立ち上げが終わったら? 立ち上げの後少しくらいならまだ平気? わからないけれど、とにかく、どこかで完遂する任務なんだ。花嫁役っていう、お仕事。
一時間半で気が付いたのにさ。今度は午後いっぱいかけてデザインのことも考えつつ、見つけた先のこと。
この好きは気が付かないでいたかったなって。
「あぁ、ないなら、美味そうな和食の」
「あのぉ、たまちゃん」
もう先に帰ったと思った成木さんが戻ってきて、らしからぬ苦笑いを零した。
「ごめん、何か勘違いしてた」
「?」
「彼女でしょ? 本社のロビーんところでたまちゃんのことを待ってる子がいたよ」
「……え?」
誰それ。
「違うの? なんか、大きな目に肩くらいまでのボブで、そんで、ピンク系のメイクしてる可愛い感じの女の子」
「……ぁ」
さすが女子社員に引っ張りだこな成木さんだ。その説明とジェスチャーで誰のことなのか容易にわかった。
知念さんだ。
前の職場、って言ってもほんの少し前までいた、ホテルのウエディングフロアで一緒に働いていた女の子。こっちに移動する直前、俺がやり残してた仕事を片付けてくれた優秀な女の子。でもアルバイトだから、本社に来ても中には入れなかったんだ。
「すみません。ちょっと行ってきます」
そっか。あの子、大きな黒目だったっけ。成木さんに言われて気がついた。優しいし、気が利くし、笑顔がまさに女の子って感じで可愛かったっけ。仕事でミスばっかの俺のことをさりげなくフォローしてくれたことが何度もあったけど。
エレベーターで下りて、ロビーに走って彼女を見つけ声をかける。
「知念さん!」
名前を呼ばれてパッと顔を上げた拍子に短い毛先がピンポン玉みたいに跳ねて揺れてる。
「あ、佐藤さん」
「どうしたの?」
もし、あのまま現場で仕事してたら、この子のこと、好きになってたのかな。
「あの、これ……」
「?」
「お菓子。佐藤さんが担当してたお客さんがね、新婚旅行から帰って来て、それで、式当日までたくさん良くしてくれたからって、スタッフにって、お土産をひとつずつくれたの」
「え? それをわざわざ?」
トロピカルなイラストのついた小さなビニール袋の中には小さめのハワイのお土産。王道チョコレートが入っていた。
「うん。だって、佐藤さんが担当してたから、お客様も佐藤さんに食べて欲しかっただろうなぁって」
「ありがと」
覚えてる。俺が純白のパンプスを持って来てしまった花嫁さんだ。先輩にすっごい怒られたけど、その花嫁さんは笑ってくれたんだ。見えないところなのに細かいことを言ってごめんなさいって逆に謝られた。見えなくても、何かの拍子に見えてしまうかもしれない。見えなくても、その日はとても大事な日なんだから、ひとつひとつ気に入ったものを身につけてくださいって、俺が言った。
「でも、違うの」
「? 知念さん?」
「佐藤さん、どうしてるかなぁって、思ったの」
「……」
大きな黒目を伏せて、頬はチークだけじゃないピンク色に染めて、はにかんだ口元も愛らしい知念さんのこと、あのまま好きになったりしてたのかなぁ。この子を好きになれたらこんな気持ちにならなかったのかな。期間限定で絶対に来る終わりなんてこと、考えなくてよかったのかな。
その好きみたいに強制終了されることはない「好き」をこの子とだったら。
「環!」
でも、やっぱり全部の嬉しいはこっちへ繋がっている。
「ごめん。知念さん。まだ仕事残ってるから」
「あ、佐藤さん!」
「チョコ、届けてくれてありがとう!」
期間限定だけれど、でも、この人に、千尋さんに名前を呼ばれると、どうしても嬉しくなっちゃうんだ。そして、自覚したばっかの「好き」の輪郭がまた少しはっきりする。そして、期間限定のくせに、また少しだけ膨れてしまった。
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