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第14話 けっこう面倒

 知念さんと話していたら千尋さんが俺を呼んだ。その声に自然と身体は反応して、足が彼の元へと駆けていく。知念さんにお辞儀をして、急いで自分を呼んだ人のもとへと、少し嬉しそうに、足は軽やかに千尋さんのところへ向かう。  彼に呼ばれると嬉しくなるのは、彼のことが好きだから。  ――悪いな。仕事のことで確認しておきたいことがあったんだ。彼女のほうはいいのか?  ――大丈夫です。仕事、何かありましたか?  ――そうか……試作品はいつ頃出来上がりそうだ? 無理にとかじゃないんだが、時期がわかるとこっちも動きやすい。それと、この後だが、何か予定は。  嘘、付いちゃった。  この後、予定はあるかって言われて、ありますって言っちゃった。ないですけど。ないから、もう帰るだけなんですけど。そそくさと鞄だけ持って退社してしまった。そして、駅へ向かって歩き始めて数分、テキストを持って帰るのを忘れたことに気が付いた。デスクの上に置きっぱなしだ。家帰ってから、明日からの仕事のために少しでも復習しておきたかったのに。 「あ、俺、定期ないんだ」  本社に勤めるようになってから加納さんに送り迎えをしてもらっていたから、電車とか使ってなくて、だから定期もない。 「俺、アホなの?」  アホだよ。うん。学校で習ったことが載ってるはずのテキストをもう一回読み返すのも、女の子が恋愛対象だったはずなのに、専務で、あんな高嶺の花みたいな同性のこと好きになっちゃうのも。その好きになったタイミングの悪さも、全部。  今日は送迎はキャンセル。予定がありますって言ったから、もしかしたら、知念さんとどっか出かけるって思ったよな。いや、それすら思われないかも。そこまで気にかけないよね。  花嫁役だけれど、それは役だから。  新ブランドの構想もできた、どんな方向性でいくのか、いくつかデザインも決まって明日からは試作作り。しっかりと新ブランドの計画は進行している。  そして、このブランドが出来上がれば、この花嫁役も終わり。  無事、あの人は次期社長へ。俺は新ブランドのスタッフメンバーとして、その隣に。 「……」  いるのかな。あ、ちょっと、想像するとしんどい。だって、あの人が本当に花嫁っていうか、パートナーにしたいと思える人はもっとずっと優秀な人だと思うから。俺に千尋さんは現実的に考えてみれば不釣合いだ。彼には、そうだな……もっと、こう才色兼備で、男性だけどスレンダーで、わかんないけど、超絶美人。ほら、想像しただけで。  その時だった。鞄の中のスマホがブブブって中で暴れてた。 「……げ」  画面を見れば、「母」の文字。なんだろ。仕事どうしてるか、とか? 「も、もしもーし」 『あ、環? ねぇ、あんた、ブライダルの社割とかやってない?』 「は?」 『あのね。工藤さんちの娘さんが結婚するのよ。ホテルで挙式なんだけど、ドレスとかそういうの一式、あんたんところで安く貸してくれないかしらって』 「お母さん、俺が働いてるのブライダルシューズの会社」  ブライダルが付くからって、ドレスとかは業界違いなんだってばって、もう何度か説明したんだけど、どうしてもその「ブライダル」を全部ひとまとめにしたがる。 「それにっ」  今、現場じゃないからって言いかけて口をつぐんだ。デザイン学科にいた俺がついにデザインの仕事に就けて、しかも新規プロジェクトに参加してるなんて言ったら、うちのお母さん絶対に飛び上がって大騒ぎをする。どれがどこまで期間限定なのかわからないんだ。 『なぁに? 環?』 「……」  ホント、俺ってアホだなぁ。 『環?』 「ドレスとかはわかんないよ。できてもパンプスのレンタル料割引くらいかな。でも、それだって、うちが提携結んでるホテルじゃなかったら、ホテルと相談して持ち込みとかになるよ?」 『あらぁ、けっこう面倒なのね』 「うん……けっこう面倒だよ」  人生は本当にままならない。 『それならいいわ。きっとそこまで面倒なこと、工藤さんとこの娘さんもしないだろうし』 「……うん」  あんたは仕事頑張ってるの? そう訊かれて、めちゃくちゃ頑張ってるよとだけ答えた。職場の人と仲良くやってる? 女の人が多い職場は気苦労が絶えないかもしれない、って、言われたけど、今いる職場は男性のほうがいいから平気って思いながら、そこには触れず、ただ「大丈夫」とだけ答えて、あと、色々訊かれて、その度に、笑いながら答えて電話を切った。 「……」  人生は、ままならない。  あの人はすごく優しい人だ。作りたい靴があるから、逆境の中でもその信念を貫くために俺を手伝いに選んでくれた。花嫁役をやれって脅したという形にしておけば、俺が、新社長になった後もきっと色々言ってくるだろうあの三兄弟のことを心配しなくてもいいだろうからって、そんなところまで考えてくたんだと思う。  気兼ねなく、今の仕事を自分の実績のひとつとして持っていられるように、デザインの経験値として、新レーベルの立ち上げに携わったっていう経歴とできるように、花嫁役のことを他言無用にしてくれた。  なんて優しい人なんだろう。  カッコよくて優しくて、そりゃ、男の俺だって好きになるよ。  でもさ、好きになってどうすんだよ。  相手はセレブで、社長で、カッコよくて、ハイスペックでさ。振り向いてもらえないだろ。最初に言われたじゃんか。期間限定って、ビジネスだって。そんな人を好きになって? そんで、告白して、周囲びっくりさせて? うちのお母さんだけじゃなくて、家族全員びっくりさせるの? そんなの。  けっこう面倒だ。  だから、好きになったばっかだけど、これはとても面倒な「好き」で、きっと諦めないと周囲が大騒ぎになる、そんな「好き」なんだと、アホな俺は今、気がついたんだ。  ――おはようございます。  ワガママを言って申し訳ないのですが、急遽、今日から、会社にひとりで出社させてください。小早川さん、成木さん、もちろん加納さん、俺はこの方々に比べると、まだ至らない点が多く、見劣りしてしまうところばかりです。なので、少しでも早く行って、仕事の準備をしたいと思っています。本当にすみません。  あ、あと、できたら、通勤するにあたり、定期を購入したのですが。電車賃の請求等をしても大丈夫でしょうか。 「……よし」  もう一度、昨夜からずっと考えて構想を練って書いたメール文を読み返した。誤字脱字はもちろんだけれど、言葉だけだから、読んで、千尋さんが気分を害したりしないかどうか。意図は伝わっているかどうか、何回も確認した文面を、本社に到着してから。意を決して送信した。  送り迎えは、とりあえず遠慮しよう。千尋さんを好きになることを止めるための第一歩、まずは距離を置くところから。一緒にいたら、また見つけちゃいそうじゃん。あの人の優しいところとかさ。  それに! あれ!  頬触るの!  千尋さんのクセなんだろうけど、あれ、好きな人に何もその気がないのにされる接触としてはかなりしんどいから。だから、触らず近寄らず、仕事のことに集中したフリをしよう。フリじゃダメだけどさ。試作頑張らないといけないのは本当だし。 「掃除しとこ。雑巾、あったかな」  掃除してから、試作のこと考えよう。他に俺ができることをやっておこう。 「佐藤環さん」 「はい。何かご用……」  いきなり声をかけられて、つい普通に返事をしてしまった。そして振り返って、ちょっと失敗したんじゃないかなって思った。 「武藤様がお呼びです」  俺はアホだけど、でも、すごくつまらなさそうな顔をした黒スーツの人が言う「武藤様」が千尋さんじゃないことだけはすぐにわかった。

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