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第15話 花嫁は告げる。
黒スーツの男性に案内された部屋で待ち受けていたのは。
「やぁ、久しぶりだね」
まさかの……なんて思わないでしょ。予想どおり、あの三兄弟が揃って高そうな来客用ソファに座っていた。上手に並んで座って、ニヤニヤ笑っていて、それでなくてもいつもよりも早起きした俺はげっそりしてくる。
「おはようございます」
すごく苦手で嫌いだけれど、上司であることに変わりはないのでしっかり挨拶をした。もちろん、その挨拶に応えてくれるわけがない。こういうところからしてダメなんです。そんなんだから次期社長に誰一人として選ばれないんだと思いますよ? って、言ってやりたい。
それと、ニヤニヤしながら上から下までじっと見つめるのって、普通に気持ち悪いですよ? 俺、男だけどそれでもけっこう不快感しかないですよ?
「あの、なんでしょうか。千尋専務なら」
どうせ、千尋さんと別れてくれとかそんなことだろ? 手切れ金とか言ってお金の入った茶封筒を渡されたら、この場で突っ返してやるんだ。千尋さんとは別れるつもりありませんから! って、言ってやる。
本当は片想いを諦めようとしてるけど。
あ、それか、新ブランド立ち上げのために呼ばれた中から、俺のことを引き抜こうとか?
残念、俺はあのメンバーの中で最下位でしたー。一番実力ないんでしたー。
「君は」
もしも現状を聞き出そうっていうのなら、それこそ残念。何があっても、どんなことをされても言わないから。
「花嫁……じゃないだろう?」
口なんて、絶対に。
「……え?」
割らないんだからな。
「あの男に頼まれて、花嫁役をやってるんだろう? いや、あの柄の悪い男のことだ。もしかしたら君のことを脅したりしてそうだ」
三兄弟の長男で、一番顔の長細い人が俺をじっと観察しながら、そんなことを言った。俺は胸のうちを覗き込まれないように、必死にポーカーフェイスに務めたけど、でも、長細い人は何かを見つけたみたいに、目元だけを細める。
「君はノーマル、そうだろう?」
なんだよ。ノーマルって。何? 同性を好きになる人はノーマルじゃないって言いたいんですか? それじゃ、千尋さんはアブノーマルってことですか? そんなこと、幸せを祝うお手伝いを仕事としている人が思ってるなんて、ナンセンスだと思うんですけど?
「あの日、あの男から君を花嫁だと紹介された日から、失礼だが、君のことを調べさせてもらった。わが社の社長婦人になるかもしれないお方だ。身元調査が入るのは当たり前だろう?」
勤務態度だけでなく、実家、また友人関係、恋愛遍歴、探偵でも雇わなくちゃわからないようなこと全て調べられていた。
「過去の恋愛に関しても調べさせていただいた。失礼だが経験は乏しいようだね」
悪かったな。っていうか、これ、普通にセクハラですけど! 同性間だってこういうのはちゃんとセクシャルハラスメントになるって知らないんですか?
「そしてそのお相手は……女性だ」
「!」
長細い武藤さんがにやりと笑った。
「どうせ、花嫁役として連れて来られて、新ブランド立ち上げ、社長の座乗っ取り、あの男の目的を果たす手段のひとつにされた末、ぽいっと捨てられるぞ?」
違う。なんで、そんなイヤな言い方しかできないんだよ。結婚っていう、お客さんの最良の一日の手伝いをするのがムトウブライダルじゃないのかよ。笑顔にするのが仕事なんじゃないのかよ。
なのに、なんで社長の座を乗っ取るなんて言い方するんだ。自分たちが選ばれなかった理由は考えたことないんですか? 目的を果たすための手段? そうかもしれないけど、俺を選んでくれたのは、作りたい靴が同じだったんだ。あなた達にはない「笑顔」を作る靴を一緒に作ろうって、そう言ってくれたんだ。デザイン経験もなければ特別優秀でもないけれど、その信念を信じてくれた。
捨てられる、なんて。
「そんなの……」
捨てられるなんて言わないでください。そうじゃない。千尋さんはこの新ブランドの立ち上げを俺のスキルに変えて、俺のジャンプアップの土台を作ってくれたんです。
「男好きのあれに脅されて、コマとして使われるなんて、可哀想に」
あの人は。
「正直に言ったほうがいい」
あの人はっ!
「環っ!」
扉を蹴破る勢いで入ってきたのは、千尋さんだった。まるで少女漫画のヒーローみたいだ。ヒロインを守ってくれる、イケメン王子みたい。相手が、アホで、好きっていう自分の気持ちに気が付くのも遅くなるようなドン臭い一般人で、少女漫画らしからぬ奴だったけれど。
「環っ」
「……千尋さん」
イヤ、だなぁ。
「失礼な男だ。ノックもできない。教養がないと、これだから。こんなのがわが社のトップだなんて、父もどうかしてしまったんだ。早々にあの座を退いたほうがいいとは思わないか?」
長細い人がそう問うと、残りのふたりがコクコクと小刻みに頷いた。どっちが失礼だよ。千尋さんのことそんなにけなして、皆で重箱の隅つついて、恥ずかしくないのかよ。教養? 何も考えず頷くだけって、自分で情けなくならない? 俺はなりました。ミーティングで、小早川さんも、成木さんも、専務だとか、そんなこと気兼ねしないでバンバン意見出し合って。そんな中頷くしかできない自分のことを俺は情けないって思いました。
「おい。環。こいつらに何かひどいことを」
いっぱい言われたけど、全然平気だ。耳栓する気にもならなかったよ。可哀想な位愚かだなぁって、呆れてたくらいだし。でも――耳栓、今はちょっと欲しいかな。
「初めて」
今から言うことを千尋さんには聞かれたくないです。すごくイヤだから、できることなら耳栓して欲しいよ。
「初めて、同性だけれど好きになった人なんです」
すごく言いたくなかった。お芝居の花嫁役として言わないといけないセリフなのに、そこには俺の本心が混ざっていて、その本心すらお芝居みたいに、ウソみたいに塗り替えられてしまいそうで、すごくイヤだ。
「千尋さんは、特別な人なんです」
貴方には聞かれたくない。ウソのセリフみたいになんて、俺はその言葉を口にしたくないよ。本当にそう思ってるのに。男の人だけど、同性とか関係なしに好きになった人なんだ。なのに、今ここで言うのは、花嫁のフリをしないといけないからになっちゃうじゃないか。
「はっ! そんな口からでまかせ、いくらでも言えるだろう?」
バカ三兄弟のせいだ。
「でまかせなんかじゃないです」
諦めないといけないって思ってたんだぞ。期間限定だし、こんな人に俺は不釣合いだし、本当の意味でのパートナー、この人に愛されるような素晴らしい人物じゃないって、自分ですごくわかってて、だから、好きだって気が付いた数時間後に、ちゃんと諦めないとって、思ったのに。
男の人を好きになったなんて、家族に知られたら、大変なことになるんだ。うちのお母さん、大騒ぎで失神するかもしれない。ましてや、期間限定って知らない親に、成木さんに、小早川さんに、会社の人達に、花嫁なんです、結婚前提なんです、なんて知られたら。それこそ面倒なのに。
「ちゃんと、好きですよ」
バカ三兄弟のせいで、わかっちゃったじゃないか。
「環?」
数歩離れたところにいた千尋さんのところへ行くと、少し息が乱れてた。俺のことを心配して走って来てくれたんだって、すぐにわかった。後ろへ撫で付けてる髪がちょっとだけ乱れて、こめかみのところに垂れている。
(ごめんなさい)
バカ三兄弟に聞こえないように、こっそりと謝って、そして、懐に飛び込んだ。
「たまっ」
あぁ、こんなふうになんてしたくないよ。減るもんじゃないとか、そういうことじゃなくて。
好きな人にキスするのに、こんなところで、こんなふうになんて、したくなかった。
「これでおわかりいただけましたか? 初めて、好きになった男性なんです。特別なんです」
本当のことなのに、こんなふうに、嘘になんてしたくなかったよ。
「環……」
バカなのは俺だ。もっと上手にやればいいのに。こんな三兄弟相手にムキになるなんてさ。
「ごめんなさい。千尋さん」
「……お前が謝ることじゃない」
手を握ってくれた。そして気が付いたんだ。俺、震えてた。なんの震えなのかなんてわからない。緊張したのか、悲しくて泣きそうなのか、たとえ嘘でも好きって言えて、キスできて嬉しかったのか。
「バカか、お前は」
「っ」
きっとそれ全部だ。
「今後、環にこのような無礼は一切許さない。彼に俺の許可なく接触するようなことがあれば」
「あ、あれば、なんだっていうんだっ」
手を握って俺を自分の背後に隠してしまったから、顔は見えないけれど、声がとても怒っていた。俺には向けられたことのない、厳しくて冷たくて、つい身を縮めてしまいそうな声。
「覚悟してもらう」
「!」
「失礼する」
そして、俺をさらってしまった。
颯爽と歩くヒーローに手を引かれ、その力強い手に眩暈を感じながら、もつれそうになる足でどうにか追いつこうと歩いてる。この人の背中についていってる。ずっと、この背中を目の前にしながら歩けたら、すぐ隣を一緒に歩いていられたら、どんなにいいだろうって、思ってしまった。面倒なことがいっぱいあって、俺はゲイじゃないから今回だけ諦められたらよかったんだ。次に好きになる人はこんな面倒な人でも、身分違いでもなく、もっと簡単な人だろうから、この好きだけ忘れてしまえばよかったのに。
「ち、千尋さん!」
廊下に綺麗に響いていたドレスシューズの足音が、俺の声にぴたりと止まった。
「悪い、環、あいつらのせいで」
「ごめんなさい」
それができない。諦めるなんて、この人を好きな、この気持ちを忘れるなんて、できないよ。
「いや、俺が悪い。いやだっただろう?」
イヤだったです。だから、首を横に振った。ホント、やだ。
「環、泣いて」
ね、やだね。貴方がすごく優しい人だって俺はもうわかってる。それなのに、今、ここで泣いたらきっと貴方を困らせる。なんだか、そんなこともわかっていて、わざと泣いてるみたいで、すごくイヤだよ。
「ごめんなさい」
「環……」
これを言ってしまったら、優しい千尋さんはきっと困ってしまうのに。
「俺、本当に、好きなんです」
「……た」
「千尋さんのこと、本当に、好き、なんです」
なのに、涙は勝手に零れて、諦めるどころか今朝よりももっと膨れて大きくなった「好き」を告げてしまっていた。
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