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第16話 キス、キス、噴火

「好き、です……」  諦めないといけないのに、三兄弟の前で言うしかなかった告白を、そうじゃなくて、本心からなんだよって上書きしたくて、丁寧に、丁寧に言葉にした。  バカだ。俺。千尋さんは困るよね。  ほら、目を丸くしてびっくりしてる。そりゃそうだよ。恋愛対象は女の子のはずの俺がいきなりこんな雰囲気で朝っぱらから告白してるんだ。  千尋さんが男の人を好きになるからって、俺を好きになるわけじゃないのにさ。 「すっ、すみません! あの、俺、いつの間にか好きになっちゃってたみたいでっ」  せめて泣くのくらい止めないと。千尋さんだって「ごめん」の一言を言いにくいじゃん。 「……本気か?」 「はい。すいません」  ですよね。びっくりしますよね。俺だってびっくりしたもん。男の人を好きになるなんて、これっぽっちも思ったことなかったし。しかも、女の子みたいな男の人じゃなくて、こんな――。 「本心から言ってるのか?」  こんなカッコいい人だなんて。 「すみません……」  憧れとかだったらよかったのにさ。かっけぇ、ってだけで留まればよかったのに。全然そうじゃなくて、普通に好きで、っていうか、指先で頬に、今、触れられたら、きっと心臓が止まると思う。今でさえ、こんなに暴れてるんだ。  おかしいよね。  花嫁役って言葉が暗示みたいに俺の気持ちを操作したみたいに思えるよね。それでなくても賢くない俺の脳みそなら、簡単に操られそう。でも違うんだ。  本当に好きになったんです。  でも、花嫁役は期間限定で、千尋さんにしてみたら「マジかよ」って感じの出来事ってわかってます。わかってるから、切なくて涙が出てしまう。 「環」  この涙は優しい千尋さんを困らせてしまうから、安物のスーツの裾で拭こうと思った。 「……真に受けるぞ」 「はい。すみませ……ぇ?」  この手を掴まれて、びっくりして、顔を上げた拍子に涙がポロって零れ落ちた。目の前で、この人に泣き顔を見せてしまった。自分のところに引き寄せる千尋さんの力強さに涙はその一粒を最後に止まったけど。 「千尋、さ……」  真に受けるぞって、言われた。そして、千尋さんがものすごく眉間に皺を寄せて、大きな溜め息をひとつ、落っことした。 「あの……」 「お前、それ意味わかって言ってんのか? 好きって、泣きながら言いやがって」 「ごめんなさいっ、あの! 気が付いたらそうなっちゃってて、そんでっ、一応諦めるつもりでいるんです。なんだけど、あの三兄弟に訊かれて、花嫁のフリじゃなくて本当ですって、嘘ついたら。嘘じゃないけど、お芝居だから、なんかごちゃごちゃになっちゃって、その、フリじゃなかったら、なんて迷惑なこと考えちゃって。千尋さん困るのに泣くとか、ホント」 「ホントだ。お前、わかってないだろ」 「ぇ?」  そんなに強く引っ張ったら、俺、また貴方にぶつかっちゃう。今度は真正面から体当たりしちゃうんですけど。 「お前のこと、好きだって」 「ぇ……っン」  また激突しちゃうかと思ったけど、でも、激突しなかった。 「あ、ふっ……ン……んんっ」  千尋さんが俺を受け止めてくれて、そのまま、キスしたから。 「ン、んっ……ン」  唇が重なった。その感触を堪能するとかそんな暇もなく、唇を舌先で突付かれて開かされて、舌をまさぐられる。息する暇なんてなくて、ただ、柔らかくて濡れてる千尋さんの舌に口の中を擦られて、唾液とか音立っちゃうようなキスに翻弄されて、身体が熱くなる。 「……環」 「っ……」  何これ。立ってられない。  今日だって高いスーツなのに、俺は濃いキスに蕩けてしまいそうで、必死にしがみついてしまった。胸のところ、襟の辺りがもうすでに皺くちゃだ。口の中を激しくまさぐられた分だけスーツが乱れて皺だらけ。  俺がさっき三兄弟の前で見せたキスなんて幼くて可愛いものじゃなくて、一瞬で、身体の中が沸騰してしまうような、そんな激しくて濃い大人のキス。 「わりぃ、なんか、たがが外れた」  足に力が入らなくなるようなキスなんて、嘘だと、お芝居だと思ってた。 「平気か?」  花嫁役を頼まれるとか、そんなシンデレラストーリーはおとぎ話だって思ってた。 「お前のことを好きだと言えるなんて思ってなかったから、浮かれた」  こんなカッコいい人に好かれるなんてありえないって。 「嘘みたいです」 「……それはこっちのセリフだ」  ぎゅっと力を込めて抱きつくと、たしかに本物の千尋さんがここにいるんだってわかった。抱き締めた分、俺のことをぎゅっと抱いてくれたから。息苦しいのが嬉しい。  そして、息ができないくらいに抱き留められたら、耳のすぐそばで千尋さんの鼓動が聞こえた。それはものすごい速さで、とても嬉しそうな音をしている。 「……千尋さん」  ずっと、聞いてたい。 「環」  千尋さんの腕に抱き締められてたい。ずっと、ずーっと。 「……コホン」 「ぁ、かの、イテッ!」 「かかか、加納さん!」  ぎゅっと抱き合って、目を閉じかけた時、少し離れたところから聞こえた咳払いが廊下に響いた。廊下に響いたってことは、つまり俺らは今廊下にいたんだった! って気がついて、抱き合っちゃってるじゃん! って、ことにも気がついて。それを加納さんに見られてることに驚いて。 「……っ、おい、環」 「わー! ごめんなさい!」  千尋さんの顎めがけて、飛び上がって頭のてっぺんで激突していた。痛かったよね。思いっきり顎カチ割りにいっちゃったもんね。その顎を掌で押さえてうずくまったところを慌てて追いかけて、隣にしゃがんだ。 「一応、ここは本社の廊下ですので。まだ人は少ないですが、誰が目撃するかもわからないですから」 「わかってる」 「安心いたしました。今にも襲い掛かりそうな勢いでしたので」 「襲いっ」  えぇ、って、執事モードの加納さんが涼しげに微笑みながら頷いてる。 「するわけないだろ」  千尋さんの否定の言葉に無言で微笑みだけを返す加納さん。そして、そんな加納さんからも俺を隠すように抱き締めた千尋さんが「するかよ、ここでなんて」と付け加えた。するかよって、ここでなんて、って。  俺は濃くて深いキスにまだフワフワしたまんまの脳みそでその言葉を追いかけるように想像力を膨らませて。  するかよ。ここでなんて、って。するとか、ここで、とか言うから。  ――環、するぞ。  ――はい。千尋さん。  ――優しくしてやるからな。  そう言って微笑む千尋さんを想像して。 「!」 「環? おい、どうした、顔真っ赤だぞ」  何か色々を想像して、千尋さんの腕の中で頭が。 「おーい、大丈夫か? 腰砕けか?」  頭から何かが噴火した。

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