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第17話 妄想シュミレーション
「小早川、デザインの傾向に関しての資料なんだが、この四ページにある」
薄暗いベッドの上、裸になったふたりは静かに見つめ合う。そして、ふわりと色っぽく笑った千尋さんは俺の身体をそっと撫でて、こう言うんだ。
――環、優しくしてやる。
「あ、これですが? うーん。案外、人気みたいなんですよねぇ」
俺はドキドキしながらぎゅっとしがみついて、きゅっと唇噛んで、チラッと見上げたりなんてして、こう返す。
――お願いします。あの、俺。
「あ、そだ、来年の冬デザインなんですけど、これ」
もっとじっくりがっつり見つめ合うふたり。重なり合う身体と心。そして。
――わかってるよ、環。
――あっ、千尋さんっ。
「けっこうポップだな」
そしてそして。
――環。
――千尋さんっ。
「そうなんですよねぇ」
みたいな妄想が止まらない。止まるどころか膨れてく。だってさ、あの人が言ったんだ。するって、言ってた。あの人、俺と。
「するって……」
「あ、何、今夜するの?」
いやぁ。さすがに早くない? 最速すぎじゃない? 今、妄想シュミレーションしてみたけど、けっこうなんかドキドキですよね。でもさ、さすがに今日は、告白とキス二回で一般的にはお腹いっぱいじゃない?
「んー、そうかなぁ、好き同士なら別に早いとか遅いとかないと思うんだけどなぁ」
おそい……そうそう、襲うとか襲わないとか、ここでは襲わないとか、言われてしまったんですよね。
「あははは、めっちゃ言いそう。襲われそう。ぐいぐいされそう」
「って! 成木さん!」
「たまちゃんって面白よね」
「何、人の思考と会話してるんですかっ!」
成木さんがデザイン班のデスクに頬杖をつきながら呑気に笑ってた。ケラケラ笑いながら、まさにその外見とキャラクターにお似合いな口調で、だってぇ、なんて言っている。
今、デザイン班とデザイン以外を担当班のふたつに分かれている。そして、今日は一日会社の中にいる千尋さんが。その「デザイン以外を担当班」で動き回っていた。
「よかったじゃん。くっついて」
「あ、ああああああの」
「知ってたよぉ。わかりやすすぎよ? あれでわからない外野なんていないって。あ、俺、同性愛とか、ちぃぃぃっとも偏見ないから。ラブは世界で一番尊いでしょ? だから、ラブを同性愛だ異性愛だって分けるのはナンセンスだと思ってる派」
そんな軽いノリで素晴らしいことを言えるほど、恋愛哲学と向き合ったことはないけど、でも、俺も、好きに同性も異性もないんじゃなかなって思う。そして、今、それを自分の身で実感している真っ最中。
千尋さんのこと、ただ、好きになった。そこには同性とか異性とかあんまなくて、ホント、千尋さんに惹かれたんだけどさ。
「あ、今、尊い顔した」
「!」
「ちなみに、そう言ってる俺はゲイだけど」
「えっ! マジすかっ!」
「うん。そうだよ。あはは、めっちゃ食いつかれた」
成木さんって、成木さんって! ゲイ、だったんだ。え? あ、え? じゃあもしかして、千尋さんのこと。
「あ、俺、専務みたいなのはタイプじゃないから安心して? ちなみにタチもネコもどっちもできるよ?」
「たち、ねこ」
ぽかんとしている俺に、それも知らないかぁって、成木さんが少し苦笑いを零した。
「あのね……」
向こうでは仕事の話をテキパキと、こっちではタチネコ解説がテキパキと。そして、知ってしまった知らない世界に俺はびっくりしてた。とりあえず、安心できたのは、千尋さんが成木さんの好みの男性じゃなかったことくらいで、あとは不安が募るばかり。さっき俺が脳内で行った妄想シュミレーションがガラガラと音を立てて崩れていく。
だって、あそこにあれが挿入くらいのことはわかってたよ? 俺も子どもじゃないから。でもさ、その前準備がさ想像を遥かに超えたことなわけで。つい数分前に異性だとか同性だとか、人を好きになるのに関係ないって言ったばっかりなくせに、今、その同性との色々に驚愕してる。
「えー? じゃあ、どうやって、やると思ってたのさ」
「あはは……」
ね、どうやってやると思ってたんでしょうね。そんな俺に、成木さんが使える穴ひとつしかないでしょ? 男に。って、ものすごいダイナマイト発言をぼろんと落っことした。
「最初は大変だけどさ」
大変なんかい。って、心の中で呟くのが精一杯なくらい、俺の脳内で繰り広げられる想像図。
「まぁ、初めて同士だと失敗することもあるし、途中で終わっちゃうってこともあるし」
「えっ!」
「あるよ~そりゃね。でも、専務、経験値すごそうじゃん。って、そこでへこまないでよ? あれ、相当モテると思うよ。俺の好みじゃないけど、あれは、かなり、だね」
や、あれでモテない意味がわからないけどさ。カッコよくて、ゲイじゃない俺が好きになっちゃうくらいなんだから、フェロモンとかすごいしさ。
「だから、ほら、そこまでがっちがちにならなくても。専務に任せておけば大丈夫だって。たまちゃんだって未経験ってわけじゃないでしょ? 女の子とさ。穴は違えど、それを男同士でするだけだから」
「……」
「初めてじゃないんだから」
「……」
成木さんの慈悲深いフォローが俺の経験値ゼロの心をトンカチで叩いて真っ二つにパカンと割った。
「……ぇ? もしかして、初め」
粉々かもしれない。
「マジか!」
えぇマジですよ。
「化石かっ!」
化石じゃありません。人です。ただ童貞なだけの、人です。
違うんだ。だって、俺が付き合ったことがあるのって高校生の時なんだってば。社会人になってからなんてそんな暇なかったし、高校生同士のお付き合いで、どこでそんなコトに及ぶんだよ。親がいるから部屋は無理だし、ラブホテルなんて入れるわけないし。ドラマや漫画じゃないんだから、学校の教室でなんてできるわけがない。落ち着かないでしょ。学校ってけっこう人が行き来してるんだよ。そんな中できるわけないじゃん。トイレで、が初めてなんて、そんなん絶対にイヤだしさ。
「そ、そうなんだ」
「はい」
「だ、大丈夫だって」
「……」
「うん。きっと、だいじょーぶ! あははは」
成木さんってさ、素直な良い人だけれど、素直すぎて、胸の内が全部その綺麗なお顔にしっかり書かれちゃってるよね。それに、「きっと」ってさ、俺の中でだけかもしれないけど、ネガティブな時に使わない? きっと大丈夫って、大丈夫じゃなさそうな時に言うセリフじゃない? そんなの、言われたって、俺の不安はより一層さ。
「何ふたりで盛り上がってんだ」
「千尋さんっ」
「成木、悪いが小早川が持ってる来年の冬モデルの資料を見てきてもらえるか?」
「はーい」
成木さんは俺にだけからかうような視線を投げてから、スキップにも近い足取りで、指示された小早川さんのところへ駆けていく。
ちらっと、見上げると、千尋さんが楽しそうに笑ってる。イヤ、楽しそうっていうよりも嬉しそう。今日はずっとこんななんだ。
朝、俺が、今日は車のお迎えはナシでお願いしたいとメールをした時、どうしたんだと心配になった。そして本社へ来てみれば俺の鞄はデスクにあるのに、俺自身はそこにはいなくて、冷や汗が出たって。一目散に三兄弟がいる部屋へ乗り込んで、俺を見つけた時は心臓が止まるかと思ったって。そして、ひとりで三兄弟と対峙していたことに心臓を抉り取られるような痛みを感じたと、切なげに話してくれた。
「環、今夜夕飯一緒にどうだ?」
「え?」
俺を探して走り回りながら、頭がおかしくなりそうなくらい心配でしかたなかったんだって教えてくれた。
「安心しろ。別に襲って食ったりしないから」
笑って、俺の頭を撫でてくれる。
初めては失敗するかもしれないんだって。途中で萎えて終わっちゃうこともあるんだって。俺は初めてなんだ。そういうのしたことなくて、だから、もし、この人とする、ってなった時さ、失敗したらやだなって思った。途中で萎えてしまったら、いやだなぁって思いながら、とても嬉しそうに笑う好きな人を見上げていた。
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