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第29話 マイ馬鹿野郎ダーリン
治るんなら、この好きをやめられるのならやめてたよ。罵声だって暴言だって、そんなのいくらぶっかけられても止められないから、あの時、告白したんじゃないか。それなのに、逃げ場がなくなるって、俺がまるでいつかは千尋さんの前から逃げていくみたいに、離れていくみたいに言わないでよ。
なんだよ。
なんでそんなところで急に、王様を止めちゃうんだよ。
「でも、千尋専務の気持ちもわかる気がするなぁ」
あの場での会話を小早川さんが聞いてしまっていた。そして、怒っている俺と今、ちょっとだけサボり中。
「っつうか、あんなところで、そんなディープな会話をあんな大きな声でしたらダメでしょ」
「……すみません」
「まぁ、あそこは誰も来ないようなところだけどさ」
「でも! いいんです! 俺は別に隠すつもりなんて」
いつかは知れ渡ることじゃんか。俺が千尋さんの恋人で花嫁で、社長になったあの人の右腕として働くことは、そのうち知られることなんだから。
でも、そういうことじゃないんだけどなぁって、小早川さんはこっちを横目で見ながら溜め息混じりに呟いた。
今後のスケジュールのこと。加納さんと新ブランドの立ち上げに際して、ブランド名も決めないとって話してて、そのミーティングをいつ頃にしようかって、相談したかったんだって。で、俺のことも、千尋さんのことも探してて、探しまくって、俺たちを見つけた。最初は普通に話しをしているっぽかったから、人もほとんど来ない倉庫だし、イチャイチャし始めるのなら、急ぎの用でもないからって立ち去ろうと思った。
そこで、俺が声を荒げたもんだから、足を止めてしまった。
「たまちゃんのこと大事なのよ」
あ、まさかの小早川さんも俺のこと、たまちゃん呼びしてる。でも、小早川さんだったらいいけど、これ、加納さんにそんなふうに呼ばれたら、どんな状況でも吹き出して笑っちゃいそうだ。
「大事って、それって、なんか違くないですか?」
「えぇ? 違くないでしょ。本気だからだよ」
埃っぽい倉庫の中じゃなくて、今度は一変して、青空の下、小早川さんのサラサラした髪が風になびく、本社の中庭。
「本気だから、初恋みたいに怖い、のかもね」
「……」
「子どものする可愛いやつじゃなくてさ、本当に本気で好きになったら、けっこう怖くなっちゃうと思うんだ。ああいうタイプの人って」
ふわりと笑って、風に揺れてせわしない髪を耳にかける仕草はとても綺麗だった。あぁ、女性だなぁって、そう思いながら、眺めてた。
「でも、そこで、真っ直ぐ立ち向かう最強タイプもいるんだけどさ」
小早川さんは「君だ」とでも言いたそうにこっちを見て、キラッと光る笑顔をくれる。
「別に、俺は」
だから、千尋さんは君のことを好きになったんだろうね、と言ってもらえた。たしかに、俺は、きっと千尋さんとは逆、かな。今まではすごく消極的だったよ。付き合った子にも、好きな子にも、あんな千尋さんに言い放ったみたいな強い言葉と意志を言えたことなんてなかった。「あはは、そっかぁ」って言ってしまってると思う。
でも、それじゃ、あの人を独り占めできないじゃん。独り占めをしようとも、今までは思わなかったけどさ。きっと、物じゃないんだから、なんて言って、笑って済ませてた。
「あとね、たまちゃんのキャリアのことを考えたんだと思うよ」
「……え?」
「結婚するっていうことでかかる相手のリスク? みたいなの。私は、それがイヤで断ったから」
「えぇぇ?」
今、ぽろっとダイナマイト発言を、成木さんみたいに落っことしたよね? 華麗に笑ってるけど、それって、プロポーズを蹴ったってこと、だよね?
「随分前だよ?」
っていうか、小早川さんはいくつなんですか? もちろん、女性にそんなことは訊けないけれど。
「今の仕事に就いて、ちょうど伸びてきた頃だった。知識も経験も備わってきて、どんどん仕事の幅が広がっていった頃、結婚しようって言ってもらったの」
「……断った、んですか?」
彼女は静かに頷いて、遠く青い空を見上げた。寂しそうとか後悔とかは混ざっていない、ただ懐かしそうな瞳。
「結婚が女性の墓場、とかってほどは悲観してないんだけど、自分ひとりじゃなくなるのはたしかでしょ? たとえ、彼が私の仕事を理解して、尊重してくれたとしても、それはとてもありがたいことだけれど、それはつまり、彼の理解があるかないか、っていうこと、それ自体が、もう私の仕事に触れてしまってる」
「……」
「まぁ、ぶっちゃけ、貴方の理解も納得も尊重も、私の仕事に必要なくない? それ、ないといけない? って思っちゃったの」
そしてそう思ってしまった時点で、この結婚は断るべきだと思ったと、話してくれた。
「って、話がズレたけどさ、つまりはそういうこと」
ましてや社長の花嫁ともなれば、足枷はいやがおうにもまとわりついてくるだろう。いくら千尋さんが社長という立場をフル稼働させて守ってくれたとしても、それでも、些細な足枷はきっとその足元を重くさせる。
「専務は、貴方のことが心底好きなんだよ」
「……」
「ほんの少しの足枷も与えたくない。邪魔になるものは全て排除したい。それが自分であっても、自分が持っている本気の初恋であっても」
小早川さんが、恋はどんな王様だって一人の男にしちゃうってことなのよって笑った。俺は、それがとても素敵なフレーズでまるで映画みたいだって思った。
美人で可愛くて、仕事もできちゃう女性とふたり爽やかな空の下、胸が高鳴ったっておかしくないのにさ。彼女の笑顔に、女性らしい仕草に、この胸はちっともときめかない。じっと、座って、つまらなさそうだ。
「っていうか、もうなんかナチュラルに受け入れてもらってるっぽいですけど、俺と千尋さんのこと、知ってるんですか?」
「あはは、あれだけビーム出されて気がつかない外野はいないと思うけど」
人のことを脅すような王様のくせに、こんなチビで一般人な奴の前で、そんなビビらないでよ。怖がらないでよ。俺の好きを疑わないでよ。
俺のこと、信じてよ。じゃないと。
「私もラブはなんでも尊い派だからね」
小早川さんのキラッと輝く笑顔は眩しくて綺麗だけれど、ね? ほら、千尋さん。今、俺の胸に手を当ててよ。すぐにそしたらわかるから。
こんなに静かで無反応で淡々とつまらなさそうな心臓が貴方の前でだけ、大騒ぎで踊り出すんだから。
「……千尋さん」
俺のこと信じて。俺の好きを疑わないで。じゃないと、花嫁だけど男だからね。
「試作、頑張って作りました。きっと新ブランドだって成功します」
「……環」
貴方のことおんぶして、勝手にバージンロードでもなんでも走っちゃうから。
「さっき、小早川さんと話してたんです」
「……」
「可愛いですよね。あの人。女性らしくて、俺よりも少し背が小さいんです。美人で、気も利くし、話しやすいし」
睨んだって、やめないんだからな。俺こそ、怒ってたんだ。
「あと、あの子、俺の前いた現場の知念さん。すっごく良い子なんです。小早川さんみたいに美人ではないけど、可愛いし、あ、あと性格がめっちゃいいんですよ。俺も話しかけやすくて、一番親しかったかも」
「っ」
「俺には小早川さんは不釣合いかもだけど、でも、知念さんなら、お似合い、かもですよね」
「おい、たま、……」
もっと怒ってよ。
「でも、触って?」
怒れ怒れ、馬鹿野郎め。
「ここ、心臓、すごくないですか?」
「……」
「バックバック言ってるでしょ?」
不釣合いとかお似合いとか、そういう打算なんてしてる暇もなかったんだ。なんもかんも飛び越えて、何よりも速く、俺の心臓が貴方に飛び跳ねて踊り続けた。
「貴方だから、こうなるんです」
「……」
「ね? わかるでしょ? 俺の心臓、貴方のことが好、……っ、ン」」
馬鹿野郎な、俺の旦那様。
「ン、んっ……んふっ……ン」
もっと、キスしろ、バカ。
「千尋さんが、大好きだって、貴方がわかるまで、ずっと何十年だって言い続けてやるから」
額をコツンって、当てながら、誰にも無反応で頑固者だった自分の心臓が面白いくらいに飛んで跳ねて騒がしいのがおかしくて、つい笑ってしまったんだ。
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