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第30話 新しい靴
ここ、ドラマの撮影現場ですか? あの二時間ものサスペンスの女王って言われてる女優さんに会えますか? ――って、訊きたくなるんだけど?
「ち、ちちち、千尋さん! あれ! 獅子落とし!」
「……惜しいな。ししおどしだ」
「……ぁ」
素で間違えた。お蕎麦屋さんの中庭で一回見たことがあるけど、それが家にあることにも、そのお家が千尋さんの実家だってことにも、今更ながら、ちょっとビビる。そして、今、自分が勤め先の社長宅にいることの実感が妙に湧いてくる。
「こちらでお待ちです」
でも、ビビらないよ。
「あぁ」
眉ひとつピクリとも動かさない、凛とした立ち振る舞いの千尋さんの花嫁に、マジでなるんだから、こんなことくらいでビビってなんていられないじゃん。
「失礼します」
「……やぁ、久しぶりだね。千尋」
「……はい、お父さん」
この人が千尋さんのお父さん。
ちょっとびっくりしたんだ。俺の貧相な脳みそで覚えている武藤社長は社報で拝見した顔なんだけど、少し迫力が増してるっていうか、「やれ」って言って、殺し屋派遣とかしちゃうようなマフィアのドン的雰囲気があって、葉巻くわえてて、ペルシャ猫片手に……って、下手だけど。そんなイメージ。
ちょっと苦手かもしれない。
「げ」
思わず声に出てしまった。社長で、義理のお父さん設定になる人で、そんな人を目前にしながら「げ」なんて失礼なんだけれど、それは社長じゃなくて。
「やぁ、久しぶりだね」
こっちのブス三兄弟に。
まさかいるとは思わなくて、横に揃ったその顔面に思わず本音がぼろっと零れたんだ。好きじゃないから会いたくない上に、俺、この人達に、千尋さんへキスするところとか、告白するところとかめっちゃ見られてた。あの時は自分の中の気持ちにいっぱいいっぱいだったけれど、今、思うと、かなりすごいところを披露してしまった気がするんですけど。もしもなかったことにできるなら、もうなんでもしますって、神様にお願いしたいくらい。
「私が呼んだんだ」
社長の声は千尋さんに似ているけれど、ちょっと優しさは……あまりないかも。やっぱり、ちょっとどころじゃなく、苦手、かも。
「そちらが……?」
あー、そうか。
「えぇ、お付き合いをしている佐藤環さんです」
「……」
俺が、この人に嫌われてるから苦手なんだ。追い出したいって、その声が、瞳が俺を圧迫しようとするからだ。
「……は、はじめまして。佐藤環と申します」
でも、そんなふうに威圧されたからって、ぺしゃんこに潰れてなんていられないだろ。俺はそういうのも覚悟して、ここに来たいって言ったんだ。よく思われてなくても、苛められて締め出されそうになってもしがみ付いて居座るくらいの気持ちならちゃんと持ってるよ。
そう思いを込めて、緊張して裏返りかけながらもしっかりと挨拶をした。目を細めて、険しい表情を向けられようが、横でこの様子を観察している三兄弟に言われたような暴言を吐かれようが、真っ直ぐ背筋を伸ばして、千尋さんの隣にいるって覚悟を。
「君は新ブランドの立ち上げにも携わっていると訊く」
「はい」
「持ってきたかね?」
「はいっ」
殊更大きく返事をした。だって、成木さんとこれは一生懸命にデザインしたんだ。千尋さんが作ったチームで、千尋さんが目指す靴を作った。自信作。
口数があまり多くないところもそっくりだった。ぼそっと「こっちへ」とだけ手招いた。そして、千尋さんは静かに持参した試作のパンプスを社長の手前に置いた。
ヒールは少しでもあると、足首にメリハリが出るから、ちょっとだけだけれど、つけた。できたら細いのがいいけれど、あまりに細いと低いながらも足を捻挫する理由にもなるから、地面に着く部位ギリギリのところでヒールを反らせるように太くする。これで安定感は増したと思う。
デザイン自体はシンプルにして年齢層も履くシーンも選ばない感じ。靴ばっかりが個性的だとお客さんは手に獲るのを躊躇うから。あとは、カラーで個性を出して勝負。値段は最初に小早川さんの言っていたアドバイスに従って、一万円ちょっと。皆で決めたこと、成木さんと俺が頭を抱えて決めたことを、そのパンプスの前で、静かに千尋さんが説明する。
それを社長は表情をひとつも崩すことなく聞いていた。俺はその沈黙と吟味の視線に耐えられなくて、付け加えてしまった。
ムトウブライダルのイメージを崩さないためにも、豊富なカラーバリエーションは基本パステルカラーとあとはベーシックカラーである黒、白、ブラウンのあたりを考えているって。それを聞いてくれたのかどうか、社長が千尋さんを名前で呼んだ。
「……千尋」
「はい」
「この試作品ができたのはいつ頃かな」
「つい、数日前です」
その答えに、ふむ、と空気を呑むような返事をして、頬杖をついた。ついてしまったのか、ついただけなのか。社長は試作のパンプスをじっと見つめたっきり、良いとも悪いとも言わない。
「彼らにも新ブランドの立ち上げにともなって、試作を作らせてみたんだ」
「……そうですか」
正妻の子どもは向こうだから、もちろん、向こうの三兄弟のほうが社長を継ぐ立場としては強い。でも、今、こっちを見ながら、ふんぞり返ってドヤ顔をされると、胸のうちでひねくれてしまいそうになる。社長を継ぐチャンスすらあげなくていいような気がしてきてしまう。
「僕らが考えたのはこちらです」
彼らがデザインしたパンプス達は俺達が考える新レーベルとは間逆をいっていた。一言で言うのなら、派手。年齢層は靴を見たらわかるくらい限定した若者向け。ビビットな色使い。これだけ高いピンヒールは履きこなせば、確実に足のラインを美しく見せてくれると思う。
反論、したいよ。こんなのムトウブライダルには合わないと思うって、言いたい。
でも、きっと若い子は飛びつくと思った。そのシーズンの流行をしっかりと把握している。来年は履けないかもしれないデザインだけれど、安価なら、と手を伸ばせると思う。実際、来年の今頃にはまた違うデザインのものが流行しているだろうから。来年には来年の。今年は今年の、お気に入りのパンプスを毎年。
「最先端を安価で提供する。シーズンを選ばず、長い間使える良い物を、では回転が悪い。今の時代、速さは何よりも優先されます。ユーザーもスピードを求めている。どんなものにも、です」
「そんなのっ」
「そちらの考えでは、今の若者を取り入れることは困難です。このビジネスで誰の心を掴むのがベストなのか。重要なのは新しさ、だと考えています。敏感で、最先端のその先端をいくことこそ、新レーベルを引っ張っていくのに相応しい」
そんなの違う気がする。安い靴で商売の回転を早くして? また買ってもらって? そんな靴は――
「どうでしょう。お父さん」
でも、もしも、女性にふたつ並んでいる靴のどちらを取るかと尋ねたら。
「……そうだな」
答えが浮かんでしまう。
「千尋」
「はい」
「あれだけ試作に時間を費やして、この一足とは思わなかった」
「申し訳ございません」
「来週だ」
最先端で、そのシーズンごとの流行をしっかりわかっている安価な靴。それをきっと手に取る。
「来週、どちらのレーベル案を採用するかを決める」
次から次にお客さんが自分たちの流行だけを追いかけた靴を買っていく姿が簡単に想像できてしまった。
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