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第31話 信じること

 三兄弟が考えた靴はどれも小売価格は五千円を切っている。学生でも気軽に買える値段設定。でもその値段で靴を作るにはたくさんある製造工程をかなりすっ飛ばさないとその値段はありえない。ワンシーズンで靴はガタが来るはずだ。  食べ物だって、服だって、ファストが好まれる時代、靴にもそれはもちろん来ている波でさ。 「……四千円」  ほら、今、俺が手に取ったパンプスもそのくらいの値段設定だ。見た目、普通の人にはわからないよ? これが四千円で収まるように作られてるのかどうかなんて。たとえば、このパンプスをただの黒いシンプルなものに変換してみてさ。数万円のものと、四千円に抑えるもの、それぞれの作業工程で作ってみたってその違いは簡単にはわからないと思う。でもちゃんと見ればわかるよ。  このピンヒールで、このヒール底の素材じゃ、あっという間に磨り減ってしまって、ワンシーズン終わる頃まで履ける状態を保てればいいと思う。でも次のシーズンには使えないだろう。ヒール底のゴムがなくなって、靴との芯になっている金具が見えちゃうだろうし、つま先の靴底だってこれじゃ足りない。先端の皮素材が歩いているうちにアスファルトで削られて、毛羽立つだろうし、最悪、穴が開くと思う。でも、そのくらい工程を削らなくちゃこの値段では――。 「お探しのサイズありましたらお声がけください」 「!」  店員さんがにこやかに笑いかけてくれた。 「あ、いえ!」  俺は慌てて靴を棚に戻すと、夜食にって買ってきたお弁当を入れた袋をガサゴソと音を立てて振り回しつつ、その場を逃げるように立ち去る。  試作の発表は来週。それまでに、今、考えていたパンプスを全て一度考え直さないといけない。今日からはそのために成木さんとデザイン居残り。  俺はその居残りに腹が減ってたら集中できないし、体力ないと一週間で試作まで終われないって、駅ビルで催されてる駅弁フェアで夜食をゲットした。 「……さぶ」  駅ビルを出ると、一気に冬の気配が混ざり始めた風に肩を竦めた。寒くなったなぁって思いながら、何気なしに行き交う女性の足元を見えれば、もう半分くらいの人はブーツを履いていた。冬にはブーツ、秋と春はパンプスかな。夏はサンダルタイプ。シーズンごとにも靴は模様替えだけれど、それだけじゃなく一年でファッションの流行も変わってくる。同じようにブーティーが好まれたって、去年でのデザインのもとは若干でも違っている箇所があるからさ。  そりゃ、毎年、毎シーズン、一万円以上もするパンプスにお金、出せない人もいるよ。俺もそうだし。でもさ、最先端の履いて、インスタに可愛いでしょって写真を上げたいでしょう? あの値段の靴なら毎シーズンだって買えると思う。  ――そっかぁ。あれじゃダメだったかぁ。良いと思ったんだけどなぁ。  うん。俺もそう思った。イチオシだった。これが最高のデザインだー! って思った。でもあのデザインじゃ甘いって言われてしまった。成木さんと一緒に考えた、イチオシのデザインだと思ったんだけれど。 「……」  でも、向こうの作ったパンプスは可愛かった。デザインも凝っててさ。すごくセンスがあると思った。  あの三兄弟のことなんて嫌いだし、あの人達がうちの会社を継ぐってなったら、会社そのものが心配になるけど、でも、お客さんには、パンプスを履く女性にはそんな会社のどうのこうのなんて関係ないんだ。 「ただいま戻りました。成木さんは焼肉弁当ですよね」 「うん! おし! これ食べて、頑張ろう!」 「はい!」  ふたりっきりの個室に焼肉のいいにおいが充満した。成木さんは笑いながら、この匂いが明日に取れるかなぁって心配している。じゃないと、きっと小早川さんに服に匂いが移るって怒られるから。  マジで、頑張らないと。  じゃないと、千尋さんが社長になれない。 「あ、そうだ。さっき、千尋専務がこっちに顔出したよ。たまちゃんはどうだって言ってたから、今、精力増強のために焼肉弁当買いに行ってますって言っといた」 「ありがとうございます」  俺があの人の邪魔なんてしたらダメだろ。手伝いをするためにここに呼ばれたのに、右腕に選んでくれたのに、右腕になれないどころか、あの人のことを社長の座から遠いところに追いやってしまったら、目も当てられない。最悪だ。  ――無理するなよ。帰り、待ってる。  スマホを見たらそんなメッセージが残っていた。 「千尋専務からなんか来てた?」 「あー……いえ」  俺は慌てて手短に「大丈夫です」ってだけ返した。  無理くらいしないと。凡人で、デザイン学校出たってだけの俺にはあのデザインは思いつかなかった。流行をしっかりと鋭敏に捉えることすらできていなかった。そんなの一年の時に習うことなのに。観察できてなかったんだ。毎朝、毎晩電車でホテルの職場まで通っていたのに、全然見てもいない。  毎朝、慌てふためいて自分の仕事に手一杯だったのは、今も昔も変わらない。俺はどこも成長できてない。 「たまちゃん?」 「!」 「大丈夫?」 「ぁ……」  ホテルの現場でオフホワイトのパンプスを用意するはずが、純白のを持って来ては先輩に怒られてた俺と何も変わってないじゃん。  成木さんみたいな優秀な人と一緒にデザイン考えたのに、そのデザインはあの三兄弟に劣ってた。 「平気?」 「ぁ……えっと」  成木さんがひとりでやったらもっとずっと上手だったんじゃないのかな。 「大丈夫、です」 「そ?」  あ、どうしよう。 「よし! それじゃあ! モリモリ肉食べちゃおうぜ!」  新レーベルの方針、俺が言ったアイデアが採用された。年齢層を選ばない靴。そんなのにしたから、デザインが汎用的なものになって、せめてもの感じでとってつけたようなカラーバリエーションくらいしかアピールできるポイントがなくなってしまった。  俺が言ったアイデアを採用した靴は、まるで俺みたいに、一般的で、どこにもスペシャルがなくて、つまらない。  成木さんだけで作ったら、それこそ、あの三兄弟が作った五千円以下のものよりももっと素敵なデザインのものを作れたかもしれない。ううん。きっとそうだった。  どうしよう、千尋さん。 「食べ終わったらすぐにデザイン始めちゃおう!」 「は……ぃ」  思っちゃったよ。俺が、いなかったら、きっと、あの三兄弟に快勝できるんじゃないかなって。一週間以上もかけて作って、俺にはあのパンプスが精一杯だったのに、それを一週間で作るのは、なんだかとても不可能な気がしてきてしまった。

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