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第32話 硬く縮こまる
来週の水曜日、新ブランド立ち上げの企画発表まで、あと、五日だ。試作の靴自体はきっとそう時間がかからない。そんな日数をかけてたんじゃ商売にならないから。この前作った試作だって、一番時間がかかったのはデザインのところ。それが決まってしまえば、あとは。
でも、そのデザインがダメだったんだ。
「ねぇねぇ、たまちゃん、この爪先のとこだけどさぁ。少し丸みがあるほうがいいけど、でもさ、やっぱ角度あったほうがスマートだよね。今のパンツスタイルとかはとくにさ。どうする?」
「……ぁ」
俺もデザインしたんだ。
「ぁ、えっと」
成木さんが優秀なのは誰もが知ってる。なら、ダメデザインにしちゃったのは?
「えっと、成木さんは、どっちがいいと思います?」
俺だ。俺のデザインがダメだったんだ。
「うーん、俺はやっぱり角度つけたいかなぁ」
「そしたら、そうしましょう。俺もそのほうがいいと思います」
「うん。わか、た……けど、あの、たまちゃん?」
「あ、そうだ、お茶ちょっと買ってきます。成木さんも飲みますか?」
俺のデザインが――。
「あ、うん……飲む」
「はーい」
落ち込む。才能ないのはわかってたけど、でも、やっぱ、落ち込む。
「……」
ガタンって大きな音を立てて転がり落ちてきたお茶のペットボトル。こういうのだってさ、デザインをする人はいるでしょ? 飲みたくなるデザインっていうのがあって、それは教科書では決まりがある。法則があって、飲食店なら赤い看板が定番だし、お茶のペットボトルなら、お茶をイメージさせるカラーを使う。でもその定番だけじゃデザイン埋没する。かといって、そこでちぐはぐなことをしてしまったら、どんなに作り手側に伝えたいものが合ったって意味ないんだ。芸術じゃない。美術でもない。これは商売なんだから。
そして、俺はそれができてない。センスがない。そして、それは今までも、ずっと、そうだった。本当は、ちゃんとわかってたんだ。わかってたけど、夢見てた。そして、いつだってそう。現実を思い知る。人生はままならないって。夢を現実のものにできるほど、理想を実現させられるほど、人生は甘くないって、わかってた。
「こっちのカラーかぁ……うーん、どうだろう。色はビビットはほうがいいよね。あー迷う。どうしようか、たまちゃん」
呟いて、成木さんがチラッと時間を見た。ぶっちゃけ、このデザインがどうにも定まらなくちゃ、試作も作れない。今日は金曜なんだから、月曜からの二日間で試作を作るためにも今日中にデザインを作らなくちゃいけない。そのあと、俺が土日かけて、デザインの細部で注意するべきところ、工程をチェックくらいのことならできるんだし。でも、デザインだけはさ、成木さんがやらないと。
「……そ、ですね」
ビビットな色は綺麗だけれど、それじゃちょっと強すぎる気がするんだ。どこかで引き算をするべきな気がする。でも。
「たまちゃんは? どう思う」
俺は……どうも思わないでいるべきだ。
「成木さんは、どう思います?」
「えぇ? でも、それじゃ、俺が作った靴になっちゃうじゃん」
そのほうがいいと思う。成木さんが作った靴のほうがきっといい。そのほうが社長は認めてくれる。
センスのない俺は靴を作るべきじゃない。
年齢を選ばないファッションなんて無理だったんだ。服だって髪型だって、年齢に合った最適なものがあるだろ? それは靴にもいえること。靴のデザインをいくらシンプルにしたって、年齢には勝てないんだよ。このコンセプト自体が無謀だったんだ。
「ねぇ、たまちゃん」
俺が考えたこと全部を一度ひっくり返してしまったほうがいいんだよ。
「たまちゃんは?」
「……」
俺は、デザインを考えるのが怖い。
イメージを口にするのが怖い。
「俺は……」
センスのない俺は。
「わりぃ、成木」
グンって、肩が外れそうな勢いで引っ張られて、びっくりした。
「あ、千尋さ……ん」
「今日はこのまま仕事は上がりだ」
「へ? あの、あと就業まであと一時間、あるんですけどっ、おーい、千尋せんむー」
千尋さんだ。
「あの、千尋さん、成木さんが」
「……」
でも、すごい怒ってる。
「千尋さん! それに! 俺、今日のうちにデザインを!」
成木さんにデザインを考えてもらって、俺は休み返上でデザイン以外のことを。
「お前は! デザインやってねぇだろうが!」
「!」
千尋さんの厳しい声が廊下に響いた。空気そのものが飛び上がって、萎縮するような鋭い声。
「……デザイン、お前、してないだろ」
「……」
厳しく鋭かった声が柔らかくなる。
「環……」
「っ」
柔らかくて優しい声。
「デザインしてねぇだろうが」
「……っ、だって」
その柔らかい声に心が緩んでしまう。
「だって」
言っちゃダメなのに。こんなんを千尋さんに言ってどうすんだよ。そういうところがダメなんじゃん。しっかりしてないんじゃん。
「デザイン、すんのが、怖いんです」
この人を支えないといけないのに、なんで俺が寄りかかってんだよ。
「っ……っ、す、すみませっ」
「お前、ホント、馬鹿だろ」
ひとりで立ってられないような男じゃ、この人の隣には相応しくないのに。
「何ひとりで、そんな顔して、泣いてんだ……馬鹿」
「っ」
抱き締めてくれた腕が強くて優しくて、この人のあったかさが強張って硬くなった心にまるで水が沁み込んで柔らかく、ほわほわと、ほぐしていった。
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