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第36話 三分待って
千尋さんが、ひとつ、深呼吸をした。
「それでは私達の考える新ブランド案について発表させていただきます」
凛とした低い声が、社長を中央に据えた会議室にとても綺麗に響き渡る。
「メインコンセプトは、まるで散歩を楽しむように、貴方の一日を最良の日へと変えていく靴たち――パッセッジョ」
ターゲットとしているのは全ての年代の女性達。就活のある十代二十代、仕事に、恋に、家庭にと毎日めまぐるしい忙しさの中頑張る三十代、四十代、そして、そんなたくさんの経験をしてきた五十代、六十代、もっと上の年代の女性たち。
最初は、どの年代にでも受け入れてもらえるようなデザインをって考えてた。そして、そこに焦点を当てたら、靴のデザインが窮屈になった。でも、それをやめた。
そうじゃなくて、デザインで選んでもらうんじゃなくて、どこまでもその人の足をサポートする靴として考えたんだ。ヒールのある靴だって考えた。高いヒールがしんどいのなんて、年代関係ないだろうから。ヒールの高さを制限するんじゃなくて、高いヒールでも足が疲れない安定感と足の先部分のクッション性。デザインは柄じゃなくカラー、それと素材で勝負した。
低いヒールはその低いヒールを靴部分とで色を切り替える。明るい色にして、ヒール自体に緩急をつける。色としてはダークカラーを基調として、引き締まった印象になるようにしつつ、一番柄が多く入っている。全面ダークカラーの花柄だったり。そしてヒールは陶器のような乳白色。
ノーヒールのものは足が楽だけれど、その分、筋肉をあまり使わないから、足首が引き締まらない。そこが引き締まるように華奢で、繊細で、女性らしいデザインを最重要視した。イメージは王道だけれど、バレエシューズ。軽やかで女性らしい、明るく甘い色を多く使った。できるだけ靴の前方に意識がいくように、視線が集まりやすいコサージュとかをつけて、つま先へ目を向けさせる。
全ての靴はカラー三展開。バリエーションで勝負するのは、やめた。
デザインと、一日中歩き回って忙しい人こそ笑顔になる、「痛くない」って驚いて呟かせる靴――笑顔を作る、靴。
そう、テーブルの上にヒールの高さごとに並べて置かれたパンプスを前にして、千尋さんが説明する。
三兄弟のほうはこの前と同じパンプス。
並べられた靴達を、武藤社長と重役達がじっと見つめていた。
これで選ばれなかったら……って、この前はドキドキしたんだ。皆で作った新ブランドの靴が選ばれなかったらどうしようって。でも、今は、すごく心が落ち着いていた。今回はダメでも、その時は、どこがどうダメなのか教えてもらって、改善して、そしてまたいつか、提案したっていいと思う。こっちから社長にさ。あの社長は苦手だけれど、でも、でもさ。きっとすごくシンプルな人なんだ。千尋さんに似ている。何を優先するべきか、それがとてもはっきりしている人。社長にとっての最優先は「ムトウブライダル」良くも悪くも、代々続くこの会社が一番で、その次が「愛」なんじゃないかなぁって思った。他の人が「愛」を誓う。その手伝いを自分にとっての「愛」以上に大事にしている、とても優しい人なのかもしれないって。この会社で働く人達を、この会社の靴を履いて笑顔になる人たちを、自分のことよりも優先する人なんじゃないかって。この部屋に入った時、社長と目があった時にそう思った。俺を真っ直ぐに見つめて、そして、それをちゃんと真っ直ぐ見つめ返す俺に、ちょっとだけ口元が綻んだように思えたから。
でも、まぁ、あの三兄弟が社長になったら、意地悪されそうだけれど。うん。それもきっと大丈夫。
千尋さんはそんなのに負けない強さを持っている王様だから。俺はそんな人に見初められた超絶一般人だから。
「新ブランドは……」
成木さんに、小早川さん、そして、謎の中年執事、加納さん。ね? この最強メンバーでできないことなんて、きっとないよ。
「パッセッジョ」
きっと、なんだって、できちゃうよ。
「そちらにしよう」
貴方と俺なら、なんだって。
「…………」
「選んでいただきありがとうございます。未熟な部分も多々あると思います。ですが、皆様に色々ご教授頂きながら、しっかり次世代のムトウブライダルを作っていこうと思います」
今、なんか……なんか? なんか聞こえた気がするんですけれども。
「あぁ、そうしてくれ」
「ちょ! お父さんっ!」
三兄弟が納得がいかないと一斉に席を立つ。
「千尋」
「はい」
「宜しく頼む」
「……はい」
「環君」
「……は、はい」
「千尋を、頼む」
「……はい」
そして、俺は、深く頭を下げた千尋さんに習って、頭を下げた。新ブランドの立ち上げに関してはこれから話を詰めるとして、まずは一緒にこのプロジェクトに参加しているスタッフに報告したいだろう。今日はこれで終わりだ――なんてことを社長が言っていた……ような気がする。たぶん。あんまり脳みそが今働いてなくて、ちゃんと頭に入ってこないんだけど。
「あ! あのっ!」
入ってこないんだけど、でも、ひとつだけ、これは言いたいんだ。
「……何かね? 佐藤君」
「あの……パッセッジョ、すごく頑張って作りました。靴とはっていう部分に振り返って、目指すべき作りたい靴を皆で作りました。誇っています。でも!」
千尋さんが俺の次の言葉を心の中から探り当てようとこっちを見つめていた。
「でも、お三方の作った靴も素晴らしかったんです! デザイン、生産性、コストの低減、あ、ちょっと低減させすぎですけど。ワンシーズンもたないのはどうかと……ただ」
さっきまでブーイングの嵐だったブス三兄弟がぽかんとしていた。
「ただ、俺たちには作れないものを、彼らは作れます。……苦手ですけど」
どんなに性格悪くたって、どんなに俺のことを嫌ってたって、この人達なりにムトウブライダルのためにこんだけたくさんのパンプスを考えたんだ。この三人の元で頑張っていた人達もいるんだ。
「けど、彼らも一緒に、パッセッジョ……したらいいと、思うんです」
「……環」
千尋さん、ごめんね。あいつら、俺も好きじゃないんだけどさ。でも、自分がデザインする、生み出すことの苦しさを知ったから、だから、あのデザイン、あの量は、すごいってわかるんだ。
「お前はすげぇな」
「千尋さん」
溜め息を一つ落っことしてから、クシャッと笑った千尋さんが俺の頭を二度軽くポンポンってした。
「千尋が選んだ……わけだな……」
社長が千尋さんそっくりな溜め息をひとつ落として、同じように笑った。
「千尋、お前は次期社長としてこれからももっと多忙になるだろう」
「はい。承知しております」
「新たな人材が更に必要であれば言ってくれ。こちらもそれに合わせた人事を考慮する」
「ありがとうございます。ですが、今、この新ブランドの立ち上げに加わってくれている私選任のスタッフと、兄達、そして今現在、社長を支えていらっしゃる重役の皆様がいれば、充分すぎるほどです」
「そうか」
「はい。それでは、スタッフに少しでも早く知らせたいので、今日はここで失礼致します」
一礼して、その場を後にする千尋さんの後ろを雛鳥のようにくっついて歩いてた。
歩いて、カツーンカツーンって廊下に響く足音を聞いて、そんで――。
「環っ!」
抱きすくめられた。
「あ、ああああああの、あの、もしかして、あの」
「ああっ!」
千尋さんが笑ってる。めっちゃ目を輝かせて、そして、めっちゃ笑ってる。
「パッセッジョが、新ブランドだ」
「!」
「そして、お前は新社長の」
「右、腕?」
「ああ! 右腕で、あと」
「千尋さんの、あの、本物の?」
「ああ」
俺の、花嫁だ。
クシャって笑って、そして、抱きすくめたまま、下から見上げるように俺にキスをくれた。
「環」
どうしよう。噓みたいだ。いや、選ばれるって信じてた。パッセッジョは最高だから、きっと選ばれるって思ってたよ。でも、でもっ、あぁ、どうしよ。嬉しくて、ふわふわしてて、足が浮いてるみたいに感じる。っていうか、実際抱き上げられてるから、浮いてるんだけどさ。
「環」
「あ、ああの、あの、千尋さん」
「?」
「ね、重くないですか? 俺」
聞きたいこと、言いたいことたくさんありすぎて、こんがらがって、出てきた言葉が自分の体重の心配って、俺、どうなんだ。
「っぷ、重くねぇよ。ずっと、抱き上げてられる」
「何言ってんですっン……っ」
「本当だ。ずっと、こうして抱き上げてたい」
ここ廊下ですよって言っても、悪戯っぽく笑うばかりでキスをやめない、子どもみたいな千尋さんに俺からもキスをした。隣にずっといられるんだって。この人の伴侶として、ずっと寄り添っていられるんだって。
「……噓みたい」
「あぁ」
そう言って微笑んだ俺の大好きな人の瞳は俺だけを映しながら、またキスをする。触れる柔らかさをふわふわ浮いて夢の中にいるような気持ちの俺からも、確かめるようにキスをして。またキスされて。そんなことを繰り返して、いつになっても離れがたかった俺達に、「キスしすぎ!」ってツッコミが、成木さん、小早川さん、加納さんから入るのは、結果を待ちきれず、訊きにきてしまった、ここから三分後のことだった。
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