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第37話 ちょっとプロポーズしてもらえます?
パッセッジョが新ブランドになった。その結果を聞きたくて、前のめりで自分たちから来ちゃう成木さんと小早川さんはちょっと「らしいよね」って思ったんだけど、案外、「どうでしたか?」なんて目を輝かせる加納さんが可愛かった。
もうみんな大喜びだった。
成木さんはぴょんぴょん跳ねて、とにかくおおはしゃぎで、ここのところデザインのためにキャンセルし続けた飲み会で暴れるぞって、少し物騒なことを叫んでた。小早川さんは小さくガッツポーズをして、マーケティングでちょっとやっておきたかったことがあるからって、資料を自宅に持って帰っていいかと訊いていた。本当にこの仕事、大好きなんだ。加納さんは一番目を輝かせて、一番静かに、でも、一番嬉しそうだった。今夜はこのことを家族に報告しなければって、上品に笑ってたけど、きっともっと本当なら踊り出したいくらいに嬉しかったんじゃないかな。鼻の穴がめっちゃ膨らんでたから。
皆、今日はそれぞれに喜びを噛みしめるんだってさ。お祝いはまた今度にしようって。
――え? だって、今日はふたりでお祝いするんでしょ?
成木さんの、あの察知能力って、すごいよね。もしかして、あの人には何もかもが透けて見えてるんじゃないかと思っちゃうよ。
だって、俺は、今日は。
「シャンパンとチーズは買って来たが、あ、環、お前、ケーキとか」
「ううん。いらないです」
今日は、この人と二人っきりでいたかった。
「……環」
冷蔵庫に何かないかと探す人の背中にしがみついて、高級シャツに額を擦り付けた。
「シャンパンより、チーズより、欲しいものがあるんです」
「……なんだ? 言ってみろ。なんだって、やるから」
ぎゅっと腕に力を込めて、もっとずっときつくこの人に抱きついて。背中からくっついて一つになるみたいに。シルエットだけなら、もう完全に一つになれたくらいぎゅっと。
欲しいのはね。
「……プロポーズ」
まだ、ちゃんと言ってもらってないんだ。それが、今、欲しい。
「俺は、男だけど、でも、花嫁なんでしょう? そ、そしたら、して欲しい、です」
「いいのか?」
ぎゅっと抱きついて、この人の胸にしがみつく俺の手に、大きくて温かい掌が重なる。
「お前は男だ。ゲイじゃないんだし。今なら、まだ、ただ、仕事上でのパートナーとしてだって」
「千尋さんは!」
王様だって、本物の恋の前ではただの男、なんてフレーズは、やっぱ映画みたいにロマンチックすぎてさ。ザ、一般人な俺にはおとぎ話みたいだけれど、夢みたいな恋だけれど、でも手放したくなんてない。格好悪くてもかまわないよ。ぎゅっと抱きついて離れない。
「千尋さんは、俺のこと、手放せちゃうんですか?」
「……」
「俺のこと、いらなくなるの?」
「……」
重なった掌、指先が絡まり合って、そのまま羽交い締めの勢いで抱きついていた俺を手前、目の前へと引っ張って連れてってしまう。
「……ならねぇよ」
「千尋、さ」
「一生、ならねぇ」
絡まった指はそのまま、この人の、王様の唇へと連れていかれた。
「一生」
唇が触れてくれたのは左手の薬指。誓いの指輪があるべき場所。
「環」
「……」
そして、王様は跪いて、王妃となる者の指へ唇を寄せる。
「結婚、して欲しい」
「……」
「一生、愛してる。どうか、俺の花嫁に、なってくれ」
王妃となる者は、求婚を迫る王様の美しくも凛々しい瞳をそっと覗き込み、キスをひとつその瞳を覆う瞼へ、丁寧に落とした。
「……はい」
優しい声でそんな返事を――。
「忘れんなよ」
「そ、そっちこそ! 忘れないでくださいね!」
「あぁ、もちろんだ」
嬉しそうな顔をしてた。誕生日と、クリスマスと、それと、なんだろう、お盆? とか? とにかく楽しいことがありそうな日のワクワクとドキドキと、嬉しさを全部詰め込んだような笑顔をしてる。
俺にプロポーズして、こんなに嬉しそうな顔をしてくれる。
「俺! しつこい性格してますから! 何せ、デザインの才能ないってわかってても諦めなかったくらいなんで! それに、いっくら、俺が平凡でハイスペックなしの一般人だからって、そこらですっごい綺麗なネコさんが誘惑してきても、浮気はダメですからね! マジでキレます! 俺も、男なんで、首根っこ取っ捕まえて、そんで、怒ります!」
女の子じゃないんだ。シクシク泣いたりなんてしないから。マジでワイシャツがえらい高級品だろうが、スーツがハイブランドのオーダーメイドだろうが、そんなの関係ないから。最低二日はご飯抜きにするから。
「マジですよ!」
「あぁ」
嬉しそうにしながら、俺をベッドまで運ぶ千尋さんが可愛くて、愛しくて、気恥ずかしいから怒ったふりでずっと小言を言っている。それにすら笑顔を向けられて、ほっぺたが熱くて困る。
「浮気、しねぇけどな」
「っ!」
ベッドにそっと、宝物でも置くように寝かされた。ふわりと横たえられて、それもたまらなく照れ臭くて。
「モテるのは、仕方ないけど、でも、俺、浮気ダメですからね! 大事なことなんで、二度言いましたからね! それから」
また怒ったフリをした。でも、ホント、やだからね。俺以外のことなんて、好きにならないでよ。俺だけの旦那様でいてよ。独り占めしたいんだ。
「それから?」
余所見しないでね。
「大好きです」
「……」
気が気じゃないんだ。でも信じてる。俺の旦那様は、そこらへんの男なんて太刀打ちできないくらいに、丸ごと全部カッコいいって。
「浮気、するわけねぇだろ。こんな、花嫁もらって、余所になんて興味持てるかよ」
俺が人生をかけて、尽くしたいと、俺丸ごと捧げたいと思った相手は、男の人で、王様みたいにドヤ顔が似合うキラキラした人。
「一生ついていくので、宜しくお願いします」
ねぇ、信じられないよ。この王様の初恋は俺だなんてさ。噓みたいだよね。そう思いながら、愛しい人の頬を両手で包み込んだ。少しシャープな輪郭を撫でて、この人の顎を少しだけ指でくすぐって、そのまま引き寄せキスをする。
ちょっとだけ唇を啄めば、押さえつけるように強いキスでベッドに沈む。この人の匂いに包まれながら、口の中をたくさん可愛がられた。
「愛してる」
キスの合間にふと視線も触れ合って、愛しさに溶けちゃうかと思ったんだ。
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