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第8話

 何かと思えば、須藤の大きな掌。佑月はその手首を掴んで引っ剥がす。 「いきなり何する……」  佑月が驚きで須藤を見上げると、その眉間には深いシワが寄っていた。 「……何怒ってるの?」  佑月は苦笑いを浮かべながら、真山へと助けを求めて視線をやるが、その真山は何故か申し訳なさそうに目線を下げている。 「滅多矢鱈に笑顔を振り撒くな」  須藤はムスッと真山を一睨みする。 (……そういうこと。でも今さら笑顔を見せたところで、真山さんがどうこう思うわけじゃないのに) 「……分かった。振り撒かないから」 「本当に分かってるのか?」  仕事ではお客様には笑顔で応対しなければならない。しかし須藤には、そんな常識など頭にはまるっきりない。でもこれ以上須藤の機嫌が悪くなれば、これから一緒に仕事をする真山が余りにも気の毒だ。その為には佑月がこれを払拭しなければならない。 「もちろん分かってるよ」 「……」 「ほら、時間なくなるから、早く行ってらっしゃい。気を付けて」 「……あぁ」  佑月は須藤にこれまでにないほどに、にっこりと微笑む。すると寄っていた須藤の眉間のシワは綺麗に取れ、満更でもなさそうに片眉が上がる。機嫌レベルも下がった分、上昇したようだ。こういうところは本当に可愛いと思ってしまう佑月がいることは、誰も知らない。 「ふぅ……行った。さむ……」  車が見えなくなるまで見送っていると、少し冷たい風が吹き抜けていく。マンション前を歩く人たちも少し寒そうに、肩を竦めて背を丸めている。シャワーを浴びたばかりで、部屋着のままの佑月はより一層肌寒さを感じ、身震いをする。 「戻ろ」  直ぐにマンション内へと取って返し、佑月は直ぐに風呂掃除、部屋の掃除を軽く済ませた。ホッと息をつきかけたが、時計を見るといい時間になっていた。 「うわ、もう十時過ぎてる」  佑月は慌てて身支度をする。須藤の部下である滝川が迎えに来るのだ。この迎えの件は、一緒に暮らし始めた当初は酷く揉めた。佑月は電車で行くことを言い張ったのだが、須藤がそれを決して許してはくれなかったのだ。須藤だけが反対するのなら、佑月は頑として受け入れることはしなかった。だがそう出来なかった。それは滝川が絡んできたからだ。 『ご安心ください! 必ず無事にお送り致します! 電車の方が危険ですから!』 『それとも私の運転では不安ですか?』  謂わば泣き落としというものだ。滝川を巻き込んだのは須藤の策の一つでもあるのだろうが、滝川個人の意思の方が強かったのだ。普段なら個人の意思で佑月と関わる事は許さない須藤も、事が事だけに今回のことは大目に見ているよう。そのようなこともあり、滝川が理不尽な叱責を受けないようにするために、佑月はそれを仕方なく飲んだのだ。 「おはようございます。成海さん」  玄関を開けると、そこには笑顔の滝川が待っていた。佑月は滝川に微笑みながら軽く頭を下げた。 「滝川さん、おはようございます。今日は少し肌寒いですね」 「そ、そうですね」  二人は一緒にエレベーターに乗り込むが、急にギクシャクとした空気を纏う滝川に、佑月はそっと隣に立つ滝川を見上げた。こういう時の滝川の顔はいつも少し赤いのだ。 「滝川さん、もしかして今日も熱があるんじゃ……」  佑月は滝川のおでこへと手を伸ばしたが、触れる前に滝川は驚いたように身を仰け反らした。 「あ、すみません……。凄く失礼なことでしたね」 「い、いえ、違います! こう、目の前に過るものがあれば、反射的に体が動いてしまうというのか……すみません。それに熱はないですからご心配なさらずに! 元気だけが取り柄ですから」  そう滝川は言うが、先程よりも更に顔が赤くなっていた。

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