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第12話

「今日はもう仕事は終わらせてきた」  車に乗り込むや、須藤は開口一番佑月にそう告げる。その知らせに佑月は嬉しさで思わず顔が綻んだ。 「じゃあ今夜はゆっくり出来るんだ」 「あぁ」 「……なに? そんなじっと見ないでくれよ」  穴が開くほどに見つめてくる須藤に、佑月は一人あたふたと、定まらない視線をうろうろとさせてしまう。 「旨そうな顔をしてるからな」  ずいっと一気に佑月へと身を寄せてくる須藤を、無駄だと分かってはいても、佑月は必死に両手を使って押し留める。無論効果なしだ。 「こ、こっちに来るなよ……。しかも人を食い物みたいに言うのやめろって」 「匂いも旨そうだ」  人の話を聞かない須藤の高い鼻先が、佑月の首筋を擽り、身体に熱が灯りそうになる。  こうやって須藤が佑月に触れてくるときは、必ず車中は運転席とは遮断された空間になっている。それなのになぜ今日に限ってオープンなのか。今は止めてくれと佑月が抗議しようとした時。 「ひゃっ!」  ペロリと耳の後ろを舐められ、一気に甘い痺れが全身へと走っていった。そのせいで情けないことに、思わずと佑月の声が洩れてしまう。しかもそれは真山に確実に聞こえるもの。佑月の羞恥メーターは振り切れた。 「おい、いつまで怒ってるんだ」  車が到着したのはいつもの老舗高級料亭【雅】。静かなる夜道に控えめに絞られた照明が、趣ある門を浮かび上がらせている。初めて訪れた頃は分不相応すぎて、佑月の体はカチコチに固まるほどに緊張していた。  しかし今では都会の喧騒も忘れさせてくれる静かな佇まいに、身体から無駄な力が抜けてホッと出来るようになった。  門から玄関までのアプローチは、高級感溢れる石畳が敷き詰められている。その両サイドに等間隔で埋め込まれた照明が、訪れる客の足元を優しく照らしている。 「怒ってない。呆れてるんだ」 「まあ、そう言うな」 「あのね……」  佑月は大仰にため息を吐いた。恐らく先ほどの車中の行いは、真山に聴かせるためにわざと運転席との間を仕切らなかったと佑月はみている。人前などは佑月が嫌がることもあり、性的に触れる時は必ず人目につかないように〝いつもは〟配慮はしてくれている。須藤自身も佑月の声や表情などが、他人に見られるなど我慢ならないことだからだ。  それなのに大胆に触れてきたのは、今朝のことを根に持っていたから。そうとしか考えられなかった。真山の気まずそうな空気を須藤が読めないはずはない。 「フフ……成海様だけですね、須藤様にそのような事を仰ることが出来るのは。お待ちしておりました」  落ち着いた淡黄蘗(うすきはだ)色の着物に身を包んだ美しい女将が、客の見送りで外に出ていたのか、入口玄関で笑顔で立っていた。 「あ……こんばんは女将さん。お恥ずかしいところを……」 「フフ。どうぞ、ご案内いたします」 「はい」  女将に聞かれたことは恥ずかしい事に変わりない。しかし、須藤は裏社会では〝王〟とも称され、その筋での影響力も大きい。そんな人間を人前で恥をかかせた。身内ならまだしも、外ではどんな人間が見ているかも分からないのにと、自身の落ち度に佑月は悔やんだ。  その時ふわりと佑月の頭は、温かく大きな手で撫でられる。佑月はそっと左隣を見上げた。不敵で力強い瞳。どんなことも見透かす恐ろしい目を持っているが、こういう時は酷く安心出来る。 「機嫌は直ったのか?」  顔を覗き込む須藤に、佑月はコクリと頷いた。

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