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第28話《Background》
◆
「このままK商事へ向かわれますか?」
「あぁ」
マイバッハに乗り込んだ須藤に、開口一番に真山がそう訊ねてくる。いつもはそんな小さな確認などはしない真山が、わざわざ訊ねてきたのは、あらゆる心情がそうさせたのだろう。
佑月のあのような姿を見れば、二人を温かく見守ってきた真山にとっては、堪えられない程の悲しみが込み上げているはずだ。だからつい、そちらを優先させたい気持ちが表れてしまったのだろうと、須藤は真山の心中を察した。
感情を表に出すことなどなかった真山も、佑月と関わってからは、少しずつ人間らしい姿を見せるようになっていった。主と佑月の二人を微笑ましそうに眺めていたりと。部下たちもそのような真山に驚くばかりで。そうは言っても須藤自身が一番変わり、周囲を騒然とさせたものだが。
成海 佑月に関わった人間は全て、良くも悪くも何かしらの影響を受ける。それ故に須藤は常に佑月が気に掛かり、目が離せないのだ。
本当は一秒足りとも自身の傍から離したくないのだが、そういう訳にはいかない。
佑月自身を尊重してやらなければならないからだ。今までのように、自身のやりたいように傲慢に振る舞うことは簡単だが、それでは本当の意味での佑月は手に入らなかっただろう。
一度黒に染まったものを白に戻す事が困難なように、佑月は決して自分を曲げることはしない強固な心を持っている。故に例え身体を手に入れる事が出来ても、心までは絶対に手に入らない。そんな男だ。
だからこそ、須藤は佑月に興味を引かれ、今ではたった一人の……唯一の人間となっている。だから記憶を無くしたからと言って、佑月を手離すことなど、須藤は微塵も考えていない。例えこの先、自分の事を思い出さなくてもだ……。
安定した乗り心地の車は、見慣れたビジネス街を走っている。
自然など全く感じる事が出来ない街並み。のどかな風景からは大きくかけ離れ、歩く人間もどこか慌ただしく、全ての流れがとても速く感じる。それが東京都心の姿だ。
須藤自身、自然を感じたいと、緑溢れる風景に思いを馳せるわけでもない。ただ当たり前の日常を過ごし、当たり前の風景を見ているに過ぎない。
しかし佑月が傍にいれば、時折喧騒から離れたくなる。静かな場所で二人でゆっくりと過ごしたい。何者にも邪魔されずに。
そんな事がふと、今の須藤の頭に過り、らしくないと自分に苦笑が漏れそうになったとき、スマートフォンが震えた。
「何か分かったのか?」
電話を掛けてきたのは泰然 だ。真山も気になる様子でルームミラーから須藤を窺っている。
『カメラに映ってた人間は解明出来ました』
「速いな」
途中で聞いた報告では、該当する時間帯に事務所前に現れたのは一人の男だった。
しかし男はマスクにサングラス、帽子とで全く顔が分からなかったという。普通ならばお手上げと言ったところだが、泰然に掛かれば、分からない物でも簡単に解明出来てしまう。
対象人物の骨格をスキャンし、そこから膨大な人物の資料から、一瞬で割り出す。
身長や、顔は変化するが、全ての骨格を変えることは不可能だ。そのため照合の一致はほぼ百%に近いという。
泰然は味方についていれば心強いが、敵に回れば須藤と言えど、恐ろしい人間になることは間違いない。何せマフィアも関わりを避ける、中国随一の巨大組織、劉一族の総帥だからだ。
『そして少し面白い事が分かりました。もう少しきちんと調べますので、明日お時間ありますか?』
「夜なら空く」
『分かりました。またお電話します』
須藤は通話を切ると、短く息を吐いた。
泰然にとっては面白い事であっても、須藤にとってはどんな事を明かされようとも、忌々しいだけだ。
最愛の男を、あのような痛々しい姿に変えてくれた礼はきっちりさせてもらうと、須藤は漆黒の瞳を鋭利に細めた──。
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