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第33話

「大事なものを傷つけておいて、無事に過ごせると思うな」 「え?」  ぼそりと呟かれた須藤の言葉は不明瞭すぎて、何と言ったのか佑月には分からなかった。  しかし、須藤の空気が刺すような禍々しいものとなり、佑月の身体にゾクリと恐怖心が走り抜け、全身の毛が逆立った。 「……須藤……さん?」  佑月の不安が混じった声色に、須藤の気が一瞬で消え失せ、宥めるかのように佑月へと手が伸ばされた。先程の須藤が幻だったかのように、佑月の頬に触れる指はとても温かいもの。 「また、顔を出す」  壊れ物に触れるように、佑月の頬を撫でると、須藤は腰を上げて直ぐに退室していった。 「今のは……」  須藤が消えた扉を眺めながら、佑月の心臓は速い鼓動を刻んでいた。  あの男は本当に、堅気の世界で生きる人間なのだろうか。ただ平凡に生活を送る中で、背筋が凍るほどの邪悪な気で満ちた気配を感じることなど、ほぼ無いと言ってもいいだろう。  しかもあれは恐らく少しの気が漏れた程度だろう。きっと本気になれば、いとも簡単に相手に膝を折らせるのでは。あの王者然とした男の前にひれ伏すように。  須藤と自分との接点がますます遠くなっていく気がして、佑月の戸惑いも増していくばかりであった──。  午後からのリハビリを終えた時、颯が見舞いにやって来た。だがそこには、佑月の知らない男が一人いた。 「前の部屋行ったら、特別室に移動だって言われてビックリしたぞ! すげぇな、マジでホテルだろ、これ」 「颯、来てくれてありがとう」 「いや、毎日でも来るぞ……って、ユヅ、寝られてないみたいだな……」  佑月の顔を見るなり、颯は辛そうに眉を寄せる。今日は会う人間全てに指摘されている。佑月は自分の顔が心配になってきた。 「うん、ちょっと環境の変化で眠れなかったよ。それより、そちらの方は?」  佑月と目が合った青年は、途端に緊張した面持ちとなった。  目を見張るようなイケメンではないが、人の良さそうな温かみに、優しい顔つきをしている。緊張して強張った顔でも、それがにじみ出ている感じだ。 「兄貴ぃ……」  〝兄貴〟とは誰だと思う暇もなく、青年の表情が徐々にくしゃくしゃになっていき、しまいには彼は大粒の涙を流し始めた。流石に佑月も驚き、救いを颯に求める。 「あー……こいつは、オレの後輩で、岩城 健二だ」  颯が少し寂しそうな苦笑を浮かべながら、岩城の頭に手を置いて、佑月に紹介してくれた。  颯の表情が気になりつつも、佑月は岩城に微笑みながら頷く。 「そっか、颯の後輩なんだ。あ、俺は成海佑月と言います。颯がいつもお世話になってます」 「うっ……兄貴……本当に忘れちゃったんですね……」  岩城はショックを受けたようで、堪らずと颯の肩に顔を埋めてしまった。そんな岩城を慰めるように、颯は岩城の頭をポンポンと撫でた。 「だから言っただろ? ユヅは忘れてるから覚悟しろって。オレは何度も止めたのに、それでも会いたいと言ったのはお前だろ?」 「分かってます……。でも実際に会ったら想像以上に辛くて」  二人のやり取りを聞いていた佑月の顔は、途端に青くなっていく。  もしかしてと頭に過ったが、もしかしてではなくて確実にこの青年、岩城とも面識があるのだ。  一年というのはやはり長い。仕事柄ということもあるが、出会った人の数は、決して少なくはないだろう。新たに友人が増えることがあっても何ら不思議でない。須藤のように。 「ごめんなさい……」  佑月は先ず誠意を込めて岩城へと頭を下げた。

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