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第64話
「あまり眠れなかったか?」
須藤は佑月の目元を拭うように触れる。その手つきが、入院中の時にも触れてきたような、労りのこもった優しいものだった。佑月はホッと肩から力を抜き、コクリと頷く。
「環境が変わったせいもあるんですけど……」
言い淀む佑月に、須藤が殊更優しい声で「どうした?」と顔を覗き込んでくる。目を合わせると、須藤の目は言葉通りに優しい色をしている。それが佑月に勇気を与えた。
「あの、昨日のこと怒ってないんですか?」
「怒る?」
心底に意味が分からないといった須藤の問い。本人がこの調子ならば、わざわざあの痴態を思い出させなくても良かった。そう一瞬頭を過ったが、それではあまりにも卑怯すぎると佑月は自身を恥じた。こんな自分が目の前にいれば殴り飛ばしたい程だ。
「親切にして頂いたのに、俺……すごく感じ悪かったですし。本当にすみませんでした」
後ろめたさや、情けなさやらで佑月の声は少し震える。
「どこでお前がそう感じたのかは知らんが、お前が謝るような事は何もないぞ。まさかそれで眠れなかったのか?」
「い、いえ、違います」
須藤という男は表面上の言葉は言わないだろう。本心で言っているのだろうが、ホッとするよりも佑月は疑問を持った。ならばなぜ須藤はあの時、今にも飛びかかってきそうな程に獰猛な目をしていたのか。そしてそれは何かに耐えるような目に変わっていった。あれは怒りを鎮めていたのではなかったのかと、佑月は困惑してしまっていた。
目の前の須藤は、おそらく佑月の嘘など直ぐに分かっていて、本音を語ることを待っている。しかし一向に口を開くことをしない佑月に、須藤は諦めたように佑月の頭を撫でた。
「ひとまずシャワー浴びてくる」
「あ、須藤さん」
慌てて呼び止めると須藤は「なんだ」と振り向く。声を掛けたのはいいが、須藤の中では今の話は完全に終わっているかもしれない。
「……朝食……どうされます? 和食か洋食どちらでも須藤さんのお好きな方でご用意しますが」
話を蒸し返すのは得策ではないと、佑月は咄嗟に当たり障りのない事を口にした。須藤は一瞬、驚いたように目を見開いたが、直ぐに眉尻が僅かに下がった。
「悪いな、食材がない。シャワー浴びたら近くのホテルに行くか。ちょっと待ってろ」
「ホテル!? いやその辺ので……」
驚く佑月を放って、須藤はさっさとシャワールームへと消えていった。
朝食でわざわざホテルに行くなど正気なのか。コンビニで何か買えばいいではないか。そう佑月は思ったが、直ぐに須藤にコンビニの物を食べさせるつもりなのかと青ざめる。自分と同じ感覚で考えてはいけない。昨夜連れて行かれた高級料亭は、須藤専用の部屋があった。度々訪れるのだろう。常に良いものを口にしている男の口には、手頃なコンビニの食品など合うはずがない。佑月は軽く息を吐き、とりあえず明日からの事はこの後考えることにした。
用意の整った須藤に、都内のホテルに連れて行かれた。しかも須藤自ら運転する車でだ。これには佑月は驚いた。まさか須藤が、運転する側に回る事があるなど想像もした事がなかったからだ。
「やはり同じように驚くんだな」
「同じ?」
少し懐かしそうに目を細める須藤は、佑月の問いに「いや、何でもない」と顔を前方へと戻した。その横顔は無表情に変わりないのに、どこか嬉しげに見えたのは、纏っている空気が柔らかいせいかもしれない。須藤が何を思っているのか伝えて欲しいと思ったが、自らもっとコミュニケーションを取っていかなければ、須藤も話しにくいのかもしれない。
豪華なモーニングビュッフェをご馳走になり、帰りの車内で佑月は早速実践しようと口を開いた。
「あの、真山さんって結婚されてるんですか?」
「真山?」
にこやかに問いかけた佑月に、須藤の低い声が返ってくる。何かマズかっただろうかと一瞬思ったが、質問内容はいたってシンプルなため、佑月は気のせいかと須藤へと頷いた。
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