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第66話
ただ、問題があるとすれば入浴のことだった。どれだけ断っても、須藤は頭を洗うことだけは断固として譲らなかった。相当忙しいはずなのに、わざわざ仕事の合間を縫って、佑月の頭を洗うだけに帰って来ることもある。申し訳ないという気持ちもあるが、本音は一人で入りたいだ。
初日に恥ずかしい思いをした事や、気分を悪くさせたのではと引きずっているのは佑月だけのようで、須藤はいつもと変わらずの態度で接してくる。そもそも初日の事も、須藤は全くと言っていい程に気にもしていなかったらしいが。それも本心までは分からない。
今夜もかと思うと気が重く、早く腕が治ってくれる事を強く願うしか、今の佑月には手立てがなかった。
「成海さん、そろそろ痛みも軽減されてきた頃じゃないですか?」
「はい、右手に関しては、もう全くといっていい程に痛みはないです」
理学療法士の村上とは入院していた時よりもお互いに打ち解け、辛いリハビリ通いも佑月には楽しいものになっている。しかしそれは今の二人の時間だけを言う。
村上がチラリと、リハビリテーション室の扉の方へ視線を向けたのが分かった。
「あの方、本当にカッコイイですね。男前って言葉では言い尽くせないと言うか」
「……そうですね」
村上の視線を追うように、佑月は視線だけそちらに遣った。
「看護師や患者さんから毎度凄い勢いで訊かれちゃって、正直なんて答えたらいいのかと……」
苦笑する村上に、佑月も同じように苦笑いをこぼした。リハビリテーション室前の待合いのソファで、一人の男が優雅に腰を下ろしている。一見しただけで場違いな男。外来客や患者、看護師らの注目を一身に集めているが、男はそれらを気にする様子は皆無で、タブレットに目を落としている。
佑月は改めて男へと視線を向けた。本当に異様なくらいに浮いている。ただタブレットに目を通しているだけでも、独特な空気を纏っているせいもあり人目を引く。
佑月はこっそりとため息を吐いた。須藤の仕事を邪魔しているばかりか、待たせている。それは佑月が望んだことではないのだが、自分が酷く須藤のお荷物になっているのではと、負い目を感じずにはいられなかった。
「あの方って何されてるんですか? なんか身に着けてるものが全て高価だと分かるし、やっぱり何かしらの経営者だったりします?」
「それが……記憶を無くしてるから、彼には今更訊けなくて」
「あ……そうですよね。すみません変な事を訊いたりして」
村上がすまなさそうに眉尻を下げるのを見ながら、佑月は内心で村上に詫びた。須藤の仕事のことは、色々複雑過ぎて他人に軽々しく言えない。佑月自身が須藤の本当の姿を知らない事も大きいが。
「じゃあ、今日はこの辺にしましょうか」
「はい」
「あ、また連絡していい?」
リハビリ師としての仕事を終えた途端に、村上は砕けた口調で佑月に訊ねてきた。それに対して佑月も「うん」と答える。歳が近いとはお互いに思っていたことだが、まさか同い年とは思ってなかった。退院してからの初めてのリハビリの時にそれをお互いに知り、それがきっかけでより距離が近付いたのだ。
「なかなか時間が合わなくてごめんね」
「成海くんの仕事は不規則だからしょうがないよ。でも絶対に飲みに行こう」
「うん。俺も時間が空いたら連絡するね。じゃ、とりあえずまた明後日の水曜日、宜しくお願いします」
「水曜日はリハビリだって分かってるけど、会えるのが楽しみだよ。では、また明後日に」
「はい」
お互いに内緒話をするかのように小声で話す。もちろんそれは周囲の患者や、理学療法士らに聞こえないようにとの配慮だ。しかし周囲はイケメンと美人の距離の近さに高揚していることは、佑月本人は知らない。
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