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第67話
椅子から立ち上がり、佑月がふと出入口へと目を向けると須藤がこちらを見ていた。鼓動が一つ大きく跳ねたのは、須藤の表情が決して穏やかとは言えなかったからだ。今日はいつもより時間が掛かったために、機嫌も悪くなっているのだろう。佑月は村上に頭を下げると、慌てて須藤の元へと駆け寄った。
「すみません、お待たせして」
「構わない。気にするな」
佑月が近付くと、先程の不機嫌さが嘘だったかのように、須藤は柔らかい空気を纏う。そして佑月をまるでエスコートするように、背中に手を添える。途端に周囲の空気は一気にざわつく。上等な男と並び立つだけで目立って仕方がない。恥ずかしい思いがあるが、ここでは大人しく須藤に従い、早く病院から出ることだけを考えた。
「須藤さん……本当に病院くらい一人で来れますよ? お忙しいのに、無理して頂かなくても」
マイバッハの車内に落ち着くと、佑月はそう告げる。
「言っただろ。一人では行動させられないと。お前には窮屈な思いをさせて悪いとは思ってる。だが我慢してくれ」
「……」
それは分かっている。ただ須藤までもが一緒に来ることがどうしても解せないだけだ。佑月を待っている間は、書類やタブレットに目を通し仕事をしている。本当ならば佑月に付き合ってる暇などないはずなのにだ。そんな多忙な男が護衛のためと言って、自ら一緒に付いてくる。自分の部下に任せることもしない。佑月に怪我を負わせた責任を感じているのかもしれないが、佑月には記憶がないのだ。あったとしても須藤が悪い訳では無いのだから、責任など感じてほしくない。
待たされて不機嫌になるくらいなら、来なくてもいいのにとまで思ってしまう。そんなどうしようもない己に、佑月はほとほと嫌になった。
「リハビリは辛くないか?」
話は終わったとばかりに須藤は話題を変える。その声には労りがあり優しさもあるが、須藤の顔を見ると何か少し苦々しいものが窺えた。佑月はそれが気になりつつも、須藤へと微笑を浮かべ頷いた。
「はい、全く辛くないです。先生が凄く親身になってくれるので、メンタル面でもだいぶ助けられてもいますし」
「親身ね……」
「須藤さん?」
名を呼んだが須藤は答えることなく、そのまま仕事へと戻って行った。一体どうしたのかと佑月一人が置いてきぼりを食らったような気がして、すっきりとしなかった。
だがそれは夜、須藤が帰って来たことで、佑月は更に困惑を上塗りされる事となった。
「え……? リハビリ師をですか?」
「あぁ」
須藤は脱いだスーツの上着をソファの背もたれに掛けながら、事も無げに答える。そしてネクタイを緩めながらソファに腰を下ろす。佑月は急いで須藤の傍へと駆け寄った。
「わざわざ病院へ行かなくてもいいからな」
「そうですが……でも」
須藤が言うには、知り合いの医師に理学療法士の資格を持つ人間がいると言う。その医師をここ須藤のマンションに呼びつけ、佑月のリハビリを行うという。
「何か不都合でもあるのか?」
須藤が何か探るような視線を向けてくる。そうされる意味が分からず、佑月は僅かに眉を寄せる。
「不都合はないんですが……。また別途で治療費が掛かりますよね。出張費も嵩みますし。それにあの病院の療法士の先生とは、気兼ねなく話せるようになったので……」
「予約してるとは言え、待たされる時間はお前に負担がかかる。ここなら時間も気にする必要はない。医師にはもう話をつけた」
反論は許さないと、佑月へと見上げる須藤の目が言っている。
確かに須藤にワガママを言える立場ではない。病院の送迎から、治療費までも須藤が全てしてくれている。その上往診までしてくれる療法士がいる。感謝こそすれ、文句など言えるわけがない。それでもモヤモヤしたものが残るのは、やはり村上と築いた信頼関係が大きく関係していた。ストレスなく話しやすい相手というのは、今の佑月にとっては貴重な存在でもあった。
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