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第69話

 自分の〝中〟は須藤を忘れていない。何についてそう言っているのかが佑月には見当もつかない。教えてくれれば、何か思い出すきっかけになるかもしれないのに。なぜ須藤は教えてくれないのか。思い出したいのに、依然として須藤の事や日常のこと、仕事の事などの一年分がすっぽりと抜け落ちている。入院中に昨年分全ての依頼内容を確かめたが、何一つ思い出すものはなかった。 「あ……」  考え込む佑月の目の前に、不意に黒い影。それは深みのある琥珀の液体が、なみなみと入っている平らな円形状のボトルだった。  佑月は自分の目を疑った。何故なら目の前にあるのはレミーマルタン、ルイ十三世だからだ。 「飲むだろ?」 「え!? いやいや、そんな高価なもの勿体なくて飲めませんよ」 (これ一本いくらすると思ってるんだ!?)  叫びたいのを佑月は何とか堪えるが、須藤は佑月の顔を見て愉快そうに口角を上げる。 「お前はよく、俺の事で腹を立てた時に、当てつけるようにこれを飲んでいた」 「え……」 「いつでも遠慮せず飲めばいいものを」 「ちょっと……待って」  佑月は目眩がしそうで、耐えるように額を押さえる。 (どこのどいつだ。そんな最低な事をしていたのは) 「俺……だよな」 「なに?」 「何でもないです……って何でもないワケがなくて……」 「何をブツブツ言ってる。飲め」  須藤はグラスに宝石のように美しいアンバーの液体を注いでいく。それも結構な量を遠慮なく入れて、手渡してくる。佑月は緊張で思わず両手でグラスを持ってしまっていた。 「はぁ……やっぱり高いものは……美味しいなぁ。ねぇ?」 「佑月もうやめておけ。飲みすぎだ」 「あー……あとちょっとだけ。おねがい」 「もう空だ」  須藤の言う通りにローテーブルの上には、すっかり空になったルイ十三世のボトルがある。遠慮をして、緊張していた佑月は一体何処へ行ってしまったのか。勧められるがままに飲んでいるうちに、すっかり高級ブランデーは空だ。 「すどおさん……あんま……飲んでないれしょ」  酔いが益々と深くなっていき、佑月の口からはスムーズに言葉が出てこなくなっている。コレクションラックから、新たに須藤のためという大義名分のもとで、ブランデーを貰おうと佑月はソファから腰を上げた。 「危ない」 「あっ……」  グラリとふらついた佑月の身体を、須藤は難なく抱きとめてくれた。お陰で派手に転げずに済み、佑月はすぐ傍にある須藤の顔を見上げニッコリと笑んだ。 「ありがと……う」 「本当に……お前は」  舌打ちをし、低く唸るように須藤が言う。何か怒っているのかと佑月は首を傾げながら、まじまじと須藤の顔を窺う。だが酔いのせいで正常な判断が出来ずに、佑月は須藤を宥めるように逞しい胸板をポンポンと叩き、その腕から抜けようとした。 「あっ……?」  逆に抱き込まれるように、須藤の腕が佑月の細い身体に回される。 「どーしたの? さびしい?」  呂律も怪しい佑月は、何か母性(?)のようなスイッチでも入ったのか、須藤の広い背中へと両手を回してあやすように叩いた。  顔を上げた瞬間に唇に熱が重なっていた。 「ん……」  状況が全く飲み込めず、驚く佑月の唇の隙間を縫って、ぬるりと侵入してくるものがあった。

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